【タブー】白木みのるさん! 『てなもんや三度笠』で大ブレークするもNHKから出演を許されずTVのチャンネルを削る! 怪曲「銭$ソング」を残す! 前田製菓のクラッカーは現在も生産中!

🟣白木みのるさん

白木 みのる

1934年〈昭和9年〉5月6日 – 2020年〈令和2年〉12月16日

日本の俳優、実業家。

島根県八束郡八束村(大根島、現在の松江市)出身。

本名、柏木 彰(かしわぎ あきら)。

愛称は「ベイビー」。

丸美屋のふりかけ

●前田製菓のクラッカーは現在も生産中

前田製菓のHP

https://www.atarimaeda.com

●来歴

父の仕事の関係で日本と満州を往復して育った。

小柄な体躯を活かせる騎手を夢見るが挫折する。

中学時代から美声を買われ、流しのミュージシャンと共に地元の山陰地方を中心に歌謡ショー等に出演していたが、やがてドサ回りの歌謡劇団にスカウトされて近畿方面を巡業、代役で大阪のキャバレーに出演していた時、大阪劇場の支配人に才能を見出され「ミサイル小僧」の芸名で大阪劇場の専属歌手となった。

それまでに「少年田端」「十勝一男」「十代一夫」「ミサイル小僧」「正司彰夫」などと芸名を変えている。

23歳の時に吉本興業にスカウトされ「白木みのる」の芸名を自ら考案。

芸名の由来は、本名の姓「柏」の「つくり」と「へん」を分けて「白木」、「なんでも実らなあかん」との理由で「みのる」。

1959年、ミヤコ蝶々の『あっぱれ蝶助無茶修業』(関西テレビ)のレギュラーとなり、1961年、大阪・朝日放送の『スチャラカ社員』に「こまっしゃくれた」事務員役で出演、人気を博す。

これを機にミヤコ蝶々の押しかけ弟子となった(日向企画所属、マネジメントは吉本興業)。『スチャラカ社員』に出演していた笑福亭松之助とともに、松竹芸能への移籍の誘いがあったが、病気入院のために立ち消えになっている(松之助のみ移籍し、同番組を降板した)。

1960年代を代表するテレビコメディーの『てなもんや三度笠』に珍念役で出演し、小柄な上に声が高い事から時に子役と誤解されつつも藤田まこと・財津一郎らと絶妙な掛け合いを展開し、お茶の間の人気を集めた。

しかしNHKからは「白木が出ると視聴者に不快感を与える」との理由で長らく出演を許されなかったため、腹を立てた白木は受信料の支払いを拒否した他、NHKが一切見られないよう電器屋を呼んで自宅のテレビのチャンネルを削らせたという。

吉本新喜劇の出演本数も300本以上にのぼり、芝居では白羽大介、ルーキー新一、花紀京との共演が多かった。

1968年、『てなもんや三度笠』の終了と共に吉本興業を去って上京、次第にテレビから舞台へ活躍の比重を戻し島倉千代子や三波春夫の舞台に出演したほか、北島三郎の歌謡ショーで30年以上にわたり不動のゲストとして活躍。

モンキーダンスを踊る白木さん、内田裕也さん、尾藤イサオさん、植木等さん、谷啓さん、他

1年のうち、160日間は北島の特別公演の舞台に立つ日々を送った(2011年、芸道生活50周年記念北島三郎特別公演を最後に出演なし)。

2001年、キングジム「テプラ」やMr.ChildrenのアルバムのCMに出演してテレビに復帰、2003年から2004年の連続テレビ小説『てるてる家族』で初めてNHK出演を果たした。

仲違いから絶縁していた藤田と和解し、2007年10月14日の御堂筋パレードでは一緒に「てなもんや三度笠」号に乗って登場した。

2014年公開の映画『テルマエ・ロマエII』に出演してからは芸能活動を行っておらず、事実上引退したとされる。

2015年以降は近所にも姿を見せることはなくなり、2020年4月頃の週刊誌の取材で、取材時点で兵庫県芦屋市の自宅近くにある老人ホームで暮らしていると報道された。

2022年11月11日、SNSで関西の芸能関係者が訃報を流したため、スポーツニッポンが親族へ取材したところ、2年前に死去していたことがこの日に明らかとなった。

スポニチ報道後に掲載された週刊新潮によると、2022年7月に白木と連絡をとれなかった編集部が白木が所有するマンションの登記簿の記載から死去を確認していたものの、この時は親族が死去を認めず記事にできなかった。

●人物

白木は蓄財を基に実業家としても成功しており、2007年現在、兵庫県芦屋市の3階建てマンションのオーナーとして同じマンションで暮らしており、この他に鳥取県内にて両親のために建てた300坪の別荘、芦屋市内に弟夫妻のために建てた60坪の家、さらに淡路島に数万坪の土地を所有している。


生涯独身を通した。

「結婚を考えたことはないです」と言い、白木はその理由について「僕は寸法が足りなくて、一人前の人間じゃないからね、女性も困るだろうと思っていました」と述べている。


2019年に『てなもんや三度笠』がCSの時代劇専門チャンネルで放送された際、同作品関連の特別番組で演出の澤田隆治が、白木みのるが澤田と藤田まことと同い年である旨の発言をしていたが、実際は白木が澤田・藤田よりも1歳年下であり、澤田のこの発言は事実誤認であると考えられる。


●一門

弟子には青芝フック、石倉三郎、室谷信雄らが居り、西川きよしは付き人を務めた。

🟣記事

https://news.yahoo.co.jp/articles/e257ca5dbd9e267662003c1ec7aacf408a23ecb6?page=1

●チャンネルを一つだけ削る

白木をスターの座に押し上げた「てなもんや三度笠」は、高度経済成長時代の真っ只中、昭和37年に始まった。

原作は脚本家の香川登志緒。

演出は澤田隆治という関西喜劇界きっての異能が担当した。

沓掛時次郎をもじった、あんかけの時次郎を藤田まこと、小坊主・珍念を白木みのるが演じた。

藤田は昭和8年生まれ。白木の一つ年上である。  

この凸凹コンビが繰り広げる爆笑の珍道中はアッという問に全国の視聴者の心をつかんだ。

レギュラー陣には、財津一郎、南利明、原哲男、伴淳三郎、堺駿二。ゲストには、榎本健一、てんぷくトリオ、漫画トリオ、かしまし娘、柳家金語楼などが週替わりで出演した。

「収録は大阪・中之島のABCホールで、毎週金曜日の昼12時15分からやっていました。ビジネス街にありましたから、昼休みの若いサラリーマンたちがパンと牛乳を持ってホールにやって来るんです。

食いながら笑い、12時45分に録画が終われば、みんな仕事にヒューッと戻っていきました」  

毎週、テレビから流れてきたあの大爆笑は、中之島や北浜の若いサラリーマンやOLたちの笑い声だったのである。

〈俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー〉

〈ヒッジョーに、キビシーッ〉  

など次々に流行語を生み出し、関西地区では最高視聴率64.8%を記録するほどの人気番組は、NHKも無視できない存在だった。  

昭和38年大みそかの紅白歌合戦。番組が中盤に差しかかった時、カメラは大阪の法善寺横丁を映し出す。

紅組司会の江利チエミが、 「てなもんやのお兄さ~ん!」  と呼びかける。

カメラは店内で年越しそばをたぐる藤田まことを映し出す。

藤田は応える。 「大阪はみんな女性を応援していますよ。大阪は紅一色でっせ」  

白組司会の宮田輝が混ぜっ返す。

「藤田さ~ん、辛いことを言ってはる。無理せんといて~」  

何とも和やかなやり取りだが、視聴者はある種、違和感を覚えた。

“てなもんやのお兄さん”の傍らにいるべき人間が、いなかったからである。

「近所の人に“あんたなんで出なかったの?”と言われて(藤田まことの紅白出演を)知りました。僕にはNHKから声がかからなかったんです」  

白木は続ける。

「NHKが僕を出さなかった理由はわからない。身障者か何かに見られたんじゃないですか。直接は聞いていませんが、吉本の誰かがNHKの人にそう言われたそうです。僕が出ると視聴者に不快感を与えるとか。当時随分、腹が立ちました。NHKには一切出たくないと思いましたね。受信料を払うのはやめましたし、大人げないですが、NHKが一切見られないように電器屋さんにチャンネルを一つだけ削ってもらったんです」  

昭和43年3月、絶大な人気を誇った「てなもんや三度笠」は終了する。

と同時に白木は吉本を去った。

「東京に出たかったんです。井の中の蛙にはなりたくなかった」  東京での活動は舞台が中心となった。

「島倉千代子さんや三波春夫さんの舞台などに出ました。

北島三郎さんの舞台は今まで37年間、ずっと務めさせてもらっています」  

一方、「てなもんや三度笠」で共演した藤田まことは、新境地を開拓していく。

「必殺」シリーズの中村主水役、「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事役などは当たり役となった。  

他方、白木は舞台などで多忙な日々を送っていたが、民放局からもほとんど出演依頼は来なくなった。

テレビ局が放送禁止用語を生み出し自らを縛っていくのと時を同じくして、異形の役者もまたテレビ界から消されていったのである。

🟣歌謡曲

●つんちゃな馬子さで/泣くもんか(1963年7月5日)日本コロムビア SAS-79

●泣いちゃいけない男の子/!(オッタマゲ)のスキャット(1969年10月25日)日本コロムビア SCS-91

●あゝ修身 / 珍念のタンゴ(1970年8月10日)日本コロムビア SAS-1439

A面は二宮金次郎、小野道風、嘘をつく子供の逸話について歌っている。B面は珍念が「花ちゃん」という女の子に恋をする歌。


●銭$ソング(マンダム親子のテーマ) / ダメおやじ(1971年)キャニオン CA-59

古谷三敏の漫画「マンダム親子」のイメージソング。

伊集院光が幼少時にこのレコードを愛聴しており、後年自身の番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」「伊集院光 日曜日の秘密基地」(共にTBSラジオ)でこの曲を紹介。

その強烈な歌詞、ファンキーなサウンド、白木のシャウトが話題となって再評価された。

ちなみに「秘密基地」で白木本人にこの曲についてインタビューをしたところ、歌ったことすらまったく忘れていたとのこと。

後に「突撃!カネオくん」(NHK総合テレビ)の番組主題歌に採用された。

・マンガ図書館Z 無料でマンダム親子が読める↓

https://www.mangaz.com/series/detail/66501

作詞:赤塚不二夫

作曲:鈴木征一

歌唱:白木みのる

歌詞

銭あるぞ 銭あるぞ あげるよ あげますよー 

百億円 千億円 もってけ もってけよー 

銭ありゃマンダム 億万ダム野郎 

かわりにお前の 涙が欲しい 

銭あるぞ 銭あるぞ

ほしい銭 ほしいドル とっとけ とっとけよー 

百億円 百億ドル しょってけ しょってけよー 

金ありゃマンダム 億万ダム野郎 

かわりにお前の 心が欲しい 

ほしい銭 ほしいドル 

🟣てなもんや三度笠 出演芸人の爆笑ギャグ爆発!

🟣石倉三郎結婚式 ビートたけし 白木みのる

🟣島倉千代子さんと共にテレビ出演

https://motion.nowtice.net/s/白木みのる/

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