【タブー・不穏試合】神取忍 vs ジャッキー佐藤! ガチのセメント試合は殺気と殺伐さが漂う!

◼️1987年7月18日の神取忍vsジャッキー佐藤

●ニコニコ動画

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm24486800

●Youtube動画

1987年7月18日の神取忍対ジャッキー佐藤。 ジャパン女子プロレスでプロレスデビュー間もない頃の神取忍が、同団体のエース格だったジャッキー佐藤との試合でシュート(ガチンコ)を仕掛けた。

諸説あるが、両者の意見の食い違いが主な原因とされている。

なお、この試合前に神取は「今日はジャッキーさんを30秒で倒す」「あっという間に終わらせたらお客さんに申し訳ないから、初めの5分はジャッキーさんに合わせる。だから5分30秒かな」とシュート予告ともとれる発言をしていた。

ギブアップしないジャッキー佐藤↑

試合開始から数分後、神取が突然ジャッキーの顔面を次々と殴打し始め、ジャッキーは防戦一方に陥る。

グーで顔面を殴り出す↑

顔面を殴る神取↑

この際、異変に気付いたリングサイドのレスラーたちから「神取、何をやってるんだ」「やめろ」と怒声が上がったという。

さらに神取は戦意喪失状態のジャッキーをアキレス腱固めや袈裟固めなどで執拗に攻め立て、最後はチキンウィングアームロックでギブアップを奪った (ジャッキー佐藤はギブアップしていないが、レフリーのグラン浜田が試合を終わらした)

とにかく意地でもギブアップしないジャッキー佐藤↑

ギブアップしないためレフリーのグラン浜田が危険を察して試合を終わらせた↑

なお、これはジャッキーが喫した生涯唯一のギブアップ負けである。

後に神取はこの際のことを「関節技は全部本気で極めにいった」と明言している。

試合終了後のジャッキーの顔面は無残に腫れ上がり、極められた腕は脱臼していた。

ジャッキーはこの試合から程なくして引退しており、神取戦における惨敗が要因のひとつという評もある。

後年、神取はインタビュー内でこの試合について「ジャッキーさんの心を折るために仕掛けた」と語る一方、喧嘩マッチとして語り継がれていることに関しては「あの試合は喧嘩じゃない」と述べている。

また、最盛期のジャッキーを知る北斗晶は恐ろしい性格であるジャッキーを恐怖に追い込んだ神取は相当強いと感じたそうである。

🟣ジャッキー佐藤

本名:佐藤 尚子(さとう なおこ)

1957年10月30日 – 1999年8月9日

日本の元女子プロレスラー。

神奈川県横浜市港南区出身。

●経歴

川崎市立桜本小学校在校時から長身で、横浜市立浜中学校在学中はバスケットボール部で活躍。

その後結局は1975年3月に神奈川県立商工高等学校を2年で中退し全日本女子プロレスに入門。

デビュー戦は同年4月27日のマキ上田戦。 

1976年2月24日にマキとビューティ・ペアを結成しWWWA世界タッグ王座を獲得した。

ビューティ・ペアは「かけめぐる青春」「真赤な青春」「青春にバラはいらない」などの曲が大ヒットする。

当時のビューティ・ペア人気は凄まじく、試合前のリングで歌を披露する際はリングに紙テープや紙吹雪がいっぱいになった。

ジャッキー佐藤名義で「美しい決意」、「ポケット一杯の涙」、「もしも旅立ちなら(B面:Ciscoを探せ)」というシングルレコードも出している。

1977年11月1日にはマキが持つWWWA世界シングル王座に挑戦。この試合はビューティ・ペア同士の対決として注目され、互いに譲らず60分時間切れ、判定でタイトルを獲得。

1979年2月27日には「敗者引退」という過酷なルールでのマキとの再対決は48分7秒、エビ固めで勝ち、マキは引退、ビューティ・ペアに終止符が打たれた。

マキ引退後はモンスター・リッパーにWWWA世界シングル王座を奪われるも奪還したが、1981年2月25日のジャガー横田(当時:横田利美)戦で同王座から転落。1981年5月21日に引退式が行われた。

その後、新団体「ジャパン女子プロレス」の設立に参加。1986年8月17日、対神取忍(当時:神取しのぶ)戦で現役に復帰する。

しかし、団体内でのトラブルから神取との確執が表面化し、1987年7月18日の神奈川・大和車体工業体育館大会において行われた神取との一騎打ちが壮絶なセメントマッチとなり、敗れたジャッキーは1988年3月20日での試合を最後に現役を引退した。

●引退後

引退直後の1988年には体操教室の会社「ジャムナ」を設立する。スポーツプログラマー、ヘルスケアトレーナーの資格を取得し、中高年女性を中心に自らが考案した「ジャムナ体操」を教える。

1999年8月9日8時41分、胃がんのため神奈川県川崎市の病院で死去。41歳没。ジャッキーは死ぬまで自分の病名をマキには伝えず、マキはそのことについて「哀しいけど、いつまでもライバルとして見ていてくれたことが嬉しい」と話している。

大のタバコ好きで、にはタバコが納められた。また全女の後輩ナンシー久美とは最期まで私生活でも仲がよく、ナンシーはジャッキーの姉弟と共にジャッキーの看護・死後の諸々の後始末にもあたった。

葬儀は横浜市鶴見区の總持寺で執り行われた。

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