瀬戸内寂聴 (三谷晴美)さんのご冥福をお祈り致します。 寂聴さんと香川県東かがわ市の和三盆との関係は? 三谷さんと永峰さんの名前の由来は?

🟣瀬戸内寂聴さんが、2021年〈令和3年〉11月9日に亡くなられた。

私の曽祖母は香川県東かがわ市引田の永峰家の出で、大伯母はその関係で生前、瀬戸内寂聴 (三谷晴美)さんと交流があった。 と言うのも三谷家も永峰家も東かがわ市引田の黒羽(くれは)と言う土地に代々、住んでいた。

瀬戸内寂聴さんの父は、徳島の瀬戸内家に養子に入る前は、三谷豊吉と言い、東かがわ市相生村の黒羽(くれは)で江戸時代から代々、讃岐和三盆の製造を家業とする家の出身であった。

●瀬戸内寂聴(三谷晴美)さんは徳島県で生まれ、徳島高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)時代に三谷から瀬戸内姓に改姓した。大学は東京の東京女子大学国語専攻部へと進学した。

●県内トップレベルの徳島県立城東高等学校

https://www.minkou.jp/hischool/school/deviation/3043/

瀬戸内寂聴さんご自身も、生前、父の法要で東かがわ市引田の黒羽や父母のお墓があるJR引田駅近くの積善坊 (しゃくぜんぼう) を訪れている。

子供の頃に積善坊にお墓詣りに連れていかれた寂聴さんは、十字架の形にしたかった墓の話を聞いた。瀬戸内の一家は、明治の中頃にキリスト教に入信していた。

お墓には、十字架が彫られた下に、ヨハネ黙示録十四章十三節の「今より後主にありて死ぬる人は幸ひなり」という言葉があるという。

この墓を建てた豊吉の大伯母にあたる瀬戸内イトが三谷家を訪れた際には、子供たちに『聖書』を教え聴かし、食事の際には「アーメン」と唱えさせていた。

↑ JR引田駅近くの積善坊

・積善坊(しゃくぜんぼう)のURL

https://yaokami.jp/1375617/

●実は、この東かがわ市引田の黒羽(くれは)は、戦後 「東京ブギウギ」を歌って一世を風靡した歌手の笠置シヅ子さん(本名:亀井静子)の出身地でもある。

笠置シヅ子さんは、1914年香川県大川郡相生村(現・東かがわ市)の黒羽の生まれ、瀬戸内寂聴さんは、1922年徳島県徳島市生まれ。

笠置さんの父 三谷陳平さん(旧家の跡取りだった)は、家に働きに来ていた谷口鳴尾(なるお)を身ごらせてしまうが、その結婚は許されず、笠置さんは大阪に住む三谷家の親戚に引き取られ亀井家の養女となった。

↑ 笠置シヅ子さんの父 三谷陳平さん

↑ 谷口鳴尾さん

※笠置 シヅ子 : 1914年(大正3年)8月25日 – 1985年(昭和60年)3月30日

※瀬戸内寂聴(三谷晴美) : 1922年〈大正11年〉5月15日 – 2021年〈令和3年〉11月9日

●瀬戸内寂聴さんの父は三谷豊吉さんと言い三谷姓だったが、徳島県の瀬戸内家に養子に入り、瀬戸内姓となり、徳島市東大工町で神殿仏具店を営んだ。

三谷家は、東かがわ市相生村の黒羽で江戸時代から6代にわたって継承された和三盆の製造を家業にしていた。

香川県産の讃岐和三盆糖は高級砂糖として知られ、その製造方法は門外不出の秘伝扱いである。

和三盆の家業は面白いほど儲かり寂聴さんの祖父 三谷峯八は道楽し放題で、とうとう旅役者一座の女座長に惚れ込み、そのまま一座に着いて行き、音信不通になってしまった。(20数年後になって九州博多にて死去)。

寂聴さんは、後になって、この父方の祖父 三谷峯八に、夫と子供を残して出奔した自らに流れる自由で奔放な気質と”遺伝子”を感じとっている。

三谷峯八が出て行ったため、和三盆の製造工場は人手に渡り、豊吉さんは徳島に職人修行に出て、指物職人となった。

そして徳島で、瀬戸内家(当時の当主は、瀬戸内イト。神戸の須磨出身のクリスチャン) の養子に入り徳島市東大工町で神殿仏具商を開くこととなった。

瀬戸内イトさんは、豊吉さんの従祖母にあたる。

豊吉は手先が器用で、物覚えも早く、人より半分の年月でどんな仕事でも覚えてしまうほどだったという。

大伯母の瀬戸内イトと馬が合った豊吉は、瀬戸内家に養子に入ると、指物職人としての腕を活かして神殿仏具商の看板を掲げる瀬戸内商店をはじめた(21歳)。


瀬戸内商店は住み込みの弟子を10人程かかえる大所帯となり、豊吉と縁組みした晴美の母コハルはいつも大釜で食事の支度をしていた。


豊吉は多くの小学校にある御真影奉安殿(天皇陛下の肖像写真が納められている)を手がけだし、製図を引き、青写真を自分で焼き、村々の神社の建築をも引き受けるようになっていった。


そして家庭の居間の「天照大神」、台所の荒神さん、商家や色町で祀られるお稲荷さんなど、人々が祀るものすべてに神殿仏具店として扱う範囲をひろげていった。


それだけの威勢のいい商いができるようになったのも、眉山の麓に城下町の名残りをとどめる徳島市東大工町に引っ越したのが大きかった。  


町には見事な箪笥や鏡台をつくる指物師や大工がいて、「神殿仏具商」として年季のいる漆塗りや仏壇の製造をはじめることができたのも伝統的な職人の町だったことが要因だった。手びろく商売をしようとした豊吉にはまたとない環境だった。

株式会社 瀬戸内商店

・瀬戸内神仏具店ホームページ

https://butsugu.co.jp

・Wikipedia

https://www.wikiwand.com/ja/瀬戸内商店

ブギの女王 笠置シヅ子さんの生涯歌わざるを得なかった背景とは?

●わたしの曽祖母は、東かがわ市相生の黒羽の出身で、その娘である大叔母は既に他界しているが、生前、若い頃、(三谷)晴美さんのご自宅でいろいろとお手伝いをしていたときがあった。

大叔母は、その後、結婚のため神戸へ嫁いで行き、昭和天皇や皇族が来神の際に宿泊されていた旧居留地の京町通りにあった旧・神戸オリエンタルホテルで電話交換手のリーダーとして定年まで勤めた。 私の父も旧・神戸オリエンタルホテルで長年、シェフとして働き昭和天皇や当時の皇太子(今の上皇)に料理を献上した。

今となっては、寂聴さんのご存命中にお会いできなかったことが悔やまれる。

↑ 旧居留地にあった京町通りの旧・神戸オリエンタルホテル

東かがわ市の引田では、今も和三盆の製造が代々、受け継がれている。

瀬戸内寂聴さんの御冥福を心よりお祈り致します。

瀬戸内寂聴さんの「場所」

父と母の故郷のことが書かれている。

🟣三谷さんの名前の由来と分布

https://name-power.net/fn/三谷.html

①香川県高松市三谷町発祥。平安時代に記録のある地名。地名は「三谿」とも表記した。

②広島県福山市神辺町三谷発祥。平安時代に「三谿」の表記で記録のある地名。福島県二本松市郭内が藩庁の二本松藩士に江戸時代にあった。同藩士は広島県東部(旧:備後国)の三谷からと伝える。

⑤高知県高知市三谷発祥。安土桃山時代に記録のある地名。同地に分布あり。

⑥愛媛県伊予市上三谷・下三谷発祥。江戸時代に記録のある地名。

⑨徳島県美馬市穴吹町三島三谷発祥。江戸時代に記録のある地名。同地に分布あり。

市区町村順位

1 広島県 福山市(約1,600人)
2 香川県 高松市(約1,000人)
3 高知県 高知市(約900人)
4 香川県 丸亀市(約900人)
5 香川県 東かがわ市(約800人)
6 高知県 長岡郡大豊町(約800人)
7 島根県 大田市(約500人)
8 香川県 三豊市(約500人)
9 大阪府 堺市(約400人)
10 鳥取県 鳥取市(約400人)

🟣永峰さんの名前の由来と分布

https://name-power.net/fn/永峰.html

「永峰」(ながみね)さんの名字の由来、語源、分布 – 日本姓氏語源辞典

由来

①地形。香川県東かがわ市黒羽で戦国時代に永塩氏が帰農して塩を「峰」として改姓したと伝える。

市区町村順位

1 香川県 東かがわ市(約300人)
2 宮崎県 都城市(約130人)
3 宮崎県 宮崎市(約130人)
4 長崎県 五島市(約120人)
5 山口県 下関市(約70人)
5 兵庫県 宍粟市(約70人)
7 香川県 高松市(約60人)
8 千葉県 市原市(約50人)
9 茨城県 行方市(約50人)
10 鹿児島県 伊佐市(約40人)

🟣東かがわ市相生 黒羽(くれは)の地名の由来

https://www.higashikagawa.jp/itwinfo/i6205/file/koho-200306-21.pdf

この地には地名にかかわる伝承が数多く残っている。鶴が黒い羽根を落として去ったといい、土が黒いので「黒垣」が転じて「クロハ」、さらに、「黒羽」になったという。また、毘沙門天が黒い羽根の矢で毒蛇を射止めたという説話などがある。

史実に近い口碑として、大化の頃、呉の国の帰化人で「服部」の技術者がこの地に来住し、村人たちに養蚕、機織りの技術を教えた。彼らは次第に上達し羽二重が織れるまでになった。

呉の人が去るに際し、報恩と感謝を込めて、呉と服部の一字をとって「呉服」を村名としたが、いつしか「くれは」となり「黒羽」となったという。また、呉と羽二重の頭字をとって「黒羽」となったともいう。このことは、村で祭祀する社寺の祭神が「蕃神」といわれる妙見神、毘沙門天、吉祥天、弁財天など渡来の神であることから、来住した呉の国の人と関連があるようだ。

🟣動画 生きる意味とは

🟣東かがわ市の和三盆

🟣瀬戸内寂聴さんの書籍

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