【NHK朝ドラ】「ブギウギ」のモデル 笠置シヅ子さんの出身地 東かがわ市のゆかりの地を紹介!

◼️2023年10月2日からNHKの朝ドラ「ブギウギ」が始まる。

主人公のモデルは戦後、東京ブギウギを歌日本中で大ヒットした笠置シヅ子さん。

演じるのは水谷豊さんの愛娘 趣里さん。

笠置シヅ子さんが生まれたのは香川県東かがわ市相生(あいおい)の黒羽(くれは)と言うところ。

●笠置シヅ子さんの波瀾万丈の人生とは?

笠置さんが生まれた東かがわ市相生(あいおい)と引田(ひけた)のゆかりの地を紹介!

●笠置さんの実家があった辺りのカフェ 古里庵。


●笠置さんの後援会長だった元東大総長 南原繁さんの銅像


●東かがわ市の黒羽の最寄り駅、インスタ映えするJR讃岐相生駅


●糖業感謝碑。笠置さんの実家は製糖業を営む豪農だった。江戸時代から相生は砂糖作りが盛んだった。瀬戸内寂聴さんの父 三谷豊吉さんの実家はこの糖業感謝碑の近くにあった。瀬戸内寂聴さんは法事で相生と引田を訪れた時の事を小説「場所」の中に書いている。


●旧・引田郵便局。笠置さんの実父は引田郵便局に勤めていた。昭和7に建てられた建物が残る。現在は中はおしゃれなカフェとなっている。


●引田の萬生寺。笠置さんは養父母のお墓を萬生寺に建てた。


●朝日座。萬生寺の前にあった朝日座で笠置さんは、1949年にコンサートを行った。


●笠置さんが18歳のとき(昭和6年)、実母と会った引田小学校裏の畳屋の隣り。現在の引田小学校と当時の場所が同じかは不明。

◼️【東かがわ市の場所】香川県東かがわ市は神戸の三宮駅からバスか車で1.5時間くらい。

◼️【東かがわ市相生の黒羽地区】笠置さんは地元でも有数の豪農で製糖業を営んでいた三谷家当主 漢学者の三谷椙乃助の長男 陳平と三谷家に家事見習いの為、住み込みで働いていた由緒正しい家の娘 谷口鳴尾との間に生まれた。しかしながら、その結婚は許されず谷口鳴尾は生後間もない子を抱え実家のある隣り町の引田に帰っていた。

◼️笠置シヅ子さんは事情があり、生後間もなく、実母の谷口鳴尾が貰い乳をしてもらっていた亀井ウメの養女となり、大阪で育つことになる。

亀井ウメは、東かがわ市引田(ひけた)でメリヤス・手袋工場を経営していた中島家当主の妹で、谷口鳴尾は近所に住んでいた。

 

●【東かがわ市】香川県の東の端に位置し、笠置シヅ子の生まれた相生は、香川県と徳島県鳴門市との県境となる。

東かがわ市は、手袋の国内生産の90%を占める。日本で初めてハマチの養殖に成功した土地でもあり、現在も養殖のひけた鰤が有名。

また、江戸時代から生産される讃岐和三盆も有名だ。

笠置シヅ子さんの実家は、笠置さんが生まれた当時は製糖業を営む豪農だった。

ちなみに瀬戸内寂聴さんの父の三谷豊吉さんの実家も同じく黒羽で製糖業をしていた。

🟣東かがわ市相生のゆかりの地!

◼️最寄駅のJR讃岐相生駅。インスタ映えするのどかな田園風景の写真が撮れる。

電車の本数は、3時間に1本くらいしかないので利用される方は注意が必要。

 
◼️笠置シヅ子さんの実家があった東かがわ市相生の黒羽。現在、実家の建物があった場所の近くにふれあいカフェ古里庵がある。相生小学校跡のすぐ近く。

◼️カフェ古里庵とぎゃらりー原伊の位置。ぎゃらりー原伊の近くに糖業感謝碑があり、その近くに瀬戸内寂聴さんの父 豊吉さんの実家があった。

◼️【ぎゃらりー原伊】

笠置さんとの関係は不明。

●三谷家は屋号を原伊といい、このギャラリーの名前の起源となっている。

●緑桜園花酔/三谷浅右衛門。三谷家4代目。歌や俳句をこよなく愛した人物で、多くの作品を残している。

●ふじいあさ さん。三谷家出身。洋画家。女流美術家協会委員、独立美術協会準会員、日本美術家連盟会員。

昭和28年(1953年)東かがわ市相生の黒羽生まれ。絵はシュールリアリズム(超現実主義)派で、藤井アサ氏独特のマチエールとメルヘン調の雰囲気がある絵画。建物は民家であるが、館内は来館者を驚かすような空間が広がっている。

https://kagawa-aioi.com/名所・史跡/黒羽地区/ぎゃらりー原伊/

◼️【糖業感謝碑】讃岐三白(塩、砂糖、木綿)のひとつ白砂糖の産地だった東かがわ市相生。

江戸時代には高松藩の財政を支えた。東かがわ市湊と高松市松島町に讃岐和三盆の開発者 向山周慶と関良介を砂糖神として祀る向良神社がある。

ちなみに、讃岐の塩田開発の父と言われる久米通賢もこの東かがわ市相生の馬宿の出身だ。

●讃岐のエジソン、塩田開発の父 久米通賢の墓。生家は高松市屋島の四国村内に移築され保存されている。かつて日本一の生産量を誇った坂出塩田は高松藩の資金では足りず久米通賢が私費を投じて開発した塩田である。鉄砲を作ったり、マッチも発明した。伊能忠敬より早く日本地図を作成した。伊能忠敬が引田港から鳴門市の碁浦漁港に移動し測量した際に高松藩令により付き添った。この時、伊能忠敬が立ち寄った碁浦番所では私の高祖母の八田家が一行を迎えた。八田家文書は碁浦番所の記録として徳島県立図書館や鳴門市図書館で閲覧することができる。

●東かがわ市相生の隣り鳴門市の碁浦海岸近くに立つ伊能忠敬上陸地点。

◼️糖業感謝碑。この近くに瀬戸内寂聴さんの祖父 三谷峯八さん、父 豊吉さんの実家があった。私の曽祖父の妹は三谷家に嫁いだ為、大伯母は瀬戸内寂聴さんと交流があり、法事の手伝いで神戸から帰省していた。また私の曽祖母は黒羽中村の永峰家の出で、高祖母は相生の隣りの板野郡にあった碁浦番所の八田家の出だった。森家の先祖は江戸時代、この相生の馬宿に住み普請方だったが、高松藩令により丹生へと移り柏の木が生い茂る柏谷を開拓した。金刀比羅宮の階段造営にも参加した。祖母の話しでは白鳥の伊座に眠る森久村(森権平)の一族が先祖だと言う。

●瀬戸内寂聴さんの私小説「場所」。法事で東かがわ市の黒羽の父の実家や引田の積善坊を訪れた時の事が詳しく書かれている。野間文芸賞受賞作。

◼️三谷製糖

笠置シヅ子さんの実父方の三谷家は18世紀半ばから製糖業を始め屋号を”黒茂”と言った。

分家の”孫黒茂”は現在も昔ながらの製法で三谷製糖として讃岐和三盆の製造、販売を行なっている。


●讃岐和三盆 (ばいこう堂)

◼️【笠置シヅ子さんの後援会長だった元東大総長の南原繁さんの顕彰碑記念碑】

南原繁さんは、笠置シヅ子さんの実父の三谷陳平1890-1915)さんは友人で、陳平さんは南原繁さんより一学年下だった。同じ小学校と中学校(現在の三本松高校)に通い、夏になると一緒に海水浴に行く仲だった。

また、三谷陳平さんの父は三谷椙乃助(すぎのすけ)と言い漢学者で南原繁さんが幼少の頃、師事していた方だった。

南原繁さんは笠置さんが、出生の件でマスコミからゴシップを書かれ世間に騒がれていたとき、連絡を取り、笠置さんの実父と谷口鳴尾のことなど、マスコミに書かれているようなことはないと説明した。笠置さんは生涯、南原さんを父のように慕った。

南原繁さんは東大総長でありながら、当時の吉田茂首相に講和条約の件で、一歩も引かず議論をたたかわした信念の人だ。

●南原繁先生の顕彰碑の位置

ふれあいカフェ古里庵から2分

 

◼️東かがわ市相生(あいおい)散策ルート

●JR讃岐相生駅→南原繁先生の顕彰碑(元東大総長)→カフェ古里庵(笠置シヅ子さんの実家辺り)→黒羽神社(1467年、永塩因幡守氏継創建)→糖業感謝碑→ぎゃらりー原伊→久米通賢の墓(讃岐のエジソン)→三谷製糖(和三盆製造・販売)→JR讃岐相生駅

🟣東かがわ市の引田(ひけた)

◼️萬生寺。笠置さんは、東かがわ市引田の萬生寺にご両親(養父母)のお墓を建てた。

萬生寺の門の脇には「本堂銅製 樋 」の寄付者として、笠置さんの名前を刻んだ石柱が立っている。

近くの積善坊には瀬戸内寂聴さんのご両親のお墓がある。

◼️【朝日座】笠置さんは、1949年4月15日に萬生寺の前にあった朝日座でコンサートを行った。その数日前には高松でコンサートを開催した。

この頃、笠置さんの養父 亀井音吉さんは、妻と息子も亡くしてしまい実家のある引田に帰り、住んでいた。

1947年、笠置シヅ子さんが歌った東京ブギウギが大ヒットし笠置さんは一躍有名になった。そして、地元の方たちの努力と熱意が実り1949年4月15日のコンサート開催となった。

◼️笠置シヅ子さんは、香川県東かがわ市引田の萬生寺に養父母のお墓を建てた。また父 亀井音吉さんの頼みもあり1949年に萬生寺前にあった朝日座でコンサートを開いた。

1939年7月の松竹楽劇団(SGD)公演「グリーン・シャドウ」に出ていた頃のエピソード。

この時期、SGDから支給される笠置さんの月給は二百円で、当時の若い女性がもらう給料としてはかなり高額だった。だがこの中から百五十円を大阪の両親に仕送りし、二十円を寄宿している山口宅に支払い、残りの三十円で衣服その他を賄ったのだから、笠置さんがいかに親孝行な娘だったかがわかる。

●笠置シヅ子さんのCD

「東京ブギウギ」「買物ブギー」など41曲を収録。中でも「北海ブギウギ」はこれまで音源が見つからず今回、初収録。

◼️【旧・引田郵便局】笠置さんの実父の三谷陳平さんは引田郵便局に勤めていた。陳平さんは、元東大総長の南原繁さんの一学年下で大川中学校(現在の三本松高校)を卒業後、通信学校に通った。

この旧引田郵便局は1932年(昭和7年)に建てられた。三谷陳平さん(1890年〜1915年)はこの建物より前の建物で働いていたことになる。

現在、郵便局はカフェ ヌーベルポストとして使われている。

●食べログ

https://s.tabelog.com/kagawa/A3704/A370402/37000426/

●萬生寺、旧郵便局、井筒屋敷、かめびし屋の位置。江戸時代の風情が残る街並みを散策しながらインスタ映えするスポットを回れる。萬生寺から旧郵便局は徒歩5分。

●【井筒屋敷】旧・引田郵便局がある辺りは、江戸時代に栄えた商家の街並みが保存されており、観光地として一見の価値がある。

●【かめびし屋】醤油蔵があり、ピザ、うどんなどが頂ける。こちらの卵かけご飯用の醤油は各メディアでも紹介され非常に有名。

●食べログ

https://s.tabelog.com/kagawa/A3704/A370402/37000250/

●ヒカキンさんのYouTube動画で紹介された。

●かめびし 三年醸造醤油 900ml

◼️【笠置さんが実母と再会した場所】谷口鳴尾が仕立ての仕事をしていた引田小学校裏の畳屋の隣り。

18歳の笠置シヅ子さんが、母の代わりに出席した法事の後、自分の出生の秘密を知ってしまい引田に住んでいた実母の谷口鳴尾に会いに行った。鳴尾の家には6歳くらいの息子がいた。

谷口鳴尾はその際、笠置シヅ子さんに陳平の形見である金無垢の懐中時計を渡した。

南原繁さんの話しでは、鳴尾は三谷椙乃助の遠縁にあたる人と結婚したとある。

笠置さんの自伝には鳴尾は2回、結婚したが、2回とも夫と死別か分かれることになったとある。笠置さんが18歳のとき見た6歳の子は2度目の夫との子だと思われる。

笠置さんは、1914-1985年。

陳平さんは、1890-1915年。

陳平さんの17回忌は1931年(昭和6年)ごろだと思われる。

昭和6年頃は、引田小学校は現在地ではなく寺町辺りの別の場所にあったのではないか。昭和6年当時の引田小学校の場所は不明。

●引田小学校の変遷

https://www.higashikagawa.jp/material/files/group/20/hp-gakkou-kousou-h.pdf

●現在の引田小学校

◼️笠置シヅ子さんの唯一の自伝

泣けて、笑える。笠置シヅ子さんという方の性格がよく分かる。めちゃくちゃ面白い!

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◼️プロフィール

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