◼️魏志倭人伝とは?
中国の歴史書『三国志』の「魏書」第30巻の東夷伝倭人条の略称
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんびとういでん)倭人条の略称。
当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。
『三国志』は、西晋の陳寿により3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられた。
◼️魏志倭人伝における倭人
Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/魏志倭人伝
◼️魏志倭人伝の本文 URL
https://ja.m.wikisource.org/wiki/魏志倭人伝
【魏志倭人伝】男子無大小 皆黥面文身 自古以来 其使詣中國 皆自稱大夫
「男子はおとな、子供の区別無く、みな顔と体に入れ墨している。いにしえより以来、その使者が中国に来たときには、みな大夫を自称した。」
◼️縄文時代の土偶
🔸入れ墨状の文様を持つ土偶
日本の縄文時代(主に終期以降)に作成された土偶の表面に見られる文様は、世界的に見ても古い時代の入れ墨を表現したものと考えられている。
中国の歴史書には入れ墨をした中国周辺の民族(夷人、古越人、倭人など)の記述がたびたび見られることから、中国文明の周辺では入れ墨の文化が普及していたと考えられる。
弥生時代にあたる3世紀の倭人(日本列島の住民)について記した魏志倭人伝によると、邪馬台国の男はみな入れ墨をしていたという(「男子は大小と無く、皆黥面文身す」の記述)。
一方で中国では、秦の時代から入れ墨は犯罪者を区別するために行われていた。
◼️縄文人(出雲族)度合いが強い地域は島根、東北、南九州
出雲族
蝦夷
熊襲
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC223660S3A221C2000000/