個人的に調べている香川県の謎! いつか謎が解き明かされる時が来るといいな!

作成日: 2021/1/3

最終更新日: 2021/2/3

🟣4世紀から7世紀の高松市内の集落跡が見つかっていない謎! この時代、高松市の岩清尾山古墳群には200基もの古墳が作られたが、住んでいた住民の痕跡が見つかっていない! 

これだけの数と大規模な古墳が残っているということは、かなりの勢力をもった豪族が住んでいたはずだが、住居跡は見つかっていない。

当時は、岩清尾山は瀬戸内海に近かったから、集落は海水に流されてしまったのか、まだ高松市内の地中に眠っているのか? 

紫雲山から見た高松市

🟣香川県東かがわ市の水主神社に祀られている倭迹迹日百襲 (やまとととひももそひめ) は本当に幼少期に奈良から引田の安戸池に着き水主神社に住んでいたのか? 

東かがわ市には、由縁がある袖神社、艪掛神社、保田池が残る。高松市には宮をおいた船岡山や船山神社、田村神社が残る。 

実は、以前、水主神社の宮司である大内さんに倭迹迹日百襲は本当に水主神社辺りに住んでいたか、と聞いたことがある。2017年のことだ。その時の答えは、「倭迹迹日百襲の伝承がこの地に残っているということは、何かそういう伝承が残る何かがあったのではないでしょうか」というものだった。

倭迹迹日百襲は、現在、奈良県桜井市にある箸墓古墳に眠っているが、卑弥呼説がある。三輪大社の近くにあり、数年前に箸墓古墳を訪れた。

記紀には、倭迹迹日百襲が讃岐の地へ行ったことは書かれていない。が、香川県には倭迹迹日百襲ゆかりの話しが残っている。水不足の香川に、水の神として崇められ、弥生米を水主に伝えたとされる。船岡山のため池は、倭迹迹日百襲が作らせたとも言われ香川初のため池ではないかと言われる。

高松市の田村神社にある倭迹迹日百襲媛命と弟の吉備津彦命(桃太郎)の像

🟣静御前の母 磯禅師は東かがわ市大谷の小磯出身で、さぬき市長尾の県道10号線沿いにある墓のある辺りで亡くなったのか? 

源義経に寵愛された静御前は長尾寺で剃髪し、最期は、香川県三木町の鍛治池のほとりの静薬師庵で亡くなったのか? 

源義経が屋島の戦いで、奇襲戦法で勝利した、これは、磯禅師は地元の民から屋島に宮を置いていた平家の動きについて情報を得ていたからではないか?

源義経は、徳島から大坂山を越えて引田、白鳥、町田を通って屋島へ移動中、磯禅師の故郷の地元の有力者から平家側の情報を集めることができたのではないか?

ちなみに、当時、平家は安徳天皇をたてて六萬寺、その後、屋島東に天皇の宮が置いていた。わずかな期間ではあるが、屋島は天皇がいた宮だった!

🟣高松市の玉藻公園内のどこに松平家が祀っていた向良神社があったのか? 現在は、高松市松島町と東かがわ市湊に向良神社がある。 

向良(こうら)神社とは、讃岐三白の一つ、白砂糖の生みの親である向山周慶と関良介を砂糖神として祀る神社。

2021年元日に玉藻公園を訪れて公園職員の方に聞いたが、分からず、残念💦💦

🟣香川県坂出市の白峰山で崩御した崇徳天皇は本当に怨念を抱いていたのか? 坂出市の青梅町で、どのように暮らしていたのか? 京からの刺客である三木近安によって暗殺されたのか?

🟣香川県東かがわ市に白鳥寺跡があるが、どの程度の規模の寺で、何の宗派だったのか? なぜ後世に残されず廃寺となってしまったのか?

🟣高松市玉藻公園内にあった高松城の天守閣内部、階段の位置などの資料や写真はどこに眠っているのか? これらの資料が見つかれば天守閣の復元計画が飛躍的に進むのだが。

高松城の唯一の外観の写真は、イギリスで見つかった。

🟣高松市の屋嶋城の城壁を作ったのは、その造りや技術から判断して韓国から来た百済の民だったのではないか? 

岡山県総社市にも同じ造りの鬼ノ城が残るが、こちらは大和朝廷から派遣された四道将軍のひとり、吉備津彦によって滅ぼされた。この岡山の吉備津彦は、幼少期に香川県東かがわ市の水主神社に住んでいたとされる倭迹迹日百襲の弟である。もうひとりの弟(稚武彦)は、香川で鬼退治をしたとされる。桃太郎伝説は、岡山と香川に残っている。

歴史は、勝者によって作られる。以前、奈良県の葛城にある一言主神社を訪れたが、そこには、土蜘と呼ばれた大和朝廷に従わなかったために滅ぼされた民の墓が残っていた。

大和朝廷が、国造りの過程において、各地の有力者たちや敵対する者たちを土蜘や鬼と呼び次々と滅ぼしていった。高松の岩清尾山古墳に眠る豪族たち、総社市の鬼ノ城の民(桃太郎伝説→吉備津彦)、奈良県の葛城の民、国譲りに屈した島根の出雲の民たちは、大和朝廷軍に敗れたのだろう。

🟣香川県善通寺で生まれた空海は、中国語が流暢に話せたのではないか? だから20年間の遣唐使としての学びの期間を2年に短縮して帰ってきたのではないか? 

四国88ヶ所0番札所の中国西安にある青龍寺の恵果和尚とも中国語で会話していたのではないか?

空海の母方の阿刀氏は、日本の民ではなく、大陸から来た渡来人の子孫である。

🟣香川県東かがわ市にあった引田城には当初、生駒親正ではなく加藤清正が来る予定だったのか? 豊臣秀吉からの打診があったが、讃岐ではなく熊本を選んだのか?

🟣江戸時代、生駒騒動を起こした高松城主 生駒高俊は、極度の男色だったのか? 江戸への参勤交代に際には、若い男をはべらして、妻には無関心で、男色を好んだ。

エレキテルで有名な平賀源内も男色で陰間茶屋に通っていた話しが残る。源内の代表作は、「放屁論」である。今でも購入できる。

香川県では、現在、高松市、三豊市、東かがわ市で同性パートナーシップ制度を導入している。

 

🟣香川県さねき市出身の平賀源内は、最期は、殺人の罪で江戸の監獄に入り、中で破傷風にかかり亡くなったのか、それとも秘密裏に讃岐藩に帰って香川で暮らしたのか? 墓は東京とさぬき市の志度にある。

🟣1952年、ヘルシンキオリンピック競泳で銀メダル取得後、俳優になった高松市男木島出身の浜口喜博さんは、幼少期、潮の流れが早く危険な加茂瀬戸という男木島と女木島の間の海峡を何度も泳いで往復し、水泳に必要な運動能力を身につけたのか?

2019年、男木島を訪れた際、案内して頂いた男木島に詳しい方に、昔は男木島の子供は、男木島から女木島へ泳いで渡る授業?があったとお聞きした💦💦💦

🟣高松市の根来寺に伝わる牛鬼伝説の由来となる本当の話しは何か? 根来寺にある牛鬼の角は本物か、それとも何かの動物の角か?

2018年、根来寺を訪れた際に牛鬼の角を見れないか、聞いてみたが、お寺の奥に祀ってあり見れないと言われた。

江戸時代の初め頃、この地には牛鬼がいて人や家畜に危害を加えていた。

そこで弓の名手であった山田蔵人高清に退治を依頼した。高清は3本の弓で見事に牛鬼を退治した。

高清は退治した牛鬼の角を切り取り、根香寺に奉納し菩提を弔ったと伝えられている。

現在でも、根香寺にはその牛鬼の角と呼ばれるものと、牛鬼の姿が描かれた掛け軸が伝わっている。

この牛鬼のストーリーの背景となった事件は? 山に住んでいた盗賊のような存在がいたのか?

🟣平安時代、今で言う知事、国司として香川県に京都から赴任して来た菅原道真は四年間、どんな暮らしをしていたのか?

🟣高松市の八栗寺境内には、なぜ歓喜天 (象の神様ガネーシャ)を祀っているのか?

夢を叶える像、と言われるガネーシャの現世利益を叶えるパワーは凄まじいが、それ相応のお礼をしないと酷い目に遭うから気をつけないといけない。生半可な気持ちで、何かをお願いしない方が良い。

2018年の1月か2月だったと思うが、朝の5時半くらいから八栗寺まで真っ暗な中、歩いて登った。

道中、前からカーンカーンという音が聞こえてきた。すると杖を持った少し足をひきずって歩く山伏のような格好をしたその老人とすれ違った。こんな朝に不思議な人だな、修業でもしていたのかなと気になって後ろを振り返るとその老人の姿はなかった。

その日、中将坊大権現に行く階段を登ろうと思っていたら、中将坊のほうからなにやら大きい声が聞こえてきた。もの凄く大きな声で、聞いたこともないお経でもない何か吠えているような声を聞いた。その声がとまってから階段を上がる途中、ひとりの老人とすれ違った。この方は、かくしゃくとしていて大きな声で、おはようございます、と挨拶してきたので、挨拶した。その後、階段を上がっている途中、山の中からガサガサガサガサと音がしたかと思ったら、瞬間的に、その何かが中将坊大権現の社の裏辺りに移動してガサガサ音をたてた。落ち葉がガサガサ言う音だ。イノシシかと思ったが、動物なら移動途中の落ち葉を踏む音の聞こえるはずだし、50mくらいの急な坂道を本当に一瞬で移動した。イノシシや他の動物でもあの速さで瞬間的に移動するのは物理的に無理だ。しかも姿が見えない。音だけがした。不思議なことに遭遇したなぁと思って、境内まで降りて行き、お守りを買う際に、その話しをすると、「お山では不思議なことがよくおこる」、と言う。

お山と言う単語を聞いたとき、奈良県桜井市で三輪山に登った時のことを思い出した。三輪山では、お山で起こったことは他言してはいけないし、山の草木一本、石一個でも持ち帰ってはいけない、など色々なルールがあることを思い出した。余談になるが、これまで4回ほど三輪山に登ったが、そのうち一回は、頭がぐるぐる、ぐるぐる回って登りだしてから、500mくらいで進めなくなった。暑くなったので、ちょうど服を脱いだのだか、社務所で渡された、決してお山では、はずしてはいけないと言われた、鈴がついた首輪のようなものを着替える際に外してしまったあとに、頭がぐるぐる、ぐるぐる回りだしてそれ以上、歩けなくなった。それで引っ返した。健康で身体の調子も良いのに不思議だった。山を降りるとすぐに治った。社務所の宮司の方にそのことを話すと、少し怪訝そうな顔を一瞬された。身体の調子が悪かったノでは、と言われたが、健康の旨を伝えると、さぁ、なぜか分からないと言う雰囲気だったので、それ以上聞くのはやめた。

神社で、少し怪訝そうな顔をされたと言うと、京都府宮津市の真名井神社を奥の院とする籠神社に行った際、カゴメ紋の六芒星の社紋を石碑に刻んでいたのになぜ変えたのか、聞いたときも、社務所の方にそのような反応を受けた。世の中には、聞いてはいけないことがあるのだ。

八栗寺の中将坊の話しだが、その方に歓喜天の中に入ってみないかと言われ、誘われるままに歓喜天さまの中に入ったのだが、そこでちょっと怖い話しを聞くことになる。

この続きは、また次回書こうと思う。

🟣2018年1月28日 早朝、五剣山登山

「お山では不思議なことがよくおこる」

香川県高松市牟礼町 八栗寺:

朝の6ごろ香川県高松市牟礼町にある八栗寺まで歩いて登った。

八栗寺内にある中将坊御堂ちかくまで行ったとき、御堂の右斜め上付近あたりで、人が山道を歩く音(落ち葉のうえを歩く際のザクザクという音)を聞いたが誰もいないし、姿も見えない。

音がするあたりまで近寄って目を凝らして見てみると、その音が左上の中将坊のお堂の真上あたりへ瞬間的に移動した。

この後、お守りを買う際に八栗寺の職員の方に、「先ほど、中将坊堂の上あたりで人が歩く音を聞いたが、姿が見えない、近寄ると物音が瞬間てきに移動した、サルかイノシシでもいるのか」と訪ねてみると、その方が言うには、イノシシはいるにはいるとのこと(だがその姿はなかった)、この寺で働いていると不思議な体験はよくあるとのこと。お山なので山を守る何か神のような存在はいるのだろうとのことだった。

また、その方の説明では、ここ五剣山の中将坊は讃岐三大天狗のひとりで、あとのふたりは五色台にある白峰山の相模坊と琴平にある象頭山の金剛坊だそうだ。

帰宅してから、物音が聞こえている際中に撮った中将坊御堂の写真を見てみるとお堂の上に何やら長い鼻の天狗??ような感じのものが現れているではないか。

このように見えるのは先入観からだとは思うが、あの物音の正体は一体なんだったのか未だ謎である。

中将坊絵図

🟣香川県高松市の屋島寺境内にある宝物館内には、那須与一の子孫の方から寄贈された源氏の白旗がある。

那須与一は源義経と共に大阪から徳島県の勝浦に到着し、大坂峠を越えて東かがわ市に入り屋島にたどり着いたのか?

源平合戦後の那須与一の足跡は不明。

『吾妻鏡』など、同時代の史料には那須与一の名は見えない。 そのため、与一の事跡は軍記物である『平家物語』や『源平盛衰記』に伝わるところが大きい。

<参考> 大阪府羽曳野市の壺井八幡宮にある源氏の白旗

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