源義経に寵愛された静御前と母、磯禅師の終焉の地を訪ねて! Part1 (香川県さぬき市長尾町、鼓渕、磯禅師の墓)

作成日: 2020/11/17

最終更新日: 2020/11/17

🟣訪問日: 2020/11/17 (火曜日)

最近の運度不足解消もかねて、香川県郷土史研究のフィールドワークとして、香川県さぬき市長尾、香川県木田郡三木町にある磯禅師と、その娘で源義経に寵愛された静御前の終焉の地を訪れた。

この日は、11月というのに気温が20度以上あり、半袖でも充分過ごせる暑さだった。

🟣プロローグ 磯禅師と静御前

●磯禅師(いそのぜんじ)とは?

現在の東かがわ市丹生(にぶ)の小磯で生まれた。

磯禅師は、この地の豪農だった長町庄左衛門の娘イソだと言われている。(長町家一族は、村上源氏の末裔という説がある。)

磯禅師の生家跡は、農耕地になっている。その片隅に、「静御前の母 磯野禅尼 出生の地」の標柱が建っている。 昔は、畑の真ん中に化粧井戸があったようである。家の裏には古い祠があり、磯野禅師の祠と伝えられている↓

平安時代、この小磯の辺りは貴族の荘園であったことが縁で、イソは12歳のときに京都へ渡り、舞の道に入った。

藤原道憲(ふじわらのみちのり)に従って舞楽の一種を極め、禅師の称号を授けられ磯禅師となった。

その舞いは、蝙蝠(かわほり)と呼ばれる扇子の一種を持ち、立烏帽子(たてえぼし)、白い水干(すいかん:当時の下級役人の普段着)に長袴で、太刀を腰に差した男装で舞うもので、白拍子(しらびょうし)の始まりといわれている。

●静御前(しずかごぜん)とは?

平安時代末期から鎌倉時代初期の女性、白拍子。

母は白拍子の磯禅師。

磯禅師の娘、静は母に似て美しく、幼少より舞を修めた。(静は、御白河法皇と磯禅師の間にできた子という説がある)

静は、13歳で宮中節会(せちえ)に奉仕することを許され、後白河法皇から神泉苑での雨乞いの舞を日本一と賞賛された。

義経は、一の谷の合戦に勝利して京都へ凱旋した頃、後白河法皇から静を与えられる。

このとき静は16歳だった。それからほぼ1年後、義経は少数の軍勢にもかかわらず、電撃作戦により屋島の戦いで平氏を打ち破った。

義経が未知の地で勝利を得ることができたのは、徳島県の大坂峠から東かがわ市の引田、白鳥、丹生を通り屋島へ向かう途中、静御前の母、磯禅師の出身地である丹生が、義経の情報収集拠点になっていたのではないかと言う人もいる。

寿永4年(1185) 、下関「壇ノ浦」の戦いで源義経は平家を滅ぼした。

しかし、その後、義経は兄の源頼朝に追われる身となる。


義経は、愛妾の静御前を連れて吉野山に逃れようとするが、女人禁制の山のため同行することができず、静と別れざるを得なかった。

このとき、義経は静に形見として、”初音”という名器の鼓を与えた。

この鼓は、重源僧上が唐から持ち帰って天皇に献上され、その後、後白河法皇より平清盛に下賜されて平家の家宝となっていたが、屋島合戦のとき檀の浦(屋島の壇の浦)の波間に漂っているところを伊勢の三郎が見つけて義経に献上したという鼓。

後に、源義経への想いを断ち切るために、この鼓を捨てた泉の渕には「鼓渕」の碑が立っている。(香川県さぬき市長尾町。琴平電鉄の長尾駅近く) ↓


奈良の吉野山で、義経一行と別れた静は京都へ戻る途中で捕らえられ、神奈川県の鎌倉へ護送されて義経の行く先を厳しく問い質されるが、頑として応じなかった。

静が、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮において奉納舞を懇請され、頼朝をはじめ多くの武将が居並ぶ中で、義経を想い慕う歌を唄いながら舞ったというエピソードはよく知られている。

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吉野山峰の白雪ふみわけて  

入りにし人の跡ぞ恋しき
  

しづやしづ賎のおだまきくり返し  

昔を今になすよしもがな
 

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このとき静は懐妊6が月の身で、その後、義経の男児を産むが、その日の内に命を断たれた。

静は、文治2年(1186)9月中旬、神奈川県の鎌倉から京都へ帰ることを許され、傷心のうちに母と共に京都の法勝寺の一室に一時身を寄せた。

その後、翌年の春から夏にかけての頃、母と共に母の故郷である讃岐の国へと向かった。


讃岐へ帰ってからの静は母の生家、香川県東かがわ市小磯の長町家の屋敷でしばらく静養していたが、すでに母の両親は他界しており、母と共に寺社遍歴の旅に出た。

お遍路の旅に出た親子は、志度寺や八栗寺、屋島寺、六万寺など屋島合戦ゆかりの寺々などで、義経の戦いの跡を偲ぶとともに、そこで亡くなった将兵たちの菩提を弔った。


そして、文治4年(1189)3月20日、長尾寺(四国霊場第八十七番札所)に参拝したとき、9代住職の宥意和尚から「いろはうた」などによって世の無常を諭さされ、母とともに得度を受け、剃髪して尼となった。

母は磯禅尼、静は宥心尼と名乗った。

この後、義経からもらった形見の鼓を煩悩の種と思い切って川へ捨てた。

長尾寺の境内に、静御前が剃髪した際の髪が埋められている剃髪塚がある。


それからの静は母の縁者がいたといわれる現在の香川県木田郡三木町井戸中代(なかだい)に行き、鍛冶池(かじいけ)という池の畔にささやかな草庵を結んだ。

その後、静と母は、京都から追ってきた静の侍女であった琴路(ことじ)と共にひたすら念仏三昧の月日を送った。

この静薬師庵は、香川県木田郡三木町の鍛治池のほとりに今も残る。静御前、静御前の子、侍女の琴路の墓がある。


建久元年(1190)11月、母の磯禅尼は長尾寺からの帰りに、井戸川のほとりで倒れ、69歳で亡くなった。この場所は、長尾駅から歩いて10分くらいの県道10号線沿いにある。

1年余りの後、静も母の後を追い24歳でこの世を去った。

静が亡くなってから7日目の夜、琴路もまた後を追うように鍛冶池に入水して相果てたと伝わる。

東かがわ市に静御前の母、磯禅師の出生地がある! 源義経は屋島の戦いの際、東かがわ市で平氏側の情報を得ていたのでないか?

🟣高松市の琴平電鉄 瓦町駅 → 長尾駅

2020/11/17、午前10:33に、高松市の琴平電鉄、瓦町駅出発。

高松市の瓦町駅からさぬき市の長尾駅は、33分かかる。

今回の目的地は、長尾寺、磯禅師の墓、鼓渕、弁慶の馬の墓、静御前の墓、静薬師庵。

高松市 琴平電鉄の瓦町駅構内。讃岐弁のポスター

🟣長尾駅

🟣長尾駅前の観光案内図

🟣長尾駅

🟣長尾駅から鼓淵 

非常に見つけにくい‼️ ので長尾駅から鼓淵までの写真を貼っておく。

まず、長尾駅を南に下ると下記のたばこ店が見える。そこを右に曲がり、直進する。県道10号線までは行かない。

↑長尾駅を南へ下ると、左手に見える社。

たばこ店を右折し、2-3分、直進すると下記の四つ角がある。その四つ角を右に曲がると、すぐ右手に鼓淵がある。逃しやすいので注意! 新しい住宅地のそばに立っている。

前方に琴平電鉄の踏切が見える、

🟣磯禅師の墓

🟣長尾駅を北へ向かい県道10号線を右に曲がり西へ8-10分くらい歩くと、右手に磯禅師の墓が見えてくる。

交通量が多く、狭い県道なので写真を撮る際は注意が必要!

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