About Bizconsul Office

Vision : 

観光と語学教育で四国を元気に

Bizconsul Office 事業内容:

🔸英語教育サービスの提供

🔸通訳ガイドサービスの提供

🔸インバウンド対策・貿易取引に関するコンサルタント業

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Bizconsul Office代表

森啓成 (モリヨシナリ)

神戸市生まれ、香川県育ち。

米国大学経営学部マーケティング専攻。一部上場エレクトロニクス企業にて20年間、海外営業職に従事、北京オフィス所長を務める。

その後、香港、中国にて外資系商社設立に参画し、副社長を経て顧問に就任。

米国に2年、シンガポールに2年、中国(上海、深圳、北京)に12年間滞在。

現在、香川県にて地域活性化の一助になればとの想いで海外ビジネスコンサルタント(企業顧問・貿易・インバウンド対策)、ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (中国語・英語)として活動中。

◆観光庁インバウンド研修認定講師

◆四国遍路通訳ガイド協会 会員

◆トリリンガル讃岐PRオフィサー

資格等

【英語】

・全国通訳案内士国家資格 (英語)、英検1級、TESOL(英語教授法)、TOEIC:965点(L満点)、国連英検A級、ビジネス英検A級、他

【中国語】

・全国通訳案内士国家資格(中国語)、HSK6級、香川県認定 香川せとうち地域通訳案内士(中国語)、他

【ツーリズム】

・総合旅行業務取扱管理者 国家資格、国内旅行業務取扱管理者 国家資格、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド(瀬戸内国際芸術祭2019 公式ガイド)、観光庁インバウンド研修認定講師 (1級認定: 香川県で3名)

【貿易関係

・貿易アカデミー認定 貿易実務講座修了、JETRO主催 輸出入実務講座修了

【その他

・日本赤十字社認定ベーシックライフサポーター、香川県高松市消防局 救命講習修了、観光庁事業 文化観光施設での通訳案内士によるガイド研修 修了

メディア・研修実績

香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載。

瀬戸内海放送(KSB) 及び 岡山放送(OHK)ニュース番組コメント。

観光庁インバウンド研修認定講師として地方自治体や宿泊施設で登壇。

四国運輸局事業コンサルタント、 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド、香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験面接官を務める。

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海外滞在歴

・米国オレゴン州: 2年
・シンガポール: 2年
・中国 (上海、深セン、北京) : 計 12年
・ベルギー リエージュ: 1ヶ月

🔸ビジネス英語講師として

・日中英トリリンガルクラブ主宰

・TOEICスコアアップ対策

・TESOL (英語教授法) コース修了

・日本最大の英語 Q&Aサイト 「DMM英会話なんてuknow ? 」の公式アンカー

・Weblio英語辞書サイト質問箱の回答者

🔸観光庁インバウンド英語研修認定講師として

https://inboundkenshu.com/home/traning_pdf

・香川県内市役所、高知県、愛媛県の宿泊施設等にて登壇

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🔸香川県登録通訳案内士として

香川県登録通訳案内士サイト

https://kagawa-tsuyakuguide.jp/ja/guide_profile/7/ja

・四国全域、瀬戸内海に浮かぶ島々の通訳ガイディング

・瀬戸内国際芸術祭2019 公式ガイドに認定

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所属 :

四国遍路通訳ガイド協会

https://shikoku88guide.com

通訳案内士登録証:

観光庁認定 全国通訳案内士(英語) 香川県登録番号: 第EN00087号

観光庁認定 全国通訳案内士(中国語) 香川県登録番号: 第CH00007号

・香川県認定 香川せとうち地域通訳案内士(中国語) 香川県登録番号: 第CH00001号

・四国遍路通訳ガイド協会会員証

🔸海外ビジネスコンサルタントとして

行政機関プロジェクト向けのコンサルティング業務、研修講師、通訳案内士の実績例 :

◆香川県 瀬戸内国際芸術祭実行委員会主催 瀬戸内国際芸術祭2019 公式ツアー
・オフィシャルツアーガイド (英語、中国語、日本語)を務める

◆香川県 交流推進部観光振興課主催 香川県・徳島県・高知県広域連携事業「タイ旅行会社等ファムツアー企画及び運営業務」 台湾/香港人インフルエンサーがレンタカーで廻る高知・香川 FAMツアー 
・通訳案内士を務める

◆四国運輸局直轄事業 四国エリアにおける訪日外国人レンタカー利用者向け交通安全情報等の調査事業
・有識者として参加 (インバウンド対策コンサルティング)

◆観光庁主催 地域の観光人材のインバウンド対応能力強化研修
・1級講師として認定 (香川県で3名)
善通寺市役所にて登壇
高知城ホールでの研修に事業説明員として参加

◆四国運輸局事業  四国東部エリアにおける遍路文化とストーリーで繋がるアドベンチャーツーリズムの体験型観光コンテンツ・モデルツアー造成及びコーディネータ・ガイド育成事業の意見交換会参加

香川県国際観光推進室主催 香川せとうち地域通訳案内士対象 インバウンド講師養成研修にて模擬授業実技試験の面接官を務める

観光庁主催 地域の観光人材のインバウンド対応能力強化研修 
・愛媛県西予市にて1級認定講師として登壇


●その他のインバウンド関連活動:

NPO法人こえびネットワークが運営するボランティア団体にて、瀬戸内国際芸術祭のアート作品製作/メインテナンスサポート及び瀬戸内の島々におけるボランティア活動参加中

瀬戸内国際芸術祭2022 及び Art Setouchiに向けての研修会/ワークショップに参加

四国運輸局事業 インバウンド向け アドベンチャーツアー・コーディネーターガイド養成講座に参加

せとうち観光推進機構主催 アフターコロナに向けた瀬戸内のインバウンドガイド講座 2021 – 2022 (鬼無町、直島、小豆島) に参加

せとうち観光推進機構主催 せとうちスルーガイド育成研修 2022 – 2023 (香川県: 栗林公園、琴平、愛媛県: 来島海峡展望館、内子町、大洲城) に参加

せとうち観光推進機構主催 欧米豪旅行者対応ガイド研修事業 2023年2月〜3月 (香川県: 栗林公園、鬼無盆栽作り、讃岐うどん打ち、徳島県 : 吉野川市アワガミファクトリー、美馬市脇町うだつの町並み)

四国ツーリズム創造機構主催「アドベンチャートラベルガイド研修」事業に参加(20249/20-9/21)

🔸座右の銘

🔸BIZCONSUL OFFICEでは、インバウンド対策コンサルティング、英語パーソナルコーチング、通訳ガイドサービスを提供させて頂いております。

ご質問、お問い合わせ等がございましたら、お気軽にこちらのフォームからご連絡のほど宜しくお願い致します。

瀬戸内寂聴さんの先祖はなぜ東かがわ市に住んでいたのか? 讃岐に潜んだ阿波水軍の末裔:高松藩森家の出自と幕末の特命婚姻

こんにちは。

いつも当サイトをご支援頂き誠に有難うございます。

今回は、香川県の東端に位置する東かがわ市周辺に住んだ武家の物語です。

・十河氏系三谷家: 瀬戸内寂聴さんの先祖


・永峰家: 黒羽城城主 永塩因幡守氏継の子孫


・赤沢家: 板西城城主 赤沢信濃守宗伝の子孫


・森家: 阿波水軍 森権平久村一派の子孫


・八田家: 徳島藩碁浦御番所役人を200年間世襲。1585年、阿波と讃岐の国境を決める際に重要な役割を果たした。

※東かがわ市周辺の武家の関係性

高松藩 森家(阿波水軍出身)と徳島藩碁浦御番所役人の八田家と婚姻

高松藩 森家と黒羽の永峰家と婚姻

高松藩 森家と黒羽の十河氏系三谷家と婚姻

高松藩 森家の菩提寺は赤沢家が開基した勝覚寺

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🔸高松藩 森家のルーツは1583年の引田の戦いで討ち死にした阿波水軍 森家出身の森権平久村一派。 引田の戦い後、長宗我部元親軍から身を守る為に東かがわ市馬篠の未開の地だった柏の木が生い茂る山奥を開拓し、柏谷と名付け移り住んだ。阿波水軍時代からの高い土木技術を持っていた。

🔸森家の菩提寺は阿波の板西城主 赤沢信濃守宗伝の一子が開基した海暁閣 勝覚寺。森権平久村の母は、赤沢信濃守一族の赤沢伊賀守の娘。 1582年の中富川の戦いで長宗我部元親軍と戦って討ち死にした板西城城主の赤沢信濃守宗伝の一子が東かがわ市小砂(こざれ)に逃げ延びて、一族の菩提を弔う為に得度し、勝覚寺を開基した。

🔸徳島藩八田家は阿波国の武士、1585年に阿波と讃岐の国境を決める際に重要な役割を果たした。

🔸十河氏系三谷家は、讃岐植田一族の武士。 応仁の乱では、細川勝元が率いる東軍につき、香西・安富・奈良・羽床・長尾・寒川氏らと共に、三谷氏・神内氏・十河氏の植田一族も参戦した。 東かがわ市黒羽(くれは)の三谷家は1584年に長宗我部元親軍による虎丸城の落城後に三谷影則が東かがわ市黒羽に逃げ延びた。これが瀬戸内寂聴さんの先祖となる。

🔸永峰家のルーツは阿波の永塩氏。永塩因幡守氏継は1467年の応仁の乱で細川勝元側につき参戦し、京都御所の北側にある相国寺で安富元綱らと共に壮絶な最期を遂げた。

瀬戸内寂聴さんの先祖はなぜ東かがわ市に住んでいたのか? 讃岐に潜んだ阿波水軍の末裔:高松藩森家の出自と幕末の特命婚姻

目次

  1. 讃岐に潜んだ阿波水軍の末裔:高松藩森家の出自と幕末の特命婚姻
  2. 1. 森家の讃岐潜伏と出自の特殊性
  3. 戦国末期の混乱と讃岐への潜伏
  4. 山中への移住と特殊技能
  5. 2. 江戸期の貢献と高松藩東讃の要人としての地位
  6. 普請方としての貢献と武士身分の維持
  7. 藩主の信頼と軍事・技術的な機密
  8. 金刀比羅宮の石段造営:
  9. 海防と大筒台の警備:
  10. 幕末の緊迫と藩を跨ぐ特命婚姻の背景
  11. 3. 徳島藩碁浦御番所の要衝性
  12. 八田家の役割と所在地
  13. 藩境と海路の監視
  14. 4. 藩を跨ぐ婚姻の「特命」性
  15. 時代背景と親藩の役割
  16. 婚姻の成立と情報網の構築
  17. 激動の時代を超えて:高松藩森家のその後
  18. 1. 幕末から明治への時代背景:士族の激変
  19. 士族の解体:
  20. 旧武家の再編:
  21. 2. 明治時代の婚姻:旧武家の血統統合
  22. 永峰家との婚姻 (長男・森虎太郎の結婚):
  23. 三谷宗家との婚姻 (娘・森トヨの結婚):
  24. 十河氏系三谷家の背景
  25. 三谷家の活動と十河氏との関係
  26. 十河氏の本拠地: 高松市十川東町
  27. 戦国時代の十河氏と三谷氏
  28. 三好氏と十河氏の衰退
  29. 瀬戸内寂聴さんの先祖はなぜ東かがわ市黒羽(くれは)に来たのか?
  30. 十河氏系三谷家出身の瀬戸内寂聴さん
  31. 高松藩 森家の縁者は阿波・讃岐の武士に関係する
  32. 高松藩森家のルーツは阿波水軍 森家出身の森権平久村一派
  33. 森家の菩提寺は阿波の板西城主 赤沢信濃守宗伝の一子が開基した海暁閣 勝覚寺。森権平久村の母は、赤沢信濃守一族の赤沢伊賀守の娘。
  34. 徳島藩八田家は阿波国の武士、天正年間に阿波と讃岐の国境を決める際に重要な役割を果たした。
  35. 十河氏系三谷家は、讃岐植田一族の武士。 応仁の乱では、細川勝元が率いる東軍につき、香西・安富・奈良・羽床・長尾・寒川氏らと共に、三谷氏・神内氏・十河氏の植田一族も参戦した。
  36. 永峰家のルーツは阿波の永塩氏。永塩因幡守氏継は応仁の乱で細川勝元側につき参戦した。
  37. 3. 文化・地域社会との繋がり:著名人輩出の背景
  38. 三谷家と文学・芸能の繋がり:
  39. 4. 高祖父母世代の文化継承と近代の波
  40. 武家文化の継承と融和:
  41. 近代の女性の活躍: 

讃岐に潜んだ阿波水軍の末裔:高松藩森家の出自と幕末の特命婚姻

1. 森家の讃岐潜伏と出自の特殊性

戦国末期の混乱と讃岐への潜伏


森家の起源は、戦国時代に四国の覇権を争った動乱期に遡ります。

天正11年(1583年)、森権平久村の一派は、現在の東かがわ市(旧讃岐国)で起こった引田の戦いにおいて、仙石秀久の臣下として土佐の長宗我部元親軍と激戦を繰り広げました。

この戦いで森権平久村は討死しますが、その一派は戦後、縁者の嫁ぎ先であった引田の日下家を頼って讃岐に留まり、馬宿(現在の東かがわ市馬宿)に身を潜めることになります。

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彼らがもともと阿波水軍の出身であったことは、後に高松藩で海と関わる重要な役割を担う布石となりました。

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東かがわ市伊座にある森権平久村の墓
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◆阿波水軍森家の家紋は木瓜、分家にあたる高松藩森家の家紋は、丸に木瓜。高松藩森家の墓石や屋根瓦などに丸に木瓜の家紋が見られる。

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阿波水軍森家の歴史

山中への移住と特殊技能

その後、長宗我部氏の残党からの報復や戦乱の不安定さから身を守るため、森家は馬宿からさらに奥地、現在の東かがわ市馬篠の山奥へと移住します。

森家は柏の木が鬱蒼と生い茂る山を開拓し、その地を「柏谷」と名付けました。

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彼らが阿波水軍時代から培っていた高い土木技術は、この山地の開拓や、後の藩のインフラ整備において重要な基盤となります。

2. 江戸期の貢献と高松藩東讃の要人としての地位

普請方としての貢献と武士身分の維持

江戸時代に入り、讃岐が高松藩松平家(親藩)の統治下に入ると、森家は山林と一帯の土地を所有する地元の有力な家として定着しました。

森家は、先祖伝来の高い土木技術を活かし、橋や道路、水路の建設といった普請(ふしん)の仕事に従事することで高松藩に貢献し、その功績によって武士の身分(郷士)を保ち続けました。

藩主の信頼と軍事・技術的な機密

森家の普請方としての技術力と信頼の高さは、藩内の大規模な事業への参加によって裏付けられます。

金刀比羅宮の石段造営:

四国で最大の参拝客を集める金刀比羅宮の石段造営事業への参加は、彼らの技術力が藩内で最高水準にあったことを示しています。

海防と大筒台の警備:

幕末期、瀬戸内海では欧米の外国船が頻繁に航行し、沿岸の海防(かいぼう)が急務となっていました。

高松藩は領海の防御体制を強化し、小磯の北山には大筒台(砲台)が設置されました。

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森家はこの大筒台の見回りに関わっており、藩主一行が視察に訪れた際には、その警備や接待役まで務めるなど、藩の軍事機密や重要インフラを深く知り得る重責を担っていました。

藩主との直接的な接点があったことは、森家が高松藩内で極めて高い信頼を得ていた証拠です。

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幕末の緊迫と藩を跨ぐ特命婚姻の背景

3. 徳島藩碁浦御番所の要衝性

八田家の役割と所在地

一方、お隣の徳島藩(外様大名:蜂須賀家)側の藩境では、八田家が極めて重要な役割を担っていました。

八田家は、徳島藩板野の碁浦御番所の役人を200年以上にわたって世襲していました。

碁浦御番所は、徳島藩にとって禄を持つ家が担う公的な機関です。

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八田家は、天正年間に阿波と讃岐の国境を決める際に重要な役割を果たした。
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碁浦御番所 八田家文書
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碁浦御番所。ここには、伊能忠敬や久米通賢、松浦武四郎らも訪れた記録が残っている。

藩境と海路の監視

碁浦御番所は、高松藩と徳島藩の藩境に位置するとともに、瀬戸内海の海上交通の要衝でもありました。

八田家はこの番所の役人兼庄屋を兼ねることで、公的な人・物資の出入りの監視だけでなく、地域住民を通じた広範な情報網を掌握していました。

幕末期、特に外国船の動向や、倒幕を目指す薩長土肥など西国諸藩の情報収集において、碁浦御番所は徳島藩にとっての地政学上の最前線であり、八田家は極めて重要な機密情報を取り扱う立場にありました。

4. 藩を跨ぐ婚姻の「特命」性

時代背景と親藩の役割

幕末となり、安政から元治年間(1850年代~1860年代)にかけて、国内の政治情勢は極度に緊迫します。

高松藩は親藩(徳川将軍家と血縁のある藩)であり、幕府から西国(特に外様大名)の動向を監視するという重要な役割を担っていました。

外様大名である徳島藩の情報は、幕府や高松藩の戦略にとって極めて重大な意味を持ちました。

婚姻の成立と情報網の構築

江戸時代の原則では、情報漏洩のリスクから武士が藩を跨いで結婚することは厳しく制限されていました。

それにもかかわらず、1864年(元治元年)に、高松藩の軍事・普請機密を握る森家の長男・森喜平と、徳島藩の藩境機密を握る八田家の長女・八田キヨが婚姻を結ぶに至ったことは、通常では考えられない「特例」でした。

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この異例の婚姻の背後には、高松藩が森家に与えた「特命」があったと推察されます。

公然と情報交換ができない状況下で、両藩にとって最も信頼できる血縁(婚姻)という非公式な手段を通じて、瀬戸内海の情報網を密かに構築しようとした、幕末の情報戦における極めて巧妙な一手であった可能性が高いと言えます。

森喜平は、阿波水軍の系譜による海路の知識を活かし、この特命情報チャネルの要となったと考えられます。

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激動の時代を超えて:高松藩森家のその後

1. 幕末から明治への時代背景:士族の激変

明治維新(1868年以降)は、日本社会の根幹を揺るがす大変革期でした。

特に森家のような武士(郷士)の身分は大きな変化に直面しました。

士族の解体:

明治政府は廃藩置県(1871年)を断行し、旧武士階級を士族としましたが、彼らの特権は徐々に剥奪されました(禄の廃止、秩禄処分)。

武士の多くは経済的基盤を失い、新たな職業を見つける必要に迫られました。


旧武家の再編:

こうした中で、地方の旧武家や豪農たちは、自らの社会的地位や財産を維持・向上させるため、地域の名家同士で婚姻を結び、新たなネットワークを構築することが一般的となりました。

森家が明治時代に入り、地域の有力な旧家と連続して婚姻を結んだのは、この「旧武家ネットワーク再編」という時代背景に合致しています。

2. 明治時代の婚姻:旧武家の血統統合

高松藩の郷士であった森家は、明治時代に入ると、地元の有力な旧家との婚姻を通じて、その血統と地域における影響力を強化していきました。


永峰家との婚姻 (長男・森虎太郎の結婚):


森喜平の長男である森虎太郎(高松藩普請方森家の跡取り)は、永峰チヨと婚姻を結びました。

永峰家は、かつて黒羽城主 永塩因幡守氏継の子孫とされる永峰杢左衛門家の出身です。

これは、高松藩の郷士(森家)が、同じく旧武家系の地域名家(永峰家)と結びつくことで、明治以降の地域社会における森家の地位の安定と格上げを図ったことを示します。

・江戸時代、黒羽村の与頭を務めた永峰杢左衛門家の永峰市次郎の長女 永峰チヨ。

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・永峰家は阿波の永塩氏、永塩因幡守氏継の子孫にあたる。黒羽城城主だった永塩因幡守氏継は、最期を悟り1467年8月に黒羽神社を創建し、同年10月、細川方として応仁の乱に参戦し、京都御所北側の相国寺で安富元綱らと共に討死した。残された一族は永峰姓に改姓し、帰農した。

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・永峰杢左衛門家

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・黒羽の永峰家は西家と東家があり、それぞれ西家が庄屋、東家が地主だった。

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・森虎太郎と永峰チヨの娘 森ミヤコは、黒羽の永峰杢左衛門の家系の永峰家へ嫁いだ。

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三谷宗家との婚姻 (娘・森トヨの結婚):

高松藩普請方の森喜平の娘である森トヨは、黒羽 十河氏系三谷宗家の三谷磯八に嫁いでいます。

この三谷家は、讃岐の戦国大名であった十河氏の系譜を引く有力な家柄であり、森家が血統と地域基盤の強化を目指した婚姻であったことがうかがえます。

三谷宗家からは、瀬戸内寂聴さんや町会議員が出ています。

十河氏系三谷家の背景

「十河氏」は、景行天皇の皇子である神櫛王(かみくしおう)の後裔とされており、現在の香川県高松市十川をルーツとする家系です。

この十河氏は、中世讃岐国の豪族である植田氏から派生した一族で、神内氏、三谷氏と共に「植田党」と呼ばれる武士団を形成していました。三谷家もこの植田党の一員であり、十河氏と同族と考えられます。

三谷家の活動と十河氏との関係

三谷家は、讃岐国において十河氏と共に活動していました。例えば、応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱では、細川勝元が率いる東軍に、香西・安富・奈良・羽床・長尾・寒川氏らと共に、三谷氏・神内氏・十河氏の植田一族も参戦しています。

室町時代中期には、三谷景久が寒川氏と山田・寒川両郡の民事で争い、三谷城を攻められる出来事もありました。

十河氏が戦国時代に阿波の三好氏と結びつき、勢力を拡大していく中で、三谷家もその家臣として名を連ねていました。特に「鬼十河」として知られる十河一存の家臣団には、三谷氏の他にも久保氏、岡氏などがいました。

十河氏の本拠地: 高松市十川東町

讃岐の十河氏(そごうし)の本拠地は、現在の香川県高松市にありました。

十河氏の本拠地は「十河城(そごうじょう)」で、現在の高松市の十河地区(十河西町、十河東町周辺)に城址が残っています。

十河氏は、戦国時代に讃岐国東部で大きな勢力を誇り、三好長慶の弟である十河一存(そごう かずまさ)が養子に入ってからは、三好政権の一翼を担う重要な拠点となりました。

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戦国時代の十河氏と三谷氏

戦国時代に、十河氏は三好氏と関係を深め、その勢力を拡大しました。


三好氏との繋がり
 十河氏は、三好長慶の三男である十河一存(かずまさ)を養子に迎えることで三好一族となります。この一存は「鬼十河」と呼ばれるほどの武勇を誇りました。


三谷氏の役割
 三谷氏は、十河氏と同様に植田氏の支流であり、十河氏の家臣団の一員でした。十河氏が勢力を拡大する中で、三谷氏もその活動を支えていたと考えられます。

三好氏と十河氏の衰退

三好氏の全盛期は永禄年間(1558年〜1570年頃)でしたが、三好長慶の死後、その勢力は衰退していきます。


長宗我部元親との戦い
 長宗我部元親が四国統一を目指して讃岐に侵攻すると、十河存保(まさやす、一存の養子)はこれに対抗しましたが、天正10年(1582年)の中富川の戦いで長宗我部軍に敗れ、讃岐国に撤退しました。

その後、天正12年(1584年)には十河城と虎丸城が落城し、存保は大坂の羽柴秀吉(豊臣秀吉)を頼って落ち延びています。

戸次川の戦いでの壊滅 最終的に十河存保は、豊臣秀吉の九州征伐に従軍し、天正14年(1586年)の戸次川の戦いで討ち死にしました。

十河存保の討ち死にと十河氏の滅亡

天正14年(1586年)12月、豊後国(現在の大分県)の戸次川(へつぎがわ)の戦いで、島津軍との激戦の末、討ち死にしました。

この戦いでは、長宗我部元親の嫡男である長宗我部信親(ちょうそかべ のぶちか)も討死し、豊臣方の四国連合軍は大敗を喫しました。

存保の死後、十河氏は子の千松丸(せんまつまる)がいましたが、豊臣秀吉から所領の相続を認められず、改易(領地没収)となり、大名としての十河家は滅亡しました。

千松丸のその後の消息には諸説あり、すぐに死去したと断定はできませんが、大名家としては存保の討死によって実質的に滅亡したと言えます。

瀬戸内寂聴さんの先祖はなぜ東かがわ市黒羽(くれは)に来たのか?

1584年、十河氏は、東かがわ市の虎丸城での戦いで、長宗我部元親軍に敗れました。

虎丸城が落城した後、十河存保に仕えていた三谷家の一派は東かがわ市の黒羽(くれは)に逃げのび、帰農したと考えられます。

十河城、虎丸城が落城した後、十河存保は豊臣秀吉を頼り、大阪へ落ち延びます。

この虎丸城落城後に東かがわの黒羽(くれは)に逃げ延びた十河氏系三谷家が、瀬戸内寂聴さんの先祖となります。

戦国時代には、戦いに敗れた武士やその家族が、生活のために農民になることがよくありました。

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高松藩 森家は、1583年の引田の戦いで長宗我部元親軍に敗れ森権平久村が討死にした後、黒羽の隣りの馬宿にいました。その後、阿波水軍時代の土木技術を活かして馬篠の山奥を開拓し、移り住みました。

永峰家は、先祖の永塩因幡守氏継が1467年の応仁の乱で安富元綱らと共に討死した後、帰農し、永峰姓に改姓しました。

高松藩森家の菩提寺である勝覚寺は阿波の板西城城主の赤沢信濃守宗伝の一子が1582年の中富川の戦いで長宗我部元親軍に敗れた後、命からがら讃岐の小砂に逃れてきて開基しました。高松藩森家のルーツとなる森権平久村の母がこの阿波の赤沢信濃守宗伝一族の赤沢伊賀守の娘でした。

・中富川の戦いで、赤沢信濃守宗伝が討死した板西城があった徳島県板野郡板野町古城若宮

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・赤沢信濃守が中富川の戦いで敗れた後にその一子が、逃れてきた東かがわ市の小砂(こざれ)と引田の戦いで森権平久村の亡き後、森家が移り住んだ馬篠。

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十河氏系三谷家出身の瀬戸内寂聴さん

・東かがわ市黒羽の三谷宗家

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・十河氏系三谷家の三谷影則は、天正12年(1584年)に黒羽村へたどり着いた。この年、虎丸城が落城した後、十河存保に仕えていた三谷家の一派、三谷影則は、黒羽に逃げ延びた。主君の十河存保は、豊臣秀吉を頼って大阪へ落ち延びた。

三谷宗家の分家 屋号: 甚六家が瀬戸内寂聴さんの先祖にあたる。

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・三谷宗家の分家 三谷甚六の子孫となる瀬戸内寂聴さん。瀬戸内寂聴さんは、高校生のときに三谷姓から瀬戸内姓に改姓した。

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・左端は瀬戸内イト(東かがわ市馬宿の久米通賢の子孫と結婚した)。瀬戸内寂聴さんの父 三谷豊吉さんは瀬戸内家の養子となり、徳島市の眉山前にある瀬戸内神仏具店を営んだ。右端は母と寂聴さん。

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高松藩 森家の縁者は阿波・讃岐の武士に関係する

高松藩森家のルーツは阿波水軍 森家出身の森権平久村一派


森家の菩提寺は阿波の板西城主 赤沢信濃守宗伝の一子が開基した海暁閣 勝覚寺。森権平久村の母は、赤沢信濃守一族の赤沢伊賀守の娘。

徳島藩八田家は阿波国の武士、天正年間に阿波と讃岐の国境を決める際に重要な役割を果たした。

十河氏系三谷家は、讃岐植田一族の武士。 応仁の乱では、細川勝元が率いる東軍につき、香西・安富・奈良・羽床・長尾・寒川氏らと共に、三谷氏・神内氏・十河氏の植田一族も参戦した。

永峰家のルーツは阿波の永塩氏。永塩因幡守氏継は応仁の乱で細川勝元側につき参戦した。

3. 文化・地域社会との繋がり:著名人輩出の背景

この一連の婚姻は、森家を地域の文化的・歴史的な中心地に位置づける役割も果たしました。


三谷家と文学・芸能の繋がり:

森トヨが嫁いだ三谷宗家の分家(屋号: 甚六の子孫)からは、後に著名な作家・僧侶となる瀬戸内寂聴さんを輩出しています。

また、黒羽の同系統とされる三谷家からは、戦後日本の大スターとなった笠置シヅ子さんも出身しています。

これは、森家が婚姻を通じて繋がったネットワークが、単なる旧武家同士の繋がりを超え、近代の日本の文化・芸能界にも間接的に波及する地域の旧家群の一部であったことを示しています。

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・三谷製糖

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4. 高祖父母世代の文化継承と近代の波

私の高祖父母の森喜平と八田キヨの時代は、武士の時代が終わり、近代化が始まる過渡期でした。


武家文化の継承と融和:


森喜平の孫にあたる明治生まれの大叔母・森トメノへのインタビュー記事に「武家のしつけ」が残っていたことや、祖母の八田キヨ(徳島藩碁浦御番所八田家出身)が阿波浄瑠璃の三味線が上手かったというエピソードは、激動の時代の中でも旧武家の厳格なしつけや、地域文化が色濃く残されていたことを示しています。


近代の女性の活躍: 

その一方で、八田キヨの孫にあたる大叔母の森トメノは、旧神戸オリエンタルホテルで英語を使い電話交換手のリーダーを務め、警察官と結婚するなど、明治末から昭和初期にかけて、女性が急速な近代化の波に乗って社会に進出していく姿を体現しています。

森家は、幕末の藩を跨ぐ特命婚姻で情報網の要として活躍した後、明治の混乱期には有力な旧家との婚姻を重ねて地域社会の基盤を固め、その子孫は近代日本の様々な分野で活躍していきました。

🔸昭和39年、大叔母が神戸新聞の元論説委員の古山桂子さんからインタビューを受けた際の記事。

記事内容は、武家のしつけ、阿波浄瑠璃の三味線が上手かった祖母(八田キヨ)、英語を使い旧神戸オリエンタルホテルで電話交換手のリーダーをした経験、警察官との結婚、2.26事件時の勤務、川島芳子の宿泊、神戸大空襲で自宅は全焼するも夫婦共に生き延びた体験、GHQ宿舎での勤務など。

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※森トメノ (明治39年:1906年生まれ)

曽祖父 森義右エ門 (高松藩普請方)

祖父 森喜平 (高松藩普請方)
祖母 八田キヨ (徳島藩 碁浦御番所 八田家)

父 森虎太郎 (森喜平長男)
母 永峰チヨ (黒羽城主 永塩因幡守氏継の子孫 永峰杢左衛門家の永峰市次郎の長女)

叔母 森トヨ (森虎太郎妹。黒羽 十河氏系三谷宗家の三谷磯八に嫁ぐ。瀬戸内寂聴さんは三谷宗家の分家 屋号: 甚六の子孫)

妹 森ミヤコ (黒羽の旧家 与頭を務めた永峰杢左衛門家の永峰修一に嫁ぐ。永峰家は永塩因幡守氏継/長塩備前守又四郎元親の子孫)

・阿波水軍森家の始祖は、因幡国の佐田九郎兵衛で阿南市椿泊にある佐田神社に祀られている。そのひ孫にあたる森権平久村の一派が高松藩の森家の先祖となる。

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以上

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