【貴重】二・二六事件 傍受された通話内容を聞く! 北一輝の肉声、鎮圧軍の高橋中尉と反乱軍の上村軍曹の交信 内容を聞く!

作成日: 2021/3/2

最終更新日: 2021/5/29

🟣北一輝とは?

北 一輝(きた いっき)

本名:北 輝次郎〈きた てるじろう〉

1883年〈明治16年〉4月3日 – 1937年〈昭和12年〉8月19日)

戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。

二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。

●人物

右目は義眼であったが、数少ないその肖像写真からも分かるように容貌眉目秀麗であり、二・二六事件後の軍法会議の裁判長吉田悳少将はその手記で「北の風貌全く想像に反す。

柔和にして品よく白皙。流石に一方の大将たるの風格あり」と述べている。

日ごろから言葉遣いは丁寧で、目下、年下の者にも敬語を使っていたという。

裁判では、青年将校たちの決起については自分は関係がないことを主張しながらも、青年将校たちに与えた自らの思想的影響についてはまったく逃げず、死刑判決を受け入れている。

中国革命家譚人鳳の遺児を養子として引き取る。名を北大輝とし、死後彼に遺書を残す。

丹羽哲郎さんの妻は北一輝のいとこの娘にあたる。

🟣2・26事件の鎮圧軍と反乱軍の電話での通話内容

🟣二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)とは?

1936年(昭和11年)2月26日(水曜日)から2月29日(土曜日)にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件。

この事件の結果、岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が思想犯保護観察法を成立させた。

🟣2・26事件当時、反乱軍が立てこもった首相官邸や陸軍省などの電話を傍受した通話内容記録

北一輝や、鎮圧軍の高橋中尉と反乱軍の上村軍曹の交信を含む↓

🟣西田税夫人 西田はつ と 陸軍中尉 栗原安秀

🟣北一輝と陸軍大尉 安藤輝三

🟣鎮圧軍 陸軍中尉 高橋丑太郎と反乱軍 陸軍軍曹 上村盛満

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