【香川県のワニ信仰5】出雲族の足跡を追う! 香川県高松市屋島の鵜羽神社近くの 八坂神社訪問! 御祭神: 須佐之男命 スサノオノミコト (出雲系国津神、大国主命の先祖? 徐福? 饒速日? インド神話のインドラ神の化身 牛頭天王?)

🟣八坂神社

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訪問日: 2022/6/1

住所: 香川県高松市屋島西1331

御祭神: 建速須佐之男命 (タケハヤスサノオノミコト)

●高松駅から来られる方は、高松駅近くのコトデン築港駅→瓦町駅で乗り換え→志度線潟元駅下車→潟元駅から徒歩11分

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●八坂神社から塩竃神社 徒歩9分

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●塩竃神社から鵜羽神社 徒歩23分

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高松市屋島西の八坂神社訪問背景→香川県のワニ信仰1-4

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ここまでの香川県のワニ信仰推論

出雲王国の末裔 富家の口伝によると出雲族は、インドにルーツを持つドラヴィダ人(縄文人)

【推論】出雲族の大国主命は、勢力範囲を広げるべく瀬戸内海を渡海→屋島西の鵜羽神社に辿り着く→新川を遡り三木町の鰐河神社、和爾賀波神社あたりへ移動→琴平町の象頭山で行宮→屋島から琴平町象頭山へ移動する過程で、水不足で悩むこの一帯に水神であるワニを神格化したクンピーラ(金毘羅)を祀る。

金毘羅(クンピーラ神)は、蛇神、龍神へと変化した。

屋島から三木町、琴平町一帯には異様に金毘羅(クンピーラ神)、大物主神(=大国主命、インドのシヴァ神 大黒天)、蛇神を祀る神社が多い。

香川県木田郡三木町の鰐河神社、和爾賀波神社の社伝に伝わる祭神の豊玉姫がワニに乗って来て鎮座した由緒は、クンピーラ(ワニ)に乗った女神ガンガーを表すと推測

◼️高松市屋島の八坂神社訪問目的は、出雲族 大国主命の足跡探しだが、思わぬ展開に混乱している。

高松市屋島西町にあるウガヤフキアエズを祀る鵜羽神社近くの八坂神社。


この八坂神社の由緒では、この地に、甕(かめ)を乗せた筏(いかだ)が流れ着き牛頭天王として祀った。

御祭神は須佐之男命

須佐之男命(スサノオノミコト)はインド神話のインドラ神の化身 牛頭天王とも言われる。

古事記、日本書紀ではスサノオは、出雲系国津神の大国主命の先祖だが、出雲王国 末裔の富家の口伝ではこのスサノオは、大国主を殺めた徐福=饒速日。徐福(ホアカリ)は、中国の秦の時代にやって来たが、一度目は徐福として、二度目は饒速日として来たと書かれている。

ホアカリ=徐福=饒速日=スサノオ

スサノオが大国主命を殺めた

このスサノオと大国主命については、更なる調査が必要だ。

中国の秦から来た徐福の名前は記紀には出てこない。対外的に、特に中国に対して中国から来た徐福が饒速日(=スサノオ、ホアカリ)で日本を治めていたと言うことを知られると、日本は中国の属国のような形になり都合が悪いため真実が隠されているのかも知れない。徐福は、一度目はホアカリと名乗り、出雲へ来て大国主命の娘と結婚した後、大国主命と事代主を殺めた。紀元前のことだ。二度目は九州にやって来て饒速日(ニギハヤヒ)と名乗った。

徐福伝説から紐解く、スサノオ、ニギハヤヒ。そして秦氏との関係とは?

●八坂神社は、屋島半島の西側付け根の辺り、屋島小学校の西200m程の住宅地の中に鎮座。境内、拝殿は比較的最近、建てられたようで整備されさっぱりしている。境内は広い。

●境内由緒書

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屋島西町が昔西潟元村と言われていた頃は、讃岐国山田郡喜多郷に属していた村人は、木太村の郷社八坂神社の氏子であった。

この八坂神社については、「全讃史」によると次のような伝説がある。


承平六年(937)八月、海から甕を乗せた浮き筏が流れ漂って入江の里(木太の古宮)にやってきた。村人はあやしんでお上に報告したが、その夜、村人の夢に鬼のような頭に角が生えたものが現れて、「あなた達が私を祀ることができるなら、あらゆる病気は治り、その上長生きもできるであろう」と言った。翌日村人が集まってその夢を話合ったが、皆同じようなことを言った。そこで相談して祠を建て、浮き筏が着いた日を祭日とした。それが現れた地を影向塚と言い今もなお田の中に残っている。この時村人が建てたのが、牛頭天王祠でこれを後の人は八坂神社と呼ぶようになった。


又、牛頭天王は祇園精舎の守り神で、日本に来て速須佐男命に生まれ代わったとも言われている。


西潟元村の氏子が、氏神である木太村の八坂神社に行くには、春日川・新川という二つの大川があって、出水のためしばしば参詣できないことがあった。村人は相談して、其の御分霊を西潟元村浜畠のこの地に奉じ、当社を創建したのが屋島の八坂神社の起源である。


なお、当社は木太村より勧請以来明治維新までは、「天王はん」と呼ばれ村人に崇められていたが、明治二年3月社号が八坂神社と改められ、明治四十年十月二十四日神饌幣帛供進神社に指定されている。

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スサノオノミコト

記・紀神話などにみえる神。


伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子。

父神から追放され、高天原(たかまがはら)に姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)をたずね乱行をかさねたので、姉はいかって天岩戸(あまのいわと)にかくれたとつたえる。

のち出雲(いずもの)国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、すくった奇稲田姫(くしいなだひめ)と結婚し出雲の祖神となる。「古事記」では須佐之男命とかく。


【格言など】八雲立つ出雲八重垣妻籠(ご)みに八重垣作るその八重垣を(「古事記」)

●鳥居

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●境内

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●拝殿

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●由緒

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●本殿

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●忠魂碑

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●地神社

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境内にある牛の像ヒンドゥー教の聖なる動物。

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牛頭天王(ごずてんのう)は、インド神話のインドラ神の化身。牛頭天王は、スサノオの本来の姿と言われる。

スサノオは、大国主命の先祖なのか? 出雲王国 末裔の富家の口伝では、スサノオは中国の秦の時代(紀元前)にやって来た徐福(=ホアカリ、饒速日)。スサノオと大国主命の関係については更なる調査必要。

牛頭天王を祀る京都の八坂神社は、もともと祇園神社という名前だったが、明治時代の神仏分離令によって八坂神社と名前が改められた。祇園という名前の由来は、インドにある祇園精舎という寺院で、釈迦はここで説法を行っていた。

インドラ神の化身とされる牛頭天王

インドのヒンドゥー教は多神教で、三神一体を近世の教義としている。三神とは、ブラフマー(創造神)、ヴィシュヌ(維持神)、シヴァ(破壊神)。

シヴァはナンディンと呼ばれる乳白色(にゅうはくしょく)の牡牛(おうし)を乗り物にしている。そのため牛は聖なる動物とされる。

シヴァ神と聖牛ナンディン

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