【江戸時代の漂流者】香川県さぬき市 津田村の勝之助、和歌山沖で遭難、フィリピン・バターン諸島に漂着! マニラからマカオ、広東を経て長崎へ戻る!

◼️香川県さぬき市津田の農民 勝之助、岡山から出港する!

文政13年(1830)8月、讃岐 津田村出身の勝之助が乗船した岡山の神力丸は、岡山藩の年貢米などを江戸へ廻送している途中、紀州 潮岬付近で暴風雨に遭遇し、自力航行不能となってしまった。

19名の船員を乗せて岡山を出航した神力丸は、2カ月あまり太平洋上を漂流したのちフィリピンの無人島に流れ着いた。

漂着したのは、フィリピン・バターン諸島のひとつだった。

現地で地方官の取り調べを受け、勝之助一行はマニラからマカオ、広東へ移送された。

天保2年(1831)10月に、乍浦という地から中国人商船により長崎に送還された。

●浙江省 嘉興市の乍浦

19名のうち、再び日本の土を踏むことができたのは14名であった。

一行は長崎奉行所で詳細に調べられた後、天保3年(1832)7月から8月にかけて船員それぞれが生地に帰郷した。

彼らの漂流体験は、奉行所や藩でつくられる公式記録にとどまらず、民間でも漂流民から直接話を聞いて記録するなど、さまざまな形で残された。

江戸時代の漂流者には他に、大黒屋光太夫、津太夫、浜田彦蔵、ジョン万次郎らがいる。

ちなみに、日本人最初のキリスト教徒はヤジロウ。

◼️漂流記録と漂流体験

倉地克直 著

詳細記録書

https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/list/4784212256/

◼️南夷図録

●現在の香川県さぬき市津田の農民だった勝之助。

●一尺(読み方:いっしゃく)とは一寸の10倍の単位。メートル法で換算すると約30.3センチメートル。

●崑崙奴(こんろんど)とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙(くろん)面の名称も、そもそもは黒人のことを指した。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です