瀬戸内寂聴 (三谷晴美)さんのご冥福をお祈り致します。 香川県東かがわ市引田の和三盆との関係は? 三谷さんと永峰さんの名前の由来は?

🟣私の曽祖母は香川県東かがわ市引田(ひけた)の永峰家の出で、大伯母はその関係で瀬戸内寂聴 (三谷晴美)さんと交流があった。 三谷家も永峰家も黒羽(くれは)と言う土地に住んでいた。

瀬戸内寂聴さんの父は、徳島の瀬戸内家に養子に入る前は、三谷豊吉と言い、東かがわ市引田の黒羽村で江戸時代から代々、讃岐和三盆の製造を家業とする家の出身であった。

瀬戸内寂聴(晴美)さんは徳島県で生まれ、徳島高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)時代に三谷から瀬戸内姓に改姓した。

瀬戸内寂聴さんご自身も、生前、お父上の法要でこの東かがわ市引田の黒羽や御父母のお墓があるJR引田駅近くの積善坊を訪れている。

わたしの大叔母は他界しているが、生前、「若い頃、晴美さんのご自宅でいろいろとお手伝いをしていたときがあった」と聞いた。

大叔母は、その後、結婚のため神戸へ渡り、昭和天皇や皇族が来神の際に宿泊されていた旧居留地にあった京町通りの旧・神戸オリエンタルホテルで電話交換手のリーダーとして定年まで勤めた。私の父も旧・神戸オリエンタルホテルで長年、シェフとして働き昭和天皇や当時の皇太子(今の上皇)に料理を献上した。

寂聴さんのお父上は三谷豊吉さんと言い三谷姓だったが、徳島県の瀬戸内家に養子に入り、瀬戸内姓となり、神殿仏具店を営んだ。

豊吉さんは、瀬戸内家に養子に入る以前は東かがわ市引田の黒羽で代々、和三盆の製造をしておられた家柄だったが、豊吉さんの父である三谷峯八さんが、ある事情から妻と子の豊吉さんを残し、家を出てしまわれた。

そのため、和三盆の製造工場は人手に渡り豊吉さんは徳島に職人修行に出て、指物職人となった。

そして徳島で、瀬戸内家(当時の当主は、瀬戸内いと、神戸の須磨出身のクリスチャン) の養子に入り大工町で神殿仏具商を開くこととなった。。。。

(瀬戸内いと さんは、豊吉さんの従祖母にあたる。)

寂聴さんの御父母のお墓は、徳島ではなく、江戸時代から代々、和三盆の製造をされていた東かがわ市の引田の積善坊(しゃくぜんぼう)にあると聞く。。。

瀬戸内寂聴さんの御冥福を心よりお祈り致します。

#瀬戸内寂聴 さん #和三盆 #ひけた鰤

🟣積善坊(しゃくぜんぼう)

https://yaokami.jp/1375617/

🟣三谷さんの名前の由来と分布

https://name-power.net/fn/三谷.html

①香川県高松市三谷町発祥。平安時代に記録のある地名。地名は「三谿」とも表記した。

②広島県福山市神辺町三谷発祥。平安時代に「三谿」の表記で記録のある地名。福島県二本松市郭内が藩庁の二本松藩士に江戸時代にあった。同藩士は広島県東部(旧:備後国)の三谷からと伝える。

⑤高知県高知市三谷発祥。安土桃山時代に記録のある地名。同地に分布あり。

⑥愛媛県伊予市上三谷・下三谷発祥。江戸時代に記録のある地名。

⑨徳島県美馬市穴吹町三島三谷発祥。江戸時代に記録のある地名。同地に分布あり。

市区町村順位

1 広島県 福山市(約1,600人)
2 香川県 高松市(約1,000人)
3 高知県 高知市(約900人)
4 香川県 丸亀市(約900人)
5 香川県 東かがわ市(約800人)
6 高知県 長岡郡大豊町(約800人)
7 島根県 大田市(約500人)
8 香川県 三豊市(約500人)
9 大阪府 堺市(約400人)
10 鳥取県 鳥取市(約400人)

🟣永峰さんの名前の由来と分布

https://name-power.net/fn/永峰.html

「永峰」(ながみね)さんの名字の由来、語源、分布 – 日本姓氏語源辞典

由来

①地形。香川県東かがわ市黒羽で戦国時代に永塩氏が帰農して塩を「峰」として改姓したと伝える。

市区町村順位

1 香川県 東かがわ市(約300人)
2 宮崎県 都城市(約130人)
3 宮崎県 宮崎市(約130人)
4 長崎県 五島市(約120人)
5 山口県 下関市(約70人)
5 兵庫県 宍粟市(約70人)
7 香川県 高松市(約60人)
8 千葉県 市原市(約50人)
9 茨城県 行方市(約50人)
10 鹿児島県 伊佐市(約40人)

🟣東かがわ市引田 黒羽(くれは)

https://www.higashikagawa.jp/itwinfo/i6205/file/koho-200306-21.pdf

この地には地名にかかわる伝承が数多く残っている。鶴が黒い羽根を落として去ったといい、土が黒いので「黒垣」が転じて「クロハ」、さらに、「黒羽」に なったという。また、毘沙門天が黒い羽根の矢で毒蛇を射止めたという説話な
どがある。

史実に近い口碑として、大化の頃、呉の国の帰化人で「服部」の技術者がこ
の地に来住し、村人たちに養蚕、機織りの技術を教えた。彼らは次第に上達
し羽二重が織れるまでになった。

呉の人が去るに際し、報恩と感謝を込めて、呉と服部の一字をとって「呉服」
を村名としたが、いつしか「くれは」となり「黒羽」となったという。また、呉と羽二重の頭字をとって「黒羽」となったともいう。このことは、村で祭祀する社寺の祭神が「蕃神」といわれる妙見神、毘沙門天、吉祥、天弁財天など渡来の神 であることから、来住した呉の国の人と関連があるように思えてならない。

🟣瀬戸内商店

https://www.wikiwand.com/ja/瀬戸内商店

🟣動画 生きる意味とは

🟣瀬戸内寂聴さんの書籍

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