サンカ (山窩) の子孫の方に面談した記録書籍とは? 日本にはツチグモ、アシア族、温羅(うら)と呼ばれる謎に包まれた人達がいた!

🟣日本には、その昔、身元がよく分からない人々が住んでいた。

ツチグモやサンカ、平安時代に編纂された「新撰姓氏録」でどこの氏族にも属さなかった人たち、六甲山系の金鳥山でカタカムナ神社の御神体としてカタカムナ文字を守り受け継いできた平十字(ひらとうじ)の一族と天皇家となる天孫族との戦いに敗れたアシア族、岡山県の鬼退治伝説に関係する山に住み着いたウラなど。

🟣サンカは、日本にかつて存在したとされる放浪民の集団である。本州山地に住んでいたとされる。

その定義については後述のように激しく論争されてきた。呼称は日本の警察による便宜上のものであり、差別用語としても使われる。

●生活形態

定住することなく狩猟採集によって生活する。を生産することでも知られ、交易のために村々を訪れることもあった。職業の区別もあり「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた。また「ミナオシ」、「テンバ」と呼ばれるサンカは、かたわらささらの製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。

私的所有権を理解していなかったため、日本人の村人からは物を盗んだ、勝手に土地に侵入したと批難されることも多かった。拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)を回遊し生活しており、人別帳や戸籍に登録されないことが多かった。

サンカは明治期には全国で約20万人、昭和に入っても終戦直後に約1万人ほどいたと推定されているが、実際にはサンカの人口が正確に調べられたことはなく、以上の数値は推計に過ぎない。

日本語を使用するが、一部の単語では独特なサンカ語を使用する。

サンカから、歌手や漫才師などの芸能人、スポーツ選手、T首相などが出ていると言う話しを、サンカの子孫がしていた。

🟣土蜘蛛土雲(つちぐも)は、上古日本においてヤマト王権大王天皇)に恭順しなかった土豪たちを示す名称である。各地に存在しており、単一の勢力の名ではない。また同様の存在は国栖(くず)八握脛八束脛(やつかはぎ)大蜘蛛(おおぐも)とも呼ばれる。「つか」は長さを示す単位であり、八束脛はすねが長いという意味である。

近世以後は、蜘蛛のすがたの妖怪であると広くみなされるようになった。

土蜘蛛は古代、ヤマト王権側から異族視されていており、『日本書紀』や各国の風土記などでは「狼の性、梟の情」を持ち強暴であり、山野に石窟(いわむろ)・土窟・堡塁を築いて住み、朝命に従わず誅滅される存在として表現されている。

「神武紀」では土蜘蛛を「身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)と相にたり」と形容し、『越後国風土記』の逸文では「脛の長さは八、力多く太だ強し」と表現するなど、異形の存在として描写している場合が多い。

●2015年頃に、奈良県御所市にある一言主神社を訪れた際、ツチグモを葬った跡が数か所残されているのを見た。それ以来、ツチグモの正体について調べていたのだが、最近、下記のような動画を見つけて謎がとけたような気がした。

🟣『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。

および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などを記述するものであるが、主として氏族の改賜姓が正確かどうかを判別するために編まれたもの。

本書には、全部で1182氏姓が記録され、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に3分類されている。

●皇別

筆頭にあげられた「皇別」の姓氏とは、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。代表的なものは、清原などがある。皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。

●神別

「神別」の姓氏とは、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。

「天神」に分類された姓氏は藤原大中臣など246氏、「天孫」は尾張出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇弓削など30氏がある。

●諸蕃

「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、大蔵など326氏が挙げられている。諸蕃氏族は、さらに5分類され、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「加羅」として9氏、「」として163氏それぞれ挙げられる。

●これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。

●内容

30年の時を経て待望の復刻! 高橋良典が秘密の暗号文書『新撰姓氏録』に挑み、エジプト?インド?日本人の真のルーツをカミングアウトした名著! 
アナグラムに秘められた“暗号解読の完全攻略マニュアル” これであなたも真実の歴史の発見者! 

何事もまず疑え! 自分の頭で考えよ! 疑問のないところに進歩はない! パワフルに突き進み、次々と謎を解き明かす名探偵・高橋良典のアナグラム・テクニックには目からウロコ! 専門書に書かれた恐ろしく非科学的な記述に惑わされるな! 

・平安初期、嵯峨天皇のもとでまとめられた天皇家監修の由緒正しき『新撰姓氏録』 
・それは、日本の有力士族の家系由来記のはずだった… 
・しかし、そこにはとんでもない秘密が隠されていた! 
・古代天皇家と日本の有力士族の秘密の〝暗号文書〟 
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・“クルの宝”を求めて侵入してきたアーリア人は、神々が築きあげた高天原文明に破滅をもたらした… 
・地球の迷宮・アガルタの地下都市に隠された古代宇宙文明の遺産〝クルの宝〟は、今や我々の目の前にある!

🟣温羅(うら/おんら)は、岡山県南部の吉備地方に伝わる古代の

伝承によると、温羅は異国から飛来して吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したという。吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたが、温羅はヤマト王権が派遣した武将から逃げおおせて倒せなかった。

このため崇神天皇(第10代)は孝霊天皇(第7代)の子で四道将軍の1人の五十狭芹彦命を派遣した。

討伐に際し、五十狭芹彦命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。温羅に対して矢を1本ずつ射たが温羅はその都度石を投げて撃ち落とした。

そこで命が2本同時に射たところ、1本は撃ち落とされたが、もう1本は温羅の左眼を射抜いた。すると温羅はに化けて逃げたので、五十狭芹彦命はに化けて追った。

さらに温羅はに身を変えて逃げたので、五十狭芹彦命はに変化してついに捕らえたところ温羅は降参し「吉備冠者」の名を五十狭芹彦命に献上した。これにより五十狭芹彦命は吉備津彦命と呼ばれるようになった。

討たれた温羅の首はさらされることになったが、討たれてなお首には生気があり、時折目を見開いてはうなり声を上げた。気味悪く思った人々は吉備津彦命に相談し、吉備津彦命は犬飼武命に命じて犬に首を食わせて骨としたが、静まることはなかった。

次に吉備津彦命は吉備津宮の釜殿の竈の地中深くに骨を埋めたが、13年間うなり声は止まず、周辺に鳴り響いた。ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、温羅の妻の阿曽媛に釜殿の神饌を炊かせるよう告げた。

このことを人々に伝えて神事を執り行うと、うなり声は鎮まった。その後、温羅は吉凶を占う存在となったという(吉備津神社の鳴釜神事)。この釜殿の精霊のことを「丑寅みさき」と呼ぶ。

  • 温羅(うら)「吉備冠者」「鬼神」とも。鬼ノ城を拠点とした鬼。渡来人で空が飛べた、大男で怪力無双だった、大酒飲みだった等の逸話が伝わる。出自についても出雲渡来説・九州渡来説・百済渡来説・加耶渡来説・新羅渡来説など複数の伝承がある。
  • 阿曽媛(あそひめ)温羅の妻。阿曽郷(現・総社市阿曽地区)の祝の娘。
  • 王丹(おに)温羅の弟。

🟣利田 敏 著 

「サンカの末裔を訪ねて―面談サンカ学 僕が出会った最後のサンカ」  (サンカ学叢書)

●内容

河原や山中にセブリバを造り、一箇所に定住せず箕作りを生業とする漂泊の民「サンカ」。その末裔が今日も現存していた!!三角寛の『サンカ社会の研究』にも登場する、埼玉県の荒川支流で暮らしていた「松島兄妹」、静岡県の三島で穴居生活をしていた「最後の駿豆サンカ」他、豊富なインタビューから、次々と明らかになる「サンカ」の生活。時代を超えて人間の「生の本質」に迫る“目からウロコ”のフィールド報告。

●著者略歴

利田 敏
1962年東京都生まれ。東京大学理学部卒業後、テレビ朝日入社。「ザ・スクープ」「ニュースステーション」などのディレクターを経て、現在は「スーパーJチャンネル」担当。『歴史民俗学』誌上で「サンカ」に関するフィールドワークの報告を続けている。

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🟣幻の民サンカ其の42 サンカの事情と特徴その六

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🟣サンカの末裔の方に関する記事

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