🟣曲屁(きょくべ)とは?
音の高さや長さ、強さをさまざまに変えながら放屁することにより、聞き手を楽しませる行為のことである。曲放(きょくひり)ともいう。
興行として曲屁を行った事例は世界各地に存在し、日本では安永年間に霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)を称する者が興行を行った記録があるほか、19世紀末のフランスでムーラン・ルージュを中心に活動した放屁師のル・ペトマーヌ、近年では日本の松下誠司、イギリスのミスター・メタンなどが知られる。
こうした興行では、放屁の長さや連発といった単純な放屁技能の誇示や、「若い女の屁」「紳士の屁」などさまざまな設定で放屁し分けることで笑いを誘うもの、動物の鳴き声の模倣、放屁単独もしくは別の楽器を伴った音楽の演奏などが行われた。
また放屁そのものを聞かせる芸以外に、肛門に管をつないで別の楽器を演奏する、放屁で離れたところにあるろうそくを吹き消す、といった芸も行われた。
曲屁を可能とする身体的構造としては、肛門内に瘤があり、力の入れ具合を調整することによって、笛のような効果を発する場合と、肛門から空気を吸い込む能力を持つ者が、吸い込んだ空気を括約筋を調整しながら排出することにより吹奏する場合とがある。
🟣霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)、後の曲屁福平とは?
安永年間の1774年ごろ、江戸両国橋の見世物で放屁芸を披露し、江戸にセンセーションを巻き起こし大評判となった人物。
霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)は、また安永三年、曲屁福平という名前で、大阪の道頓堀において、屁の曲撤を興行したが、これが大当たりした。
階子屁、長刀屁などの他、三絃、小唄、浄瑠璃に合わせて、面白く屁を放(ひり)わけた。まさに前代未聞の奇妙な光景だった。
彼の放屁芸にひどく感動したエレキテルで有名な平賀源内は、彼の代表作の一つとなる「放屁論」を著すほど、すごい熱の入れようだった。
🟣平賀源内とは?
エレキテルの紹介、「土用丑の日」考案、異才の男色家、陰間茶屋の常連でガイドブック発行、CMソング作詞作曲、獄死か生存か謎のまま
平賀源内について詳細↓
http://eigonoshinzui.com/jinbutsuden32.html
🟣関連書籍
平賀源内の放屁論↓