2023/3/31 夙川で花見! 西宮砲台を訪問! 「五感」のイチゴ・ショートケーキを頂いた! 夙川駅周辺の散策スポット: 火垂るの墓の舞台 ニテコ池! 遠藤周作が洗礼を受けた夙川カトリック教会!

🟣2023/3/31に、西宮市夙川(しゅくがわ)沿いの桜を見に行った🌸 

個体差はあるが満開だった😃

今年は川沿いで飲食されている方も多かった。

週末の4/1,  4/2はめちゃくちゃ混みそう💦

●夙川では西宮市オリジナルの「西宮権現平桜(にしのみやごんげんだいらざくら)」や「夙川舞桜(しゅくがわまいざくら)」も見られる^_^  

●西宮市御前浜にある西宮砲台

◼️西宮砲台(にしのみやほうだい)

兵庫県西宮市御前浜(香櫨園浜)にある江戸時代末期の砲台跡。

国の史跡に指定されている。

●概要

高さ約12m・内径約17m・壁厚1.21m(1階底部は1.53m)の石造円堡。外壁は漆喰仕上げ、内部は3層となっている。

1階は床叩土で、中央に防火用(もしくは砲身冷却用)の井戸が掘られ、床板敷の弾薬庫が設けられていた。

2階は木造で側面に砲眼(下画像)が11個、北側に外部より指示を受けるための窓が1個開いており、大砲2門を設置し筒口を四方に向ける装備であった。

なお、砲台は柵に囲まれており、内部は公開されていない。

・所在地:兵庫県西宮市西波止町字西波止5374の1番

・所有者:阪神電気鉄道株式会社

・管理団体:西宮市教育委員会

・文化財指定:国の史跡(大正11年3月8日指定)

●歴史


幕末の頃、国防に不安を感じていた江戸幕府では、将軍徳川家茂の時代になり勝海舟の建議を取り入れ、文久3年(1863年)、大坂湾の海防のために和田岬砲台、舞子砲台、今津砲台などとともに西宮砲台の建設が開始された。

基礎工事(地杭打ち)では1,541本もの松杭が打ち込まれた。

建設に必要な御影石(花崗岩)は主に、備中小田郡の島々(現・岡山県笠岡市)より切り出し、海路にて運搬された。

熟練工を多く招集し突貫工事で建設が進められ、慶応2年(1866年)に竣工。

完成後、空砲を試し撃ちしたが砲煙が内部に充満してしまい、結局実用には向かず、一度も使われないまま明治を迎えることとなる。

その後西宮町は、砲台を所有する陸軍省に対し再三払い下げを申請したが不許可となったが、明治40年代に阪神電鉄へ払い下げられ、香櫨園浜遊園の一部として利用された。

●「五感」の完熟イチゴのショートケーキ🍰を頂いた😃 

この時期は特に菓一條やヨーキーズ、侘助は常に満員状態。

◼️夙川駅周辺の散策スポット

●夙川公園: 散歩道。春は桜の名所。

●夙川公民館: 松下幸之助さんが西宮市へ寄贈。約100年前には50mの高さのウォーターシュートがあった。

●ニテコ池 : 火垂るの墓の舞台。野坂昭如さんが避難していた防空壕があった場所。松下幸之助さんの自宅があった。

●西宮砲台: 御前浜公園にある。

●夙川カトリック教会: 遠藤周作さんが洗礼を受けた教会。100年以上前はこの辺りが、香櫨園遊園地だった頃、恵比寿ホテルが建っていた。教会南側にあるヨーキーズのパンケーキは有名。ギョーザの一休、焼き鳥の”とりまさ”もある。

◼️夙川

夙川の流域は、太古から人々が生活を営み、獅子ヶ口遺跡、神園古墳群、松園町遺跡、越木岩遺跡、越水山遺跡、王子ヶ丘古墳など数多くの遺跡がある。

現在の夙川は阪急甲陽線の橋付近からまっすぐ南に流れ海に達している。

古代は今より東へと流れていた。当時、現在の阪神西宮駅あたりは入り江であり、そこに注いでいたが、鎌倉時代に改修され、今の流路になった。


江戸時代は山地に山林、谷沿いや平地に田畑が広がり、米のほか菜種や綿も栽培していたようで、河口付近では漁業も盛んだった。


のどかな農村と里山が開発されるのは明治後期。

大阪・北浜の砂糖商人、香野蔵治が、現在の阪急夙川駅付近一帯が景勝地として魅力あることに目を付けて、櫨山慶次郎とともに現在の殿山町・雲井町・霞町・羽衣町・相生町にまたがる丘陵部の山林や草地を取得、開拓し、香櫨園を明治41年(1907)にオープンした。

その名は両氏の姓を一文字ずつ取って命名された。


関西最大の遊園地だった香櫨園は約10万坪の広大な敷地に動物園や植物園、音楽堂、ゑびすホテルなどを建設、内殿池(現在の片鉾池)にはウォーターシュートも開設した。

模型飛行機大会や関西で最初の日米野球試合など多彩なイベントを開催。

当時の最先端を行くレジャー施設だった。

阪神電車も香櫨園停留所を設け、香櫨園海水浴場も開設され、夙川沿い一帯は大いに賑わった。

しかし、少し時代を先取りしすぎたのか、大正2年(1913)になると香櫨園は閉鎖され、その大部分を外国商社のサミユル・サミユル商会が取得。

外国人向け住宅地として開発を目論んだが第一次世界大戦の影響などで頓挫し、大正6年(1917)に大神中央土地の手に渡った。
 

大正9年(1920)に阪急が開業、夙川駅が開設され利便性がさらに高まった地で、大神中央土地は規模を拡大、約15万坪の住宅地を経営した。

自然の地形や松林を生かした緑あふれる住宅地となり、GMなど外国企業の幹部もここの居を構えた。

安井武雄が自ら設計した自邸やヴォーリズの作品のほか、パインクレストという短期滞在向けアパートも建てられた。
 

昭和12年(1937)には南北約4キロの夙川公園が完成。

しかし戦争の時代となり、松並木は防空壕用などに切り倒され荒れ果てた。

戦争が終わった昭和24年(1949)に桜の若木が植えられ、夙川は桜の名所として全国区になっている。

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