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◼️江戸時代、徳島藩の板野郡 碁浦御番所の役人兼庄屋だった八田家から高松藩松平家に仕える森家へ嫁いできた八田孫平の長女 八田キヨは私の高祖母になる。
明治時代、香川県東かがわ市黒羽の三谷家に嫁いだ曽祖父の妹 森トヨ。
◼️阿波水軍「木瓜の香り」、「碁浦御番所 八田家文書」、「場所」
『木瓜の香り』森甚一郎著
『碁浦御番所 八田家文書』 滝よし子、森順子 著
『場所』瀬戸内寂聴 (三谷晴美) 著
◼️「木瓜の香り」
阿波水軍 森家19代当主の遺稿集。 森家の開祖 佐田九郎左衛門の出自、そして森権平塚の史実が明かされる。
子供の頃、祖母から先祖は森権平の一族だと聞かされた。 江戸時代、森家は高松藩松平家に代々、普請方として仕えた。 元は東かがわ市の馬宿に住んでいた。
◼️「碁浦御番所 八田家文書」
滝よし子、森順子 著
香川県と徳島県の県境にあった碁浦御番所の役人兼庄屋を代々、務めた八田家の番所記録。 八田家は私の高祖母の家系で、高祖母の父 八田孫平が書いた文章も載せられている。 高祖母は八田家の長女で、阿波浄瑠璃が非常に上手かった。 江戸時代、徳島藩から高松藩へ藩をまたいで森家に嫁いできたことになる。
●高祖母の父 八田孫平が書いた八田家代々の職歴書提出書
●碁浦御番所 (八田家) : ここには伊能忠敬や松浦武四郎も立ち寄った。
●碁浦港: 文化5年、伊能忠敬上陸地
◼️『碁浦御番所 八田家文書』の文中に、八田家が研究資料として貸し出した全古文書が返却されず行方不明になったとある。現在も未返却の場合、一刻も早い返却が望まれる。
●この番所には、江戸時代、測量中の伊能忠敬 や 四国遍路中の松浦武四郎 も訪れた。番所跡は国道11号建設のため埋め立てられ、道路となった。
◼️『場所』 瀬戸内寂聴 著
瀬戸内寂聴 さんが香川県東かがわ市の引田にある積善坊に法事で訪れたときの思い出を書いた「南山」を含む。
東かがわ市黒羽の寂聴さんの父の実家にも訪れる。私の曽祖父の妹が明治時代、 この黒羽の三谷家に嫁いだ。そのような関係で私の大伯母は三谷家の法事にも出席していた。神戸から帰省して「晴美さんとこの手伝いに行ってくる」と言っていたのを覚えている。晴美さんの祖父の峰八さんは和三盆の製糖業を営む旧家だった。
◼️笠置シヅ子さんの実父の家もこの東かがわ市黒羽で同じく製糖業を営んでいた三谷家の本家で黒茂と言う屋号だった。今も分家 孫黒茂の三谷製糖が馬宿で讃岐和三盆の製造を続けている。
笠置シヅ子さんは瀬戸内寂聴さんの父母の墓がある積善坊のすぐ近くにある萬生寺に養父母と戦死した弟の墓を立て、本堂の青銅製の雨どいを寄付した。現在も雨どいと寄進塔が残る。
●萬生寺の寄進塔、雨どい、弟を想い歌った曲など
◼️プロフィール