【高松市瓦町】懐かしい昭和時代の高松市 瓦町駅と常磐町商店街の動画と画像を集めてみた!

🟣香川県の人口推移

●香川県HP

https://www.pref.kagawa.lg.jp/tokei/sogo/graph/1002.html

●香川県推計人口及び人口移動(令和4年9月1日現在推計)→ 93.4万人

https://www.pref.kagawa.lg.jp/tokei/jinko/jinkoido/population202209.html

●高松市の人口推移

https://jpmarket-conditions.com/local/37/37201/figures/

高松市は合併と県内他地域からの人口流入により人口増。

🟣現在の高松市の瓦町駅周辺や常磐町商店街を行き交う人の数を昭和時代と比べると本当に寂しくなった!

1970年〜1980年代の週末に常磐町を歩いていると往来する人と袖触れ合うくらい多くの人が歩いていた。

まあ、今は歩きやすくて楽だが笑😃

1980年代、ダイエーの地下にラーメン屋、映画館、明石焼きの店もあった。タマルのレコード屋でクールスのテープを買った😃

宮武ペットショップ、太田理工社 笑😃

あの頃の高松には良い思い出しかない😃

🟣常磐町

町名の由来は当時の事業家・溝渕寿吉(現常磐興業)が現在のトキワ街(常磐町商店街)周辺の土地を買い取り、演劇場「常磐座」(1928年7月)や常磐映画館(1943年12月)などを作ってこのあたりを常磐としたことによる。

当時、常盤と常磐の2つの案があったが、溝渕寿吉は皿ではなく破れることのない石を使った字を主張して譲らなかった。

これは常磐街に敷きつめた市内電車の敷石からも通じ、この石畳は1968年(昭和43年)秋に舗装道路へ変わるまで約20年間、常磐街の名物になっていた。

1958年(昭和33年)に田町、新瓦町、西瓦町、南新町、塩上町、南瓦町の各一部から新設。新設前のこの地は大部分が「瓦町」を冠する一連の町の一部であった。

かつて存在した一連の瓦町のうち東瓦町、新瓦町、西瓦町の3町は江戸時代に高松城城下町の一部となったのに対し、南瓦町のみは明治時代まで香川郡東浜村の一部であった。

1890年(明治23年)2月15日の高松市市制施行と同時に高松市へ編入されたが。編入当時は正式な町名が与えられなかったため、「瓦焼」の通称地名で呼ばれていた。

その後、1914年(大正3年)に瓦町の南に位置するという意味で「南瓦町」の正式町名が設定された。

なお、「瓦焼」という地名は東浜村時代の新瓦町で使われていた地名である。かつて旧南瓦町には千日念仏堂があり、生駒時代にあった斬罪場にまつわる千日供養が行われていた。

おおむね現在の瓦町一丁目が東瓦町、南東部を除く瓦町二丁目が西瓦町、瓦町二丁目の南東部と常磐町一丁目が新瓦町、常磐町二丁目が南瓦町であった。この時の名残は現在ではほとんど残っていないが、バス停の名称としてのみ「南瓦町」が残っている。

🟣瓦町

1958年(昭和33年)に東瓦町、西瓦町の大部分と南新町、古馬場町、福田町、塩上町、新瓦町の各一部から新設。1964年(昭和39年)には福田町の一部を瓦町一丁目に、八坂町・塩上町の各一部を瓦町二丁目に編入した。

このような変遷を辿り、かつての一連の「瓦町」を冠する町々は大部分が瓦町と常磐町の2町にまとめられた。おおむね現在の瓦町一丁目が東瓦町、南東部を除く瓦町二丁目が西瓦町、瓦町二丁目の南東部と常磐町一丁目が新瓦町、常磐町二丁目が南瓦町であった。この時の名残は現在ではほとんど残っていないが、バス停の名称としてのみ「南瓦町」が残っている。

戦後までの瓦町は元々東浜村の一部で、江戸期に高松城下町の一部となった。

地名の由来は瓦焼師が多く住んでいたことによる。江戸時代の高松城下ではしばしば大火が発生していたため、その度に従来の茅葺から瓦葺きの屋根に葺き替える民家が多く、瓦の需要は常に大きかった。明治中期頃から大正期にかけても玉屋・備前屋・水屋・岡の屋などの瓦焼業が存在している。

天保元年には東浜村の一部であった新瓦町が高松城下の1町となる。その後もこのあたりは明治時代まで東部・南部にほとんど民家は無く、野原の中に千日石碑が建っていた。

1902年(明治35年)には新瓦町尋常小学校が設置され、1909年(明治42年)には市内では最初の青年団である新瓦町青年団が結成されている。

1832年(天保3年)には東瓦町と西瓦町に分けられたが、以後も両町の総称として瓦町は用いられた。その後、徐々に瓦町を称する町は増え、最終的には4町が瓦町を名乗るようになる。これら瓦町は早い時期から城下町に組み入れられて町名も与えられ、広大な範囲を指すようになったが、町内には田圃と曲がりくねった道に棟割長屋のような民家がわずかに点在するだけの寂しい場末の町であった。このような状況は1945年(昭和20年)の高松空襲まで続く。

🟣【貴重映像】OHK秘蔵のアーカイブを振りかえってみた!【高松市瓦町・常磐町】

🟣ことでん瓦町駅

🟣ことでん瓦町駅

●十角形の駅舎

●コトデンスーパー

●瓦町駅東側の家々

●常盤街の入り口左手はミスタードーナツだった😃 今はジェラート屋さん? 右手は果物屋さん?

●常盤街

●高松東宝(昭和52年)。ここにスカラ座もあった。記憶にある人生で初めて映画館で観た映画はエレファントマン(スカラ座)だった💦

●タマル レコードやカセットテープを買っていた😃 今はイベントスペース

●常盤街

●瓦町駅の朝のラッシュ

●瓦町駅前にあった噴水

●瓦町駅の朝の混雑

●瓦町駅舎の解体日

●瓦町駅上空からの写真

●コトデンそごう開店日

●常磐街のOPA開店日

●高知のひろめ市場を目指した いろは市場

●天満屋閉店

●南新町 

●栗林公園

●高松祭り

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です