【ブギウギ】笠置シヅ子さんが戦死した弟へ捧げた曲『大空の弟』とは? 東かがわ市の萬生寺に養父母と義弟のお墓を建て銅製の雨どいを寄付、寄進塔が残る! 安戸池で愛娘と魚釣り!

◼️萬生寺 

笠置シヅ子さんが建てた養父母の亀井音吉とウメ、義弟の八郎のお墓がある。

笠置シヅ子さんが寄付した本堂の銅製雨樋は現在も使われている。

萬生寺は神戸三宮駅から車で1.5時間くらい。バスだと三宮バスターミナルから高速引田下車、タクシーで萬生寺(JR引田駅近く)。

◼️高速引田から萬生寺まで2.5Km、徒歩20-30分くらい。

◼️萬生寺前にかつて存在した朝日座で笠置シヅ子さんは父 音吉さんの存命中にコンサートを開催した。この時、高松市でもコンサートを開催した。

◼️1949年4月に笠置シヅ子さんは、萬生寺前にあった朝日座でコンサートを開催した。1947年に「東京ブギウギ」が大ヒットし、一躍、スターとなった笠置さんは、この時、故郷の香川県東かがわ市に錦を飾り、公演の合間に、会場に近い写真館の座敷でカメラにおさまった。

◼️本堂の雨どいを修繕する際に、笠置さんが寄付をした。


◼️笠置シヅ子さんの寄進塔


◼️笠置シヅ子さんが建てた養父母と義弟のお墓

◼️陸軍曹長 亀井八郎

◼️笠置さんの義弟 亀井八郎さん

笠置さんの家族。長男の頼一と次男の正雄は幼くして亡くなった。

父親:亀井音吉
母親:亀井うめ
長男:頼一
長女:笠置シヅ子(養女)
次男:正雄
三男:八郎

笠置シヅ子さんが物心つく頃は、八郎さんと二人兄妹でだった。笠置さんは弟をよく可愛がり、とても仲が良かった。しかしながら、弟の亀井八郎は戦死してしまった。笠置さんは戦争が終わって八郎が帰ってきたら、八郎の商売の元手になるようにとお金をずっと貯めていたが叶わなかった。

◼️1938年(昭和13年)ごろ、召集令状が八郎に届いた。その頃、八郎は父の亀井音吉と理髪店を営んでいた。音吉は既に銭湯を閉店していた。


召集令状に従い、八郎は香川県の「丸亀連隊」に入営し戦地へ赴いた。

1939年(昭和14年)には母のウメが亡くなった。


一人残された父の音吉を心配した笠置さんは、父を東京に呼び、しばらく一緒に住んだ。

その後、1941年(昭和16年)12月、弟の亀井八郎さんが、フランス領インドシナで戦死したという悲報が届いた。


戦死した笠置さんの弟のために服部良一さんが作詞・作曲したのが「大空の弟」。

作詞は服部良一のペンネーム「村雨まさを」でクレジットされている。


笠置シヅ子(1914年~1985年)さんが、戦時中に戦地で亡くなった愛弟・亀井八郎への思いを込めて歌った「大空の弟」の楽譜が2019年に見つかった。

●発見された楽譜(朝日デジタル)

https://www.asahi.com/sp/articles/ASMC835D3MC8PTFC009.html

◼️大空の弟 歌:趣里さん

[ブギウギ]『大空の弟』フルバージョン オンステージ | 朝ドラ | 連続テレビ小説 | NHK

https://m.youtube.com/watch?v=qQqdcBqJCKw&pp=ygUM44OW44Ku44Km44Ku

◼️萬生寺近くの積善坊には瀬戸内寂聴さんの父母が眠る。瀬戸内寂聴さんの父 豊吉さんは東かがわ市黒羽の出身。




◼️萬生寺から2.5Kmにある安戸池

この海で昭和30年代に笠置シヅ子さん愛娘のエイ子さんと釣りを楽しんだ。

安戸池は日本で初めてハマチの養殖に成功した場所で皇族も訪問されている。

ブランド魚 ひけた鰤を食べられる店がある。


中央が笠置シヅ子さんと娘のエイ子さん


◼️☆ブギの女王☆ 笠置 シヅ子(シズ子)♪センチメンタル・ダイナ♪映像1947年(昭和22年)

◼️笠置シヅ子さんゆかりの地

◼️笠置シヅ子さんの人生

◼️笠置シヅ子さんの性格

◼️笠置シヅ子さんの出生の秘密

◼️語ってはいけない東京ブギウギの作詞家

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