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◼️出雲口伝、記紀とは異なる歴史。
出雲王国向家末裔の斎木雲州著
『出雲と蘇我王国』による神功皇后、応神天皇の正体は?
斎木氏は「出雲と大和のあけぼの」の著者で、古代出雲王朝の東王家「富家」(向家)の伝承者「富當雄」(とみまさお)氏の息子さん
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◼️辰韓(後の新羅)の王子 天日槍(アメノヒボコ) → 渡来→但馬 出石→子孫 田道間守(タジマモリ)、イトテ、神功皇后
※辰韓: 紀元前2世紀 – 356年
アメノヒボコ(天日槍)は兵庫県豊岡市の但馬国一宮 出石神社の禁足地に眠る。
🔸アメノヒボコが上陸した日和山海岸(ひよりやまかいがん)
アメノヒボコは、但馬国に住み、出石の大耳の娘 麻多烏(またお)を妻として但馬諸助を生んだ。その但馬諸助の子が日楢杵、その子が清彦、その子が田道間守(タジマモリ)。
🔸兵庫県豊岡市にある出石神社
但馬国一之宮「出石神社」(いずしじんじゃ)
辰韓から渡来してきた「天日槍・天日矛」(アメノヒボコ)を祀る神社
辰韓王の王子 アメノヒボコの子孫である神功皇后は武内襲津彦と辰韓(後の新羅)から年貢を納めさせるため三韓征伐を行なった。
武内襲津彦(武内宿禰の子孫)と神功皇后の子と言われる子が7才で夭折した為、上毛野(群馬県)の竹葉瀬ノ君を養子にした。
竹葉瀬ノ君は、宇佐神宮 宮司家の宇佐家の豊玉姫の長男だった豊来入彦の子孫にあたる。ツキヨミ信仰
神功皇后は養子の竹葉瀬ノ君を即位させた。
宇佐家の血を引く竹葉瀬ノ君が応神天皇となった。
大分県の豊前国一宮 宇佐神宮(ツキヨミ信仰)では、応神天皇(八幡神)、神功皇后を祀る。
応神天皇の父と言われる武内襲津彦→住吉神社建立→葛城へ移住、葛城襲津彦と呼ばれた。
オオサザキ大王(仁徳)と岩野姫の子がイザホワケ大王→平群王朝 倭の五王 → 武烈天皇
越前の出雲系蘇我氏のオホド王が継体天皇となった。
◼️(第146話)【継体大君オホド王の真実!】
◼️徐福=ホアカリ=ニギハヤヒ=スサノオ
◼️出雲口伝 ヤマト王権の初代大王は徐福の孫のアメノムラクモ(海部家、籠神社宮司家)
◼️プロフィール