【タブー・香川県の牛鬼】四国八十八箇所霊場 根香寺の牛鬼伝説とは? 牛鬼を退治した山田蔵人高清の甲冑と墓の存在! 牛鬼の角の保管場所は? 牛鬼の正体とは?

◼️根香寺(ねごろじ) とは?

香川県高松市中山町にある天台宗単立の寺院。

五色台の青峰(標高449.3m)の中腹(標高365m付近)に位置し四国八十八箇所霊場第八十二番札所で霊場中10番目の高さ。

本尊は千手観音。

紅葉の名所で、その期間は駐車場が渋滞する。

◼️歴史

寺伝によれば、空海(弘法大師)が弘仁年間(810年 – 824年)にこの地を訪れ五色台の五つの峰に金剛界の五智如来を感得し密教の修行にふさわしい台地であるとし、その一つである青峰に一宇を建立し五大明王を祀り「花蔵院」と称し、衆生の末代済度を祈願する護摩供を修法をしたと伝えられている。

その後、円珍(智証大師)が天長9年(832年)に訪れたさい、山の鎮守である市之瀬明神の化身の老翁に、蓮華谷の霊木で観音像を造り観音霊場の道場をつくるよう告げられた。

すぐさま円珍は、千手観音像を彫像し「千手院」を建てて安置した。

この霊木は香木で切り株から芳香を放ち続けたことから、この2院を総称して根香寺と呼ばれるようになったという。

後白河天皇から勅願所として帰依も厚く繁栄したが、寺記によると永正以来海賊が大蜂起し、伽藍ほか焼かれたとされる。

しかし、慶長年間に高松城主・生駒一正が復興、さらに寛文4年(1664年)高松藩初代藩主松平頼重が再興した。

なお、このとき真言宗から天台宗に改宗された。

◼️重要文化財

木造千手観音立像 – 桜材の一木造りで漆箔、163.3cm平安時代の作。

この寺の本尊である。

33年に一度開扉の秘仏で次回は2036年の予定。

昭和30・2・2指定

◼️牛鬼伝説

江戸時代の初め頃、この地には牛鬼がいて人や家畜に危害を加えていた。

そこで弓の名手であった山田蔵人高清に退治を依頼した。

高清は3本の弓で見事に牛鬼を退治した。

高清は退治した牛鬼の角を切り取り、根香寺に奉納し菩提を弔ったと伝えられている。

現在、根香寺にはその牛鬼の角と呼ばれるものと、牛鬼の姿が描かれた掛け軸が伝わっている。

●牛鬼の掛け軸

●牛鬼の角

2018年、根香寺を訪れた際に社務所で、牛鬼の角を見れないか聞いてみたが、お寺の奥に祀ってあるため見れないとのことだった。

●山門の外に建てられた牛鬼の像

◼️牛鬼(うしおに)伝説

今から400年以上前、根香寺がある青峰山に牛鬼という怪獣が住んでいて人畜を害していた。

人々は大変困り、弓の名手 山田蔵人高清(現在の香川県塩江町に住んでいた)にたのんで退治してもらうことになった。

高清は、毎日弓矢を持ち、山中を隈なく探したが見つからない。

さすがの弓の名人も困り、根香寺本尊に、怪獣が現れるよう21日間の願をかけ、一心に祈った。

やがて、21日目の満願の日、崖下にピカッと光るものを見つけた。

それは、大きな皿のような目の牛鬼だった。

高清は、素早く矢のねらいを定めて射た。

矢はまっしぐらに飛び命中したが、牛鬼は怒り、高清めがけ飛びかかろうとした。

そこで、二の矢、三の矢と続けざまに射たところ、その三の矢が、牛鬼の口の中に刺さり、ギャーと悲鳴をあげた。

あまりの悲鳴の大きさに驚く間に、牛鬼は姿を消してしまった。

高清は、血のあとをたどっていき、定が渕というところで死んでいるのを見つけた。

高清は、牛鬼の角を切り取り、人々からお礼にもらった米15俵をそえて、根香寺に奉納し、菩提をとむらったという。

その角は、今でも根香寺に残っている。

また、いつの頃からか、牛鬼の絵姿は、不思議にも魔よけの効能があるといわれるようになった。

山田蔵人高清のお墓は、香川県塩江町に現存する。

掛軸と角は、牛鬼の姿と角として根香寺に伝わる。

この掛軸と角は、展示場所や管理等の問題により、一般公開されていない。

◼️山田蔵人高清の甲冑と最明寺

●最明寺の住所: 香川県高松市塩江町安原下第1号274

https://www.pref.kagawa.lg.jp/documents/7798/news53.pdf

◼️山田蔵人高清の墓

山田蔵人高清の墓は塩江町岩部東地にある。

●住所 : 香川県高松市塩江町安原上718

長さ二間、幅二尺、厚さ八寸心柱の墓が建てられ、正面に梵字で「阿字」と「光明真言」および「圓密院弓清居士 文禄三甲午年(1594)二月二日歿」と彫られている。

裏に「弓天下 山田蔵人高清墓所」と刻まれている。

墓の家紋は丸に二の二つ引両紋

◼️牛鬼の正体は?

●牛鬼伝説は日本各地に残る。

牛鬼の正体はなんだったのだろうか?

青峰山に籠った山賊の類

縄文人の子孫

サンカの民

土蜘蛛の子孫

だったのか?

ヤマト王権に抵抗し、まつろわぬ民とされた土蜘蛛と鬼。その子孫が山中で暮らしていたが、里人と対立し、その退治を讃岐の領主に命じられたのではないだろうか? 或いは山に住みついた山賊の類が里人に危害を加えるため、その征伐をしたのではないだろうか?

●【宇和島の牛鬼祭り】愛媛県宇和島の牛鬼の起源伝承としては、加藤清正が朝鮮出兵の際に敵を威圧するために用いたのが始まりであるとか、大洲太郎が赤布で牛鬼を作って敵を退治したなどと、様々な起源伝承が各地にある。

讃岐の山田蔵人高清も朝鮮出兵している。

◼️土蜘蛛

●佐脇嵩之『百怪図巻』の「うし鬼」

●鳥取県 水木しげるロードの牛鬼

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