🟣香川県独立の父 中野武営 (なかのたけなか、なかのぶえい) さんの人生↓
🟣中野武営さんの分骨されたお墓と顕彰碑がある蓮華寺(れんげじ)を訪問 (2022/5/16)
少々肌寒い中、高松市浜ノ町にある香川県独立の父 中野武営 翁のお墓と顕彰碑がある蓮華寺へ。
蓮華寺では、親切な近所の方が境内を案内してくれた。墓石と顕彰碑は境内の北奥の方にある。この方は、この後行く「若一王子神社」の寄進碑の位置や武営翁筆の石碑の場所も教えてくださった。
また、「若一王子神社」へ着き、境内の寄進碑の前で写真を撮っていると丁度、近くに住む氏子の方が入ってきて境内の石碑の位置や武営さんの生家場所などを教えてくださった。偶然のことだったが、お二人には感謝したい。本当に有難うございました。
それにしても、もし1888年に香川県が愛媛県から独立していなかったら今ごろどうなっていただろうか?
四国は三国に、、、?
●蓮華寺にある中野武営 翁の顕彰碑の表面には、実績が、そして裏面には渡米時、ペリー提督の墓前で詠んだ 「碑(いしぶみ)に 眼鏡ぬぐふや 初時雨(はつしぐれ)」の句が刻まれている😃
●高松駅から蓮華寺へ行く場合、徒歩だと12-13分程度かかる。始めては行かれる方は、線路の北側から行くほうが良いだろう。
●蓮華寺の山門
●渋沢栄一翁の右腕だった中野武営さん。武営さんは渋沢栄一翁から東京商業会議所の会頭を引き継ぎ1905年から1917年まで13年間務めた。
●墓石と顕彰碑
🟣中野武営翁顕彰碑 (高松市浜ノ町 蓮華寺)
●陸橋から撮影した蓮華寺
●陸橋を渡り向かい側から撮影した蓮華寺
🟣若一王子神社 (にゃくいちおうじ)(高松市錦町)
●蓮華寺から若一王子神社へは、蓮華寺横の陸橋を渡り徒歩7-8分程度かかる😃
●若一王子神社の由緒
中野武営 翁の生家近くの若一王子神社 (高松市錦町)の拝殿で参拝を済ませ、左手にある寄進碑の写真を撮っていると、丁度、近所に住む90歳以上だという親切な氏子の方が入ってきて境内を案内してくれた。武営さんの顕彰会に入っているとのこと。
●武営さん筆の石碑は鳥居をくぐってすぐ左手にある。
●石碑の裏には「中野」の文字があるが表面が削れており、半紙を使って解読しようとしたが、読めないとのことだった。
●この方によると神社のすぐ西側辺りが生家だろうとのことだった。
江戸時代、この辺りは鉄砲町と呼ばれていた。
神社から東側は地図が残っているが、神社から西側は当時の地図が残っていない為、武営さんの生家場所は特定できないようだ。
兵庫県にいらっしゃる子孫の方(玄孫)も生家場所は分からないとのことだった。
●若一王子神社の西側
●武営さんは、香川県庁近くにあった講道館で、剣道を習い非常に強かったとのこと。文武両道で頭も良かった。父は高松藩の勘定奉行だった。武営さん自身も高松藩士となった。
●この辺りでも、武営さんのことは殆ど知られていなかったが、ここ2-3年で顕彰会ができ少しずつ知られるようになってきたとのこと。
殆ど知られていなかった理由のひとつは、武営さんは、ご自身の功績を自慢したり誇示したりするタイプの人間ではなく謙虚な方だったのだろう。武士の精神をもった方だったのだろう。
また政治家、実業家として実績が広範囲に及ぶ為、実体が掴みにくく印象に残りにくいのかもしれない。
●拝殿左手には武営さんの寄進碑がある (右から6本目)。
案内してくれた方曰く、明治時代当時のの五拾圓は現在の価値だと約2万倍の100万円くらいだろうとのことだった。
●2022/5/16。この日、肌寒かったが近所の子供達が境内で遊んでいた。武営さんも幼き頃、境内で遊んでいたことだろう。
●追加 2022/6/15
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