◼️栗林公園 英語パンフレット
https://www.my-kagawa.jp/static/en/ritsurin/pdf/pamphlet.pdf
●概要、歴史 (英語)
https://www.my-kagawa.jp/static/en/ritsurin/special
◼️エピソード
●2004年まで、栗林公園があり、ゴリラやナマケモノが有名だった。
栗林動物園は栗林公園の東側にあり現在は駐車場になっている。
当時、香川県内の子供は皆んな遠足で栗林公園に来た。
私も栗林動物園に来た。
当時は珍しかったナマケモノ(Sloth)が、いて11匹の子供を産み世界記録になった。
また、自分の糞を投げてくるゴリラがいたて有名だった。運がつくと話題になり受験生がゴリラの檻に絵馬を掛けたりした。
人間の檻もあった。
動物と言えば、木下大サーカスも来ていた。
現在、香川県の動物園は白鳥動物園のみとなった。ホワイトタイガーが有名。
●紫雲山も栗林公園の一部。紫雲山にはイノシシが生息しており、時折、栗林公園や商店街にも姿を見せることがある。
2018年には3頭が栗林公園に入って来たりして一時、臨時閉園となった。
また、コイがヘルペスにかかり全滅したが、市民からの寄付で再度、コイが見られるようになった。
・イノシシのニュース記事
https://news.line.me/detail/oa-shikokunews/ee67ae9c2b70
●瀬戸内海の島々に生息するイノシシは泳いで島を移動することがある。
◼️栗林動物園
◼️瀬戸内海の猫島
●男木島
香川県高松市の沖に浮かぶ猫島 男木島訪問! (2020/9/28) 男木島の集落、灯台、歩く方舟など
●男木島
せとうち島旅ガイド(瀬戸内国際芸術祭公式ツアーガイド)- 男木島での研修 –
●佐栁島
佐柳島(香川県仲多度郡多度津町)を訪問。島全体がネコカフェか(笑)⁉︎ 島民70名、ネコ100匹、イノシシ100匹⁉︎ 島内の生の声も聞いた!
◼️栗林公園
https://www.my-kagawa.jp/ritsuringarden/feature/ritsuringarden/viewspot
◼️栗林公園 英語サイト
●旧日暮亭
https://www.my-kagawa.jp/static/en/ritsurin/viewing
This small teahouse, formerly called Kohan-tei, was originally built around 1700.
After changing its name and location in and out of the garden a few times, it was finally moved to the present location in 1945.
This building is culturally and historically valuable, as it represents the style of daimyo teahouse of the early Edo period.
●旧日暮亭(きゅうひぐらしてい)
旧日暮亭
鄙びた佇まいが美しい旧日暮亭
茶室以外にもこだわりが感じられる
風流な佇まいが印象的
伝統的な大名茶室を今に伝える貴重な茶室 1700年前後に建てられた江戸時代初期の大名茶室の様式を今に伝える建物で、茶道・三千家の1つ武者小路千家が誕生した頃の造りともいわれています。高松藩と武者小路千家の関わりは深く、初代藩主・松平頼重(よりしげ)が後に武者小路千家を興した初代千宗守(一翁)を高松藩初代茶道頭として招いたのをきっかけに、歴代の家元が高松藩の茶道指南を務めました。
◼️旧日暮亭
香川県高松市、国の特別名勝に指定される栗林公園(りつりんこうえん)。かつての大名庭園である南庭、西湖の近くに移築された、江戸時代初期の入母屋茅葺き屋根の大名茶室が旧日暮亭。江戸時代初期、吹上げの水流沿いに建てられたという「考槃亭」がルーツという歴史ある茶室です。
●流れの中の「降り蹲踞」は、「戞玉亭」の名残り
茶室内部には3畳の畳と3畳の広さの土間があるという珍しい造りで、大きな開口部である貴人口が西面にあり、大名などの身分の高い人が頭を下げずに出入りできる構造になっています。
高松藩2代藩主・松平頼常(まつだいらよりつね)の時代、栗林園南東隅、吹上げの水流に隣接して建てられた「考槃亭」(こうはんてい)という茶室があり、後に会遷巖の東方に移築されて「日暮亭」と改称され、明治時代に栗林園外の私人邸に移設されるなどしましたが、昭和20年に現在地に「新日暮亭」と蘇ったもの。
現在では「旧日暮亭」と称されています。
外側には茶庭では珍しい藤棚が設けられており、豊島石を用いた灯篭や流れの中の「降り蹲踞」(おりつくばい)が配されています。
高松藩5代藩主・松平頼恭(まつだいらよりたか)の時代、この流れに沿って「戞玉亭」(かつぎょくてい)という茶室があり、「降り蹲踞」もその名残り。
流れの中に、前石、手燭石、湯桶石、手水鉢が並んでいます。
井筒から湧き出る水は、上の池(涵翠池/かんすいち)から送水されたもの。