【タブー・不穏試合】八百長発言で解雇となったプロレス試合とは? 1991年 北尾光司 対 ジョン・テンタの試合!

北尾光司さんとジョン・テンタさんのご冥福をお祈りします。

◼️北尾 光司

(きたお こうじ)

1963年8月12日 – 2019年2月10日

三重県津市出身の元大相撲力士

元総合格闘家

元スポーツ冒険家

武道家

元プロレスラー

大相撲横綱時代(第60代横綱)の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。

2013年から腎臓を患い闘病生活を送っていたが、闘病生活を送り始めた頃から相撲界とは音信不通となっていた。

2019年2月10日、慢性腎不全のため千葉県の病院で死去。

同年3月29日に訃報が明らかになった。

55歳だった。

◼️ジョンテンタとは?

ジョン・テンタJohn Anthony Tenta

1963年6月22日 – 2006年6月7日

カナダのブリティッシュコロンビア州サレー出身の元プロレスラー、元大相撲力士

2001年4月、WWFのレッスルマニアX-Sevenで行われたギミックバトルロイヤルにアースクエイクとして出場。

2002年からは新体制になった全日本プロレスに登場。

主に天龍源一郎とのタッグで活躍したが、2004年、体調不良を機に現役を引退。

2006年6月7日、フロリダで膀胱癌のため42歳の若さで死去。

◼️1991年4月1日の北尾光司ジョン・テンタ

SWS神戸大会で北尾が全くテンタと手を合わせようとせず、目潰しの構えをとるなどして威嚇した事件。

結果としては何事も起きず未遂に終わっている(裁定は北尾の反則負け)。

だがその直後に解説席のマイクを奪った北尾が「この八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって」「お前ら、こんな試合見て面白いのか!」と暴言を発した。

この発言を翌日のスポーツ紙は問題視する形で報道、すぐにプロレス業界全体を巻き込む大問題へと発展した。

この試合の2日前(同年3月30日)にも北尾とテンタは東京ドーム大会でのシングルマッチで対戦しているが、北尾はフォール負けし、自身の試合が終わると、大会の全カード終了を待たずして会場から去ってしまう事件を起こしている。

「八百長」事件後の一部週刊誌では、この試合で、相撲時代の番付では遥かに上だった自分が、テンタ相手に「負け役」をやらされたという不満が募っていた事も事件の引き金になったのではないかと指摘されている。

北尾本人は神戸大会の試合直後、周囲に対し満足気な態度で「どうだ、盛り上がっただろう?」と話しているなど、重大なトラブルを引き起こしたとは思っていなかった様子だが、プロレス界全体を巻き込んだ影響の大きさから、北尾はこの試合を最後にSWSを解雇されている。

この事件から数年後にWARで再戦が行われたが、総合格闘家に転向していた(当時PRIDEにも参戦している)北尾は終始いきり立った様子で試合を進め、格闘技然とした展開となってしまい呆気ない幕切れとなった。

🔸八百長発言があった試合

https://m.youtube.com/watch?v=L39Ndc-X4Co

◼️北尾のSWS移籍、八百長発言

新日本プロレスから専属フリー契約を解除された北尾は、大相撲の先輩である天龍源一郎を頼って創立間もないSWSへ参戦。

参戦早々に行われた道場マッチでは対戦相手の大矢健一(現:大矢剛功)をKOし強烈なインパクトを与えた。

SWSがWWFと業務提携していたこともあり、1991年3月24日に行われたレッスルマニアVIIに天龍とタッグを組んで出場する等、活躍を期待された。

しかしながら、それから間もない同年4月1日に行われた神戸ワールド記念ホール大会での、元大相撲力士であるジョン・テンタ(ジ・アースクエイク、元幕下・琴天山)との第2戦目のシングル試合中、トラブルを起こす。

この試合では北尾は試合当初から不満げな表情を浮かべ、プロレスの試合を組み立てようとするテンタに対しロックアップすらせず、目潰しのポーズをとって威嚇する俗にいう「シュート」を仕掛けた。

この目に余る態度にテンタは激高、逆に北尾をレスリングの技術で投げ飛ばし優勢に立つ。

その後、攻めあぐねた北尾は実際に目潰し(未遂)を行い(サミングではなく人差し指と中指を突き出した非常に危険な行為。テンタが避けたため未遂に終わる)試合は完全に進行不能となる。

そのまま両者ともに臨戦ポーズをとりながらにらみ合いの硬直状態が続くが、注意へ近づいたレフェリーに北尾がローキックを浴びせ直後に反則負けが宣告された。

北尾は反則負けを宣せられた挙句、リングを降りて手にしたマイクでテンタに向かって「八百長野郎この野郎!!八百長ばっかりやりやがって!」と発言。

さらに観客に向かって「お前らこんなもの見て面白いのか!」と叫んだ。

観客の前でプロレス業界における「禁句」を連呼する北尾の姿はプロレス業界全体を騒然とさせたが、北尾本人はこの直後に満足気な態度で「どうだ、盛り上がっただろう?」と話している。

その後は「北尾事件」としてプロレス誌だけでなく一般週刊誌もスキャンダラスに報じ、天龍が「この件は私の不徳と致すところ」と当時就いていた3つの役職(取締役・「レボリューション」道場主・理事会長)に関し田中八郎社長に辞表を提出(田中は慰留)。

ザ・グレート・カブキが「北尾復帰戦はオレがやる」と発言するなど、波紋と代償は大きかった。

団体側は一旦北尾に謹慎を命じたものの、内外から批判が渦巻いたことで事態を重視、ついに北尾を解雇する決断を下した。この決定には北尾も「仕方ありません」と受け入れざるを得なかった。

◼️船木発言

北尾の没後、当時控室にいた船木誠勝が動画サイトで舞台裏を証言している。

それによると、試合直後の控室で一連の言動を注意した現場監督の田中社長夫人に対し、北尾が罵声を浴びせた上に椅子を投げつける暴挙に及んだという。

椅子が直撃していれば怪我では済まなかったこの行為に、船木は例の発言よりも悪質だったと述べている。

また田中社長本人はこの日を境にレスラーへの態度を一変させてしまったという。この件については当時は報じられていなかった。

なお、藤原喜明の証言によると、SWSサイドでは北尾を一旦解雇した後、プロフェッショナルレスリング藤原組のリングで復帰させるプランを考えており、田中社長同席のもと、藤原が北尾と面談した。

しかながら、北尾が挨拶もそこそこにノートパソコンを取り出し「私はこう言う感じで(試合を)やりたい」と自分の売り出し方をプレゼンテーションし始めたので、呆れた藤原がその場で帰ってしまい藤原組での復帰は無くなったという。

新日本プロレス、SWSと立て続けに解雇となったことで、大相撲だけではなくプロレス界でも「復帰は難しい情勢であり、事実上の永久追放」と見る関係者も多かった。

◼️北尾対テンタ

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