⬛️昭和天皇へ料理献上、安部譲二さんとの意外な関係とは?(最終更新日: 2019.1.27)

1972年(昭和47年)撮影。香川県東かがわ市にある家業のレストラン・オリエンタル内。当時、県内では珍しかった顧客の目の前でステーキを焼くオープン・キッチン・スタイルだった。旧・神戸オリエンタルホテルの伝統の味を受け継ぐレストランは日本でも数少なくなっている。


-隠れ家的レストランの秘めたエピソード-

■昭和天皇へ料理献上:

日本が高度経済成長期にあった昭和30年代、神戸元町のオリエンタル・ホテルにて1つのプロジェクトチームが結成された。

そのプロジェクトの目的は、昭和天皇がオリエンタルホテルで宿泊する際の料理を作り献上することであった。

当時ホテルにいた数百名の中から5名がプロジェクトメンバーに選抜された。

選抜メンバーは、第12代総料理長である伊藤孝二氏、石坂勇氏(後に名誉総料理長)、梶谷氏、森功、梅田氏の5名であった。

選抜メンバーは、料理を作る1ヶ月前から兵庫県庁職員立会のもと、健康診断、検便などの検査、そして、戸籍などの身元調査が開始された。

当時、私の父 森功の東かがわ市の実家にも調査員が訪れた。

昭和天皇への料理を作る1週間前になるとホテルから外へは出られず、ホテルに缶詰状態となり、抗生物質の投与が開始された。

料理に使う調理道具類は、全て大きな鍋で沸騰させた熱湯の中に入れられ絶えず煮沸消毒された。

昭和天皇へ実際に提供された料理は、神戸牛、明石の鯛など最高級の食材数種類の一番美味な箇所が少量ずつ献上された。

神戸牛は元町で現在も営業を続ける創業明治6年の「森谷商店」から提供された。

昭和天皇に献上された神戸牛は、前日、元町通りをパレードして練り歩いた。

天皇の晩餐終了後には各メンバーに対し、十六菊花紋の印がはいった御賜の煙草が配られた。

■オリエンタル・ホテル勤務時代:

1958年9月5日。 石原裕次郎と北原三枝。 旧・神戸オリエンタルホテルにて。

1959年4月28日(昭和34年)。第12代総料理長 伊藤孝二氏(左)とともにホテル5階にて。 背後にある歌碑は、1956年(昭和31年)に昭和天皇が神戸に来た際、 旧・神戸オリエンタルホテルの屋上から、 神戸みなと祭・海上提灯行列の夜景を見た印象を、 翌年(昭和32年)、 宮中歌会始の儀に「灯」の御題のもとに詠んだもの。

神戸メリケンパークオリエンタルホテルの最上階14階のバルコニーへ移転された歌碑。< 歌の内容 >
「港まつり 光りかがやく夜の舟に こたへてわれも ともしびをふる」

オリエンタル・ホテルにて勤務した期間、昭和天皇、皇后、皇太子(平成天皇)、財界、政界の著名人、石原裕次郎さんに代表される芸能人、ジーン・バッキー投手を始めとする阪神タイガースの選手面々、当時、来島ドック社長であった坪内寿夫氏、そして、作家の安部譲二氏の父親である安部正夫氏らに料理を提供した。

ジーン・バッキー投手
坪内寿夫氏

石原裕次郎さんが、オリエンタルホテルへ来た際は、何か軽食をとの注文があり、特製クラブサンドイッチを作って出した。

安部正夫氏は神戸牛のステーキを好んで食した。食材から調理器具類まで購買をしていた為、安部さんから頼まれて神戸市垂水区のジェームズ山の自宅まで神戸牛を届けたこともあった。この頃、安部正夫氏は、オリエンタルホテルの第5代社長であり、息子である安部譲二さんを何度も見かけたという。

当時の安部譲二さんはといえば、1961年1月に23歳で日本航空に入社、スチュワードからパーサーまで出世し、1965年1月に退社した。退社の理由は、理不尽な要求をする乗客とトラブルになり殴ってしまったことをきっかけに、前科3犯(当時)で執行猶予中であることや暴力団組員であることが露見してのことだったそうである。

日本航空時代の安部譲二さん。当時、安部譲二さんは、父親の安部正夫さんが社長を務めていた神戸オリエンタルホテルにも神戸市垂水区のジェームズ山のお宅にも何度も行っていたそうです。 生前、父も安部譲二さんを何度も見かけたと言っていました。 写真は、安部譲二さんから2018年12月20日付けのメールにて使用許可を頂いています。



1969年12月1日に、株式会社オリエンタルホテル 取締役社長であった安部譲二さんの父 安部正夫氏から13年間皆勤を表彰されている。

当時、オリエンタルホテルの第5代社長に就任していたこの日本郵船の安部正夫氏が、 「港街・神戸のシンボルに」と、 1964年(昭和39年)に日本で初めてホテルの敷地内に建つ公式灯台を設置した。この灯台は、今も神戸メリケンパークオリエンタルホテルの最上階に残る。

神戸メリケンパークオリエンタルホテルの最上階14階のバルコニーにある灯台

オリエンタルホテルでの勤務に加え、辻調理師学校、芦屋の料理教室での講師も務めた。

1958年10月17日のディナーメニュー

1962年4月20日のディナーメニュー

1961年(昭和36年)のレシピノート(明治時代から受け継がれたデザートのレシピがびっしりと書かれてる。レシピが残っている西洋料理やデザートを期間限定で復活させて提供しても面白いかもしれない。実家にはこのようなオリエンタルホテルで提供されていたレレシピが何百とある。当時は口伝が中心だっただけに今となっては日本における西洋料理を語る上で大変貴重な資料となっている)

レシピノートの中身

⬛️森 功 (もり いさお):

1938年(昭和13年)5月15日~2013年(平成25年)9月3日 永眠。

香川県大川郡大内町馬篠(現、東かがわ市馬篠)生まれ。

旧・神戸オリエンタルホテル出身の西洋料理人。

18才の時、香川から単身、神戸へ渡り、神戸元町の旧居留地にあったオリエンタル・ホテルにて働き始める。

皇室、皇族向け料理プロジェクトメンバー。

1972年10月18日(昭和47年)に、誰でも気軽に楽しめる洋食をとの思いから、故郷の香川県東かがわ市にてステーキレストラン オリエンタルを開業。

大志を抱いた18歳から亡くなる75歳までの57年間、明治時代から受け継がれる伝統の味を守り続けることに全精力を傾け、生涯 一料理人としての人生をまっとうした。

■旧・神戸オリエンタル・ホテルとは?

1882年(明治15年)頃のオリエンタルホテル建物(初代)
1907年頃(明治40年頃)海岸通に在った当時のオリエンタルホテル建物(3代目)



1932年(昭和7年)オリエンタルホテル前を行く神戸臨港線B50形蒸気機関車

1964年(昭和39年)に京町25番地に移転し、ホテル建物(4代目)を新築。その際、第5代社長に就任していた日本郵船の安部正夫氏(作家 安部譲二氏の父)が、“港街・神戸のシンボルに”という想いのもと、日本で初めてホテルの敷地内に建つ公式灯台が設置された。
1995年(平成7年)1月17日に阪神淡路大震災が発生し、ホテルは大きな被害を受け営業停止となった。

神戸オリエンタルホテルは、明治以降、日本で最高レベルのホテルの一つであり、また最高の料理が味わえる場所として有名だった。

外国人居住者、外国人観光客だけでなく、日本の財界、政界人も上流社会の社交場として利用していた。

その歴史を振り返ると、1889年(明治22年)に『オリエンタル・ホテル』に宿泊したイギリスのノーベル賞作家 ラドヤード・キップリングは、『オリエンタル・ホテル』の料理を「世界最高峰の料理だ」と絶賛した。

改築後の3代目オリエンタルホテル (昭和前期)

戦前のオリエンタルホテルのロビー

戦前のオリエンタルホテルのレストラン

戦前のオリエンタルホテルのパンフレット

1922年(大正11年)、アインシュタイン博士が来日した際に滞在。

1924年(大正13年)11月には神戸に来た孫文が滞在した。この時、孫文は「大アジア主義」と題した有名な演説を行い、また頭山満とオリエンタルホテルにて2日間に渡って会談している。

1937年(昭和12年)、ヘレン・ケラー(1880~1968)が、来日した際、住友男爵の神戸の別荘に数日間滞在したが、住友男爵はオリエンタルホテルのシェフに彼女のための食事を準備させた。 ヘレン・ケラーは後年、「これまで食べた中で一番美味しい料理だった。」と書いている。

1948年(昭和23年)に完成した谷崎潤一郎の作品「細雪」にはオリエンタル・ホテルが幾度も登場する。

1954年(昭和29年)には映画女優マリリン・モンローと大リーグの名選手ジョー・ディマジオが滞在した。

そして、1956年(昭和31年)以降、昭和天皇が神戸に来た際に滞在、食事をするホテルとなった。

歴代の料理長には、『帝国ホテル』の礎を築いた内海藤太郎氏や、『築地精養軒』の全盛期をもたらした鈴本敏雄氏、岡山広一氏、田上舜一氏といった、日本の西洋料理史に名高い名料理人が務め、往年期は「日本の西洋料理といえば東の帝国ホテル・横浜ニューグランド、西のオリエンタルホテル」と言われた関西屈指の名門ホテルであった。

■旧・神戸オリエンタル・ホテル歴代料理長:
ルイ・ベギューがオーナー兼シェフを していた「オテル・デ・コロニー」の料理長に就任し、このホテルが、後に「神戸オリエンタルホテル」となり、黒沢為吉が初代料理長に就任する。

日本の西洋料理史に名高い伝説のシェフ達が歴代の料理長を務め西日本屈指の名門ホテルとしてその名を馳せた。

第1代料理長:黒沢為吉
第2代:羽谷寅之助
第3代:米沢源兵衛
第4代:鈴木卯三郎
第5代:鈴本敏雄(1890~1967)『築地精養軒』の全盛期をもたらす 
第6代:杉本甚之助(阪急百貨店食堂顧問、宝塚ホテル料理長など歴任、宝米ピラフの考案者)
第7代:内海藤太郎(1874~1946)『帝国ホテル』の礎を築く
第8代:木村健蔵(東洋ホテル料理長)
第9代:岡山広一(倉敷国際ホテル総料理長)
第10代:田上舜三(倉敷国際ホテル総料理長)
第12代:伊藤孝二
第-代:石坂勇(神戸オリエンタルホテル名誉総料理長)

1962年5月19日(昭和37年)。 比叡山にて。第12代総料理長 伊藤氏(左)。

2002年1月13日撮影。第12代総料理長 伊藤孝二氏を偲ぶ会。神戸メリケンパークオリエンタルホテルにて。

🔷旧オリエンタルホテル(京町25番地)のご婚礼のしおり

幼少の頃よく食べていたドライパイとクッキーの写真が載っている。
住所が、神戸市中央区京町25ではなく、神戸市生田区京町25となっている。当時は、六甲オリエンタルホテル、京都オリエンタルホテルもあった。





香川うまい店グルメカタログの9ページで紹介されている。


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