【生き仏】酒井雄哉 天台宗大阿闍梨 インタビュー動画! 1200年間で3人しかいない比叡山での千日回峰行を2度達成! 途中で行が続行不可能なら自害する!

🟣千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは?

滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行の一つである。

満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と称される。

千日回峰行の祖、相応和尚像(無動寺)

「千日」と言われるが実際に歩む日数は「975日」である。

「悟りを得るためではなく、悟りに近づくために課していただくことを理解するための行である。

●概要

行者の服装(1954年7月発行の国際文化情報社「国際文化画報」より)

この行に入るためには、先達から受戒を受けて作法と所作を学んだのちに、「初百日満行」入り、その後7年の間、1 – 3年目は1年間に連続100日、4 – 5年目は1年間に連続200日、行を為す。

無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発する。

真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30キロメートル (km) を平均6時間で巡拝する。

途中で行を続けられなくなったときは自害する。

そのための「死出紐」と、降魔の剣(短剣)、三途の川の渡り賃である六文銭、埋葬料10万円を常時携行する

未開の蓮華の葉をかたどった笠をかぶり、白装束、草鞋履きで行う。

●堂入り

無動寺明王堂

5年700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われる。

行者は入堂前に生前葬となる「生き葬式」を執り行い、無動寺明王堂で足かけ9日かけて断食・断水・断眠・断臥の4無行に入る。

堂入り中は明王堂に五色の幔幕が張られ、行者は不動明王の真言を唱え続ける。

毎晩、深夜2時に堂を出て、近くの閼伽井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。

水を汲みに出る以外は、堂中で10万回真言を唱え続ける。

堂入りを満了して「堂さがり」すると、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となり、信者達の合掌で迎えられる。

これを機に行者は自分のための自利行から、衆生救済の利他行に入る。

6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60kmの行程を100日続ける。

7年目は200日行い、はじめの100日は全行程84kmの京都大回りで、後半100日は比叡山中30kmの行程に戻る。

●満行後

満行者で、無動寺谷明王堂の輪番職にある者は、その後2 – 3年以内に、米・麦・粟・豆・稗の五穀と塩・果物・海草類を100日間摂取しない「五穀断ち」ののちに、自ら発願して7日間の断食と断水で火炙り地獄とも俗称される「十万枚大護摩供」を行う。

満行者は京都御所に土足参内し、加持祈祷を行う。

京都御所内は土足厳禁だが満行者のみ許される。

回峰行を創始した相応和尚が草鞋履きで参内したところ文徳天皇の女御の病気が快癒したからであるとも、清和天皇の后の病気平癒祈祷で草履履きのまま参内したからとも伝聞される。

回峰行初百日を終えた後に立候補し、先達会議で認められた者が行に入る。

🟣酒井 雄哉 大阿闍梨とは?

酒井 雄哉(さかい ゆうさい)

1926年(大正15年)9月5日 – 2013年(平成25年)9月23日 )

天台宗の僧侶。

比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者として知られる。

天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山 飯室谷不動堂長寿院住職を務めた。

🟣経歴


●誕生


1926年(大正15年)、大阪市玉造で、10人兄弟の長男として生まれる。

5歳の時、一家で東京へ移る。

旧制麻布中学を受験するも失敗し、1941年(昭和16年)、慶應義塾商業学校(慶應義塾大学の夜間商業学校)に入学、同校卒。

落第生で卒業が危ぶまれたため、担任教員に、軍隊入隊を勧められる。

当時は入隊と引き換えに卒業が認められる制度があった。

●入隊


1944年(昭和19年)、熊本県人吉の予科練に入隊。

そこで半年間の訓練を受けた後、宮崎県の宮崎海軍航空隊(後の松島海軍航空隊、陸上攻撃機)所属を経て、鹿児島県の鹿屋飛行場に移る。

同僚が特別攻撃隊員として、次々と戦死していく中、鹿屋飛行場も連日のように米軍機による空襲を受ける。

ある日、訓練の最中に米軍の機銃掃射による猛攻撃を受け、逃げ損ねるが、田んぼの溝に落ち、奇跡的に助かる。

少し前まで元気だった優秀な仲間が命を失い、自身は生き残った体験から、世の無常を味わう。

●戦後


戦後は、法政大学の図書館職員となり、その働きぶりが評価され、大学の教授から、法政大学入学を勧められる。

自身もその気になり、法政大学受験を決意。願書を出すため、出身校である慶應義塾商業学校の成績証明書を取りに行くも、不安になり、中を見ると、品行が良くないなど、ろくなことが書かれていないことに愕然とし、受験を断念。

同時に職場も放棄してしまう。

その後、父親が始めたラーメン屋を手伝い、繁盛したものの、約5年で火事で廃業。

次に、父親と株売買の代理店を始めるが、スターリン暴落による大損害で、借金取りに追われる始末。

その後も、そば屋の店員、菓子屋のセールスマンなど、職を転々とする。

33歳の時、従妹と結婚するが、新婚早々、妻が大阪の実家に帰ってしまう。

連れ戻そうと迎えに行くも、しばらくして妻がガス自殺を遂げる。

わずか2ヶ月の結婚生活だった。以後、抜け殻のような生活を送る。

●比叡山へ


ある日、叔母と比叡山を訪ねたことがきっかけとなり、折に触れて通うようになる。

1965年(昭和40年)、39歳のとき出家、得度。

ここが最後の砦と自覚し、十代、二十代の若者に混じり、天台宗学の理論と実践を学ぶ。叡山学院を首席で卒業。

天台座主賞も受賞する。

千日回峰行に挑む前には、明治時代に死者が出て以来、中断していた荒行で知られる常行三昧も達成している。

●千日回峰行


1973年(昭和48年)より千日回峰行を開始し、1980年(昭和55年)10月に満行した。

この行の様子は1979年(昭和54年)1月5日、NHK特集『行~比叡山・千日回峰~』で放送された。

しかし酒井はこれに満足せず、半年後に2度目の千日回峰行に入った。

そして、1987年(昭和62年)7月、60歳という最高齢で2度目の満行を達成した。

2度の千日回峰行を達成した者は、1000年を越える比叡山の歴史の中でも3人しかいない。

●その後


1990年(平成2年)、15年ぶりに下山。厳しい護摩供のほか国内各地、中国五台山、エジプト・シナイ山などを巡礼。

1995年(平成7年)にはバチカンでローマ法王ヨハネ・パウロ2世にも謁見している。

同年、仏教伝道文化賞(功労賞)受賞。晩年は、比叡山麓の飯室谷不動堂に住み活動した。

2008年(平成20年)にはエジプトを訪問した。

2013年(平成25年)、心不全のため死去。87歳。

🟣言葉

●今日のできごとは今日でおしまい。「一日が一生」という気構えで生きていくと、あんまりつまらないことにこだわらなくなる。

●人間だって自然の一部。自然はいろいろな命が繋がり合っている。誰もがいろいろな命の中で生かされているんだ。

●今の人たちは利口すぎるんだよな。子どもの時から一生懸命勉強をして、頭の中が知識で満タンになってる。問題はなんのために勉強するのかってことだよ。

●池の鯉だって、ただ泳いでいるうちは水の楽しさやありがたさはわからない。陸に引き揚げられてはじめて、水の良さがわかるんじゃないの。

●人間は金持ちでも貧乏でも、頭が良くてもできが悪くても、誰でもいつかは死ぬ。死んだら終わり。誰も変わらないんだ。

●一歩ふみだすためにどうしたらいいかって?どうしようかと思うこと自体がおかしいんだよ。やりたいことがあるならやればいい。

●余計なことを考えず、今、目の前にあることを一生懸命やるという気持ちだけをもっていればいい。そしてひとつ道を見つけたら、生涯それで生きていくと決める。腹をくくっていれば動揺したり迷ったりすることはない。

●一歩ふみだすために
どうしたらいいかって?

どうしようかと思うこと自体が
おかしいんだよ。

やりたいことがあるなら
やればいい。

「失敗したらどうしよう」
なんて、やる気がないから
そういうことを考えるんだ。

最初から
うまくいくわけがないんだよ。

失敗を繰り返しながら
続けていくものなんだから。

今の人たちは
利口すぎるんだよな。

子どもの時から
一生懸命勉強をして、
頭の中が知識で満タンになってる。

問題はなんのために
勉強するのかってことだよ。

余計なことを考えず、
今、目の前にあることを
一生懸命やるという気持ちだけを
もっていればいい。

そしてひとつ道を見つけたら、
生涯それで生きていくと決める。

腹をくくっていれば
動揺したり迷ったりすることはない。

今までこれだというものを
見つけられなかった人は、

今からでも「これをやろう」
と決めて進んでいけばいい。

大事なのは年齢じゃなくて、
決めたことをやり続けること。

今日の自分は今日でおしまい。
明日の自分は
今日の自分とは違うんだ。

『一日が一生だ』と
僕は言うんだけれど、

どんなときも一日一日を
真剣に生きていくしかないんだよ。

むずかしい問題だなと思ったら
自分の力で
できそうな部分を見つけて

そこからどんどん崩していけば
ゴールにたどり着けるんだ。

これから大きなものを
やろうと思ったときには

本当に些細なことから
根性を持って
こなしていかなかったら
できないんだよ。

🟣1200年で3人…壮絶を極める千日回峰行とは?|小名木善行

🟣インタビュー動画 酒井雄哉大阿闍梨に聴く『千日回峰行と、その覚悟』

https://m.youtube.com/watch?v=xhcy5tr2kMI

🟣インタビュー動画 酒井雄哉大阿闍梨が語る『堂入り(四無行)と、不思議な体験』

https://m.youtube.com/watch?v=COraqD-RxjQ

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