【プロレス不穏試合】高田、山崎 vs 小林、保永! ガチの喧嘩を小林に仕掛ける山崎!

🟣1988/3/19 高田、山崎 VS 小林、保永戦の背景

1987年11月19日、新日本プロレスのリング上で事件が起こった。

後楽園ホールでのメインイベントの6人タッグマッチで前田日明がサソリ固めの態勢に入った長州力の背後から顔面を蹴った。

長州の右目は腫れ上がり、右前頭洞底骨折で全治1か月と診断された。

この事件が発端となり、前田は新日本を解雇され、1988年5月に新生UWFを旗揚げした。

 

長州が前田の顔面を蹴った時、リング上は、試合の流れが中断し一触即発の状態に陥った。

●1988年3月19日、後楽園ホールで小林邦昭は、保永昇男と組み、高田延彦、山崎一夫とのタッグマッチ。

試合開始早々、山崎が小林に突如、激高し試合の流れを無視しケンカのような状況になり、セコンドが止める事態が起こった。

●小林邦昭談 「僕も過去に山崎と後楽園でやった試合は長州と前田の試合に近いものになりました。なぜ、山崎が突っかかってきたのか、ハッキリは分からないんですが、後楽園の前でどこかの地方でタッグで山崎と闘った時に“ちょっと違うな”って感じてはいました。その流れがあって、後楽園で爆発したっていう感じだと思いますよ。“この野郎”って向こうは思ったんでしょうね。当日は、あんな試合になる予感はなかったんですが、試合の途中でスイッチが入ったんでしょうね。あの時も僕か山崎のどっちかが相手の顔面を蹴っていたら長州と前田と同じ状態になっていたでしょうね。試合後、控室で山崎に何か言いましたよ。だけど、お互いケンカになって話になりませんでしたね」

予想外に発生した一触即発のケンカマッチだが、小林は、それがプロレスの面白さだという。

「自分であんな試合を起こしておいて言うのも、何ですけど、プロレスはハプニングが起きるような試合じゃないと面白くないんです。極端な話、シェイクハンドで始まってシェイクハンドで終わるような試合は面白くない。一時、ありましたよね?新日本対UWFの試合で試合が終わって、お互いリング上で土下座してあいさつみたいなのことをやってましたけど、あんなの面白くない。どんな試合をやっても最後にお互いに握手をして“いい試合でしたね”ってあんなの試合じゃない。一時、それが美化された時代がありましたけど、僕なんかは、そういう試合を見て“何やっているんだ”って思ってました。あんなのプロレスじゃないですよ」

小林のプロレス哲学は「ハプニングがあってこそプロレス」という信念だった。

「だから長州と前田の試合もハプニングです。あの試合もお互いがシェイクハンドして、ありがとうってリングを下りたら面白くなかった。あれは、あれで前田日明はこの世界じゃ嫌われた人間になったけどそこを飛び出してUWFで成功しましたよね。それもハプニングがあったからこそだったと思います。だから、あれはあれで良かったんです」

 

🟣小林、保永 vs 高田、山崎

●1988/3/19

🟣小林VS山崎の喧嘩マッチ【不穏試合ファイル1】1988

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