【タブー】織田信長のルーツは忌部氏で福井県の劔(つるぎ)神社の神官だった! 先祖の平親真は忌部親澄の実子! 信長は劔神社を氏神として崇敬し神領を寄進! 長篠合戦図屏風に信長と六芒星の着物を着た忌部氏が描かれている!

🟣織田信長のルーツには、平氏や藤原氏説などがあるが、先祖は福井県丹生郡越前町織田にある劔神社の神官の家系だった。

🟣日本経済新聞より

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●信長のルーツ、平氏ではない? 福井に始祖の墓

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG01043_U1A101C1CR0000/

法楽寺で60年以上前に見つかっていた石造物。「親真」の名が彫られていて墓の一部と分かった(福井県越前町)

福井県越前町の法楽寺で60年以上前に見つかっていた石造物に記された銘などを調査していた同町教育委員会は、信長ら織田氏の始祖とされる「親真」という人物の墓の一部と分かったと発表した。

親真は平清盛の子孫とされ、信長の出自も平氏との説が根強いが、墓に刻まれた没年と系図から考えられる親真の生年には100年以上の開きがあることが判明した。

町教委は「織田氏は平氏ではなく、真のルーツは町ゆかりの忌部氏」と指摘している。

五輪塔と呼ばれる墓の一部で、一辺約20センチの立方体だったとみられるが、半分が欠けている。

これまで詳しく調べられていなかった。左側面に「親真」の名と「正應三(1290)年庚刀二月十九日」と没年月日が彫られており、裏面に孝行な子を意味する「孝子」の銘がある。

町教委は、石材や銘文の配置などの特徴が、没年の鎌倉時代後期のものと合致することを確認。同年に親真の子が建てた墓と判断した。

町教委の堀大介学芸員は平氏説について「信長を作為的につなげるため、親真を系図上で利用したと考えられる」と指摘し、「劔神社の神官だった忌部氏が織田氏の先祖である可能性が高くなった」とした。

いずれの説でも、親真は信長の十数代前の先祖に当たるが、同町織田に伝わる系図では、親真は忌部親澄の実子とされ、系図と墓の没年の食い違いも小さいという。

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忌部氏とは?

忌部氏のち斎部氏(いんべうじ)は、古代朝廷における祭祀を担った氏族。

天太玉命を祖とする流れと、天日鷲命を祖とする流れ(阿波忌部)、天道根命を祖とする流れ(紀伊忌部、讃岐忌部)の三種が有名で、いずれも神別(天神)に分類される。

🟣長篠の合戦を描いた屏風絵に馬に乗った織田信長の周りに忌部氏の人たちがいる。背中に六芒星のある着物を着ている。織田信長は忌部氏の人たちと行動を共にしていた。雨が降ると火縄銃が使えない為、忌部氏の陰陽師に天候などを聞いていたのだろうか。

🟣徳島県の一宮 大麻比古神社。忌部氏の祖神を祀る。神紋は麻の葉。

http://www.ooasahikojinja.jp

主祭神: 大麻比古神 – 天日鷲命の子で、阿波忌部氏の祖とされる。

🟣福井県の劔(つるぎ)神社のホームページより

https://www.tsurugi-jinja.jp

劔神社の創祀は悠久の昔、北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り〝劔大神〟と称えたことに始まります。

神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを感謝し、現在の地に社を建て〝劔大明神〟と仰いだことを社記は伝えています。奈良時代より祈願の霊場と尊ばれ、朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けてきました。

特に織田信長公は先祖が当社の神官であったことから、劔神社を「氏神」として厚く崇敬されました。

●由緒

劔神社の創祀は悠久の昔、遥か北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り、〝劔大神〟と称えたことに始まります。

神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを感謝し、現在の地に社を建て〝劔大明神〟と仰いだことを社記は伝えています。

奈良時代より祈願の霊場と尊ばれ、朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けてきました。現在所蔵する国宝の梵鐘は、第四十九代光仁天皇の御奉納といわれています。

中世以降は、朝倉氏を始め武将の崇敬も厚く、特に織田信長公は氏神と崇めて、格別の信仰をもって神領を寄進するなど、神社を保護しました。

江戸時代の末には、伏見宮家の御祈願所と定められ、拝殿の御寄進をいただき厚い尊崇をうけて今日に至っています。越前国二の宮として一の宮の氣比神宮と共に、福井県民はもとより県外の方々からも篤い信仰を受けている神社です。

徳島県にある一般社団法人 忌部文化研究所の林博章先生の忌部氏の解説の中でも織田信長は忌部氏で福井県の劔神社の神官の家系と述べられている。

●劔神社とは?

劔神社(つるぎじんじゃ)

福井県丹生郡越前町織田にある神社。

式内社、越前国二宮。

旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

別名を「織田明神(おたみょうじん)」とも。

●劔神社の歴史 (織田文化歴史館)

https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/02.html

●越前町と織田一族 (織田文化歴史館)

https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/02.html

🟣徳島県の劔神社

●劔神社ホームページ

http://www.ctm.ne.jp/~turugijinjya/

剣山の登山口に鎮座している。三好市の北東部の美馬市には忌部家当主の三木信夫氏の住宅がある。もの凄い山の中の標高の高い場所にあり、代々、大嘗祭で天皇陛下が着るアラタエを調進する家系。麻の種植えから始める。

●徳島県の劔神社

住所: 〒778-0201 徳島県三好市東祖谷菅生201

●徳島県美馬市にある宝蔵石神社の例大祭は7月17日となっており、例大祭後の日曜に(例大祭が日曜の場合は当日)「剣山本宮山頂大祭」を観光客向けに行っている。

白装束を身につけた信者20人ほどで本宮から約300m先の頂上まで神輿を担いで上がる。

担ぎ手一行は熊笹の道を通り抜け頂上を目指し、その勇壮な神輿渡御を見に沢山の周辺住民や登山客で賑わう。

祭りでは餅まきなどもあり、前日土曜は宵宮祭も行われる。

本宮までは見ノ越第1駐車場から登山リフトを使い、リフトの西島駅から登山で向かうことができる。

●7月17日はノアの箱舟がアララト山に流れ着いた日で古代イスラエルではシオン祭りが行われた。日本では祇園祭りや剣山本宮 宝蔵石神社の例大祭が行われる。

●三木家住宅

●美馬市穴吹町に白人神社とその奥宮 磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)がある。

磐境神明神社にある古代イスラエルの礼拝所のような石積みの遺跡。

🟣徳島県三好市東祖谷。剣山の西方に鎮座する栗枝渡神社(くりしど)。安徳天皇御火葬場がある。

祖谷(いや)は安徳天皇一行が三種の神器の一つである草薙の剣を持って落ち延びたところと言われる。その剣を剣山の山頂に奉納したことが、剣山の名称の由来になったとされる説もある。

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