【タブー】封印作品 懐かしの特撮ヒーロー、サンダーマスクの最終回に何が起こったか?

🟣『サンダーマスク』とは?

1972年10月3日から1973年3月27日まで日本テレビ系列局 (NNS) で放送された特撮テレビ番組、およびその劇中に登場する変身ヒーローの名前である。

東洋エージェンシー(現・創通)とひろみプロダクションの共同製作。

全26話。

放送時間は毎週火曜 19:00 – 19:30 (日本標準時)。

テレビ放送と並行して、手塚治虫による漫画版が『週刊少年サンデー』で連載されていた。

●概要

元々は、虫プロダクションが手塚治虫の漫画作品『魔神ガロン』の実写化作品として企画していたものである。

しかし、制作は中止され、後にその一部のスタッフらが設立したひろみプロダクションによって引き継がれ、現在の形となった。

手塚を原作者として扱っている資料もあるが、実際には旧知だったひろみプロの依頼によるコミカライズ作品として描かれたものであり、その内容はテレビ版と大きく異なっている。

それ以外にも、テレビ版に準じたコミカライズ作品が、『冒険王』、『別冊冒険王』、小学館学年誌で連載されている。

本作のスタッフ編成は、『魔神ガロン』のパイロット版監督を務めた金田啓治が押しの一手で、『ウルトラマン』の上原正三と藤川桂介、『ゴジラ』の本多猪四郎などの招聘を実現。

金田の紹介で、ひろみプロから下請制作を任されていたエキスプロダクションも、『仮面ライダー』などの掛けもちで多忙を極めながら、自社スタッフを総動員する形で撮影に臨んだ。

同時期のウルトラシリーズでは1週につき500万円の予算が支給されていたように、特撮巨大ヒーロー作品は多額な制作費を必要とするが、本作では『仮面ライダー』などの等身大ヒーロー物に若干上乗せした程度の、1週につき300万円の予算しか支給されていなかった。

撮影は本編と特撮の二班で行われたが、制作スケジュールはスタッフの人数不足の問題もあり常に自転車操業の状態であった。

そのため、15%前後の平均視聴率を記録しながら半年間で終了した。

●デザイン


金田の招聘で成田亨が本作に参加する予定だったが、成田は「グリーンマン」と名付けたヒーローデザインを手掛けた時点で『突撃! ヒューマン!!』へ引き抜かれ、本作から降板。

残された「グリーンマン」のコピー原画を基として、企画者の平田昭吾が描いたデザイン画にひろみプロ所属のデザイナーである成田マキホが手を加え、サンダーマスクのデザイン画が完成した。

成田マキホは平田からの依頼で本作に魔獣のデザイナーとして参加。

成田マキホはデザインする際は名称を決めてからデザインすることを心掛けていた。

当初は書籍を発行する関係で7体ほどをデザイン先行したが、後半はシナリオに沿う形でデザインしていた。

成田マキホは魔獣について「人が入る関係でずんぐりしたが、自分が描いたイメージを壊すことなく造形されてうれしかった」と述べている。

テレビ版の権利


テレビ版はひろみプロ・東洋エージェンシー(現:創通)の両社が連名クレジットされているにもかかわらず、放送終了後には東洋社員が制作会社を訪れ、一方的な形でマスターを引き上げた。

地上波では1994年3月27日、中京テレビ『今甦る!昭和ヒーロー列伝』で抜粋した3話分を放送したのを最後に、「マスターは状態が悪い」、「ネガならある」、「すべて存在しない」と創通側の説明が二転三転。

本作の権利が分散し、各会社の権利と利害が発生することも含め、現段階で創通のみの判断では再放送やソフト化して市場に流通販売できない、いわゆる封印作品と化している。

🟣サンダーマスク OP ED

🟣1話

🟣13話

🟣19話 サンダーマスク発狂

🟣最終回

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