【一本の筋】泉房穂さん、元明石市長、貧しい家庭に生まれ、弟が障がい者、根性で東大現役合格、司法試験突破! 貧困者を救う為に政治家に!

◼️【魂の叫び】泉房穂 元明石市長/貧しい家庭に生まれるも、自力で東大合格/障がい者への強制不妊手術…差別貧困救う為政界へ

◼️泉 房穂(いずみ ふさほ)さんとは?

1963年〈昭和38年〉8月19日 –

日本の政治家、弁護士、社会福祉士。

明石市長(3期)、衆議院議員(1期)等を歴任した。

◼️来歴

兵庫県明石市二見町生まれ。

生家は代々漁師をしていた。

明石市立二見小学校、明石市立二見中学校、兵庫県立明石西高等学校卒業。

高校時代は生徒会長を務めた。

1982年、東京大学文科二類に入学。

東大在学中は駒場寮の寮委員長を務めていた。

1年留年し、1987年に同大学教育学科教育哲学・教育史コース卒業。

同年、日本放送協会(NHK)に入局。

NHKを退職後、テレビ朝日社員(『朝まで生テレビ!』を担当)や石井紘基民主党衆議院議員の秘書を経て、司法試験に合格。

司法修習(49期、1995年修習開始)の同期に橋下徹元大阪市長がいる。

その後、神戸市や明石市で弁護士事務所を開設。

◼️衆議院議員

2003年、第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で兵庫県第2区から出馬。

選挙区では公明党の赤羽一嘉に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選を果たした。

2005年の第44回衆議院議員総選挙でも兵庫県第2区から民主党公認で出馬したが、再び赤羽一嘉に敗れ、比例復活もならず落選。

その後、明石市内の弁護士事務所にて、弁護士としての業務を再開する。

2007年に社会福祉士の資格を取得した。

◼️明石市長

2010年12月17日、明石市議会の問責決議を受けた北口寛人市長は議会答弁で翌年の市長選への不出馬を表明した。

2011年1月23日、福祉団体で構成する「21世紀型の福祉のまち明石を実現する会」は、泉に任期満了に伴う市長選挙への立候補を要請。

同年2月3日、市議会の4つの会派「新政会」(7人)、「公明党」(6人)、「民主連合」(3人)、「清風会」(3人)は兵庫県東播磨県民局長の宮野敏明に立候補を要請した。

2月26日、泉は正式に出馬表明した。そして事務所を同市天文町2丁目に構えた。

同年4月24日執行の明石市長選挙に無所属で立候補。

民主党・自民党の推薦と井戸敏三兵庫県知事の支援を受けた宮野を69票差の接戦の末破り、初当選した。

宮野の応援演説に告示後4回入った井戸は「推薦団体を足してみればもっと楽にいくと思っていた。

明石のことはよくわからない」とコメントした。

同年5月1日、市長就任。

2015年4月26日執行の明石市長選にて、自民党推薦で元県議の榎本和夫、出版社経営者増田幸美の2候補を破り再選。

任期満了に伴う市長選(2019年4月21日実施)へ3選を目指して出馬を表明していたが、2019年1月28日に後述の不祥事が報道で明らかとなった。

2月1日、責任を取る形で辞職を表明。同年2月2日に明石市議会の臨時本会議により全会一致で辞職が承認された。

2019年3月17日執行の出直し選挙にて、元市長で前県議の北口寛人、共産党の公認を受けた元県議の新町美千代の2人を圧勝で破り、3回目の当選を果たした。

2019年4月14日、任期満了に伴い第19回統一地方選挙の明石市長選挙に出馬。他に立候補者がいなかったため無投票で4選[18]。

2022年10月12日、市議会で不祥事に関する問責決議案が可決されたのち、次期市長選挙をはじめとする各選挙への立候補をせず、政治家を引退する意向を示した。

なお、「政治と関わるつもりはある」とし、「明石もそのほかも含めてしっかりと(中略)政治を良くしていきたいというような(思いは)変わっていない」と市議会後の記者会見で述べた。

同年11月10日、翌年の第20回統一地方選挙に向けて11月中にも明石市を拠点とする地域政党を設立し、代表に就任すると明らかにした。

同年、政治団体「明石市民の会」を設立。

2023年4月23日執行の明石市長選挙にて、泉の後継指名を受けた元市議の丸谷聡子が自民、公明の推薦を受けた元市議の林健太らにダブルスコア以上の票差で圧勝。

同日執行の市議選においても泉が擁立した新人5人全員が当選した。

選挙後、泉は4月末を区切りとして明石市民の会を解散すると明らかにした。

◼️明石市長退任後

明石市長退任後、泉は2023年7月の兵庫県三田市市長選挙、9月の岩手県知事選挙と東京都立川市市長選挙、10月の埼玉県所沢市市長選挙でいずれも非自民候補を応援し、当選に導いた。

11月30日、泉はX(旧twitter)上で「自分としては、『所沢市長選での勝利』をもって、いったん区切りとの思いで、その後の依頼はすべてお断りしている」と記し、同年12月の江東区長選挙や、翌年の京都市長選では特定候補の応援をしない意向を表明。「次は『国政そのもの』をどうするかの段階だと思っています」とも記し、国政への再進出に含みを持たせた。

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