🟣プロレスでは相手の技を受け、お互いを引き立てあわないと試合が盛り上がらず、観客は見ていて面白くない。
例えば、空中殺法が得意な選手と対戦し、頑なにロープに振られなかったり、パワーファイターの見せ場でブレンバスターを何度も拒んだりすると全く盛り上がらない殺伐とした喧嘩のような試合になってしまう。
新日プロレスの山本小鉄さんは「プロレスは、相手への思いやりが大切」と選手たちに教えていた。
◼️世界最強タッグ決定リーグ戦の公式戦!
1983年12月5日、福岡国際センターで夢の初対決が実現した。
ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン組 VS ミル・マスカラス、ドス・カラス組。
実況は倉持隆夫アナ、解説は田鶴浜弘さん。
試合早々、解説の田鶴浜さんは、この試合はスターウォーズを思い出させる、と言い、「空軍と地上軍の対決」に例えて解説するが、良く理解できず、その場は田鶴浜さんのコメントを受け流す倉持アナ。
倉持アナは、全力を出していないハンセンとプロデイの凄まじいパワーを実況するが、田鶴浜さんは体が小さく力が入らない、素早い身のこなし(田鶴浜さん曰くローリング)を解説し噛みあわない二人。
とにかく最後で、スターウォーズとローリングを推す田鶴浜さんには、ある意味敬服する。
◼️【記事】天龍さんが語る“外国人レスラー”手に負えないレスラー二大巨頭はマスカラスとブロディだ!
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/dot.asahi.com/amp/dot/2022070700008.html%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID
◼️倉持隆夫アナウンサー
◼️田鶴浜弘さん
田鶴浜 弘(たづはま ひろし)
1905年8月29日 – 1991年8月15日
日本のスポーツライター、プロレス評論家。
日本ボディビル協会の副会長も務めた。
早稲田大学卒業。
報知新聞記者を皮切りにスポーツ記者として広く活躍し、とりわけプロレスでは「プロレス評論家の草分け的存在」と称される。
日本初のプロレス専門誌『月刊プロレス』の創刊にも携わった。
1972年の全日本プロレス創立から1985年頃まで、日本テレビの『全日本プロレス中継』で解説者を務める。
なおメインの解説者は田鶴浜より28歳若い山田隆で、田鶴浜は二番手のポジションだった。
1975年に全日本で行われたオープン選手権では準備委員会の委員を務めた。
子供向け入門書を含め著書を多く発表している。
弟子に流智美がおり、流によると「そのレスラーの前に出た時、見せられないような物は書いてはいけない」と教えを受けたという。
漫画『キン肉マン』に登場する解説者のタザハマは田鶴浜がモデルである。
◼️ブルーザー・ブロディ & スタン・ハンセン vs ミル・マスカラス & ドスカラス
◼️ニコニコ動画版
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm7479949
◼️試合画像
●終始、ミル・マスカラスの技を受けないプロデイ