【タブー・昭和歌謡曲】 50年前の女性ボーカル! 青山ミチさんの波乱の人生とは? 安西マリア〜平山みき〜はつみかんな〜万里れい子〜沢知美〜中村晃子〜松山ケメ子!

◼️50年前の女性ボーカル!

人口増加、高度経済成長、激しい競争社会など時代背景もあるのか根性がありそうな、個性的な声の方が多いようだ😃

◼️安西マリア 『涙の太陽』 1973年

◼️真夏の出来事 昭和46年(唄:平山みき)平成2年放送 日本歌謡チャンネル

◼️青山ミチ Aoyama Michi 恋はスバヤク koi wa sabayaku

◼️青山ミチ – ABCからZまで 1963

◼️夢の超特急 Yume No Chotokkyu ( 青山ミチ Aoyama Michi)

◼️青山 ミチ(あおやま みち)とは?

https://amzn.to/3vh5U8g

本名:八木 フサ子〈やぎ ふさこ〉

1949年(昭和24年)2月7日 – 2017年(平成29年)1月

日本の元ポップ、ロック歌手。

代表曲に「涙の太陽」「ミッチー音頭」「叱らないで」「恋のゴーカート」「恋はスバヤク」などがある。

◼️人物

神奈川県横浜市出身。

父親が在日米軍のアメリカ人兵(黒人と報じられることもあったが菊地史彦は白人と断定している)で母親が日本人(八木キミ子)。

1961年(昭和36年)、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコード(日本グラモフォン、現・ユニバーサル ミュージック)の目にとまり、翌1962年(昭和37年)に「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。

当時は13歳で横浜市立港中学校の2年生だったが既に身長160センチメートル(cm)、バスト93cm、ヒップ90cmに達していた。

パワフルでパンチのある唄声で「ミッチー」の愛称で親しまれ、ジャンニ・モランディの曲をカバーした「恋のゴーカート」や、やはりカバー曲の「恋はスバヤク」などを発表した。

また、1963年(昭和38年)には「ミッチー音頭」が、1965年(昭和40年)には、エミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が小ヒットした。

1960年代後半には生き別れたアメリカ人の父親を捜そうとしてニュースにもなっている。

「風吹く丘で」の発売を控えた1966年(昭和41年)11月に覚醒剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズでヒット・後年、島谷ひとみによるカバーでもヒットした)。

その後日本クラウンに移籍し活動を再開。1968年(昭和44年)には「叱らないで」を発表した。

1974年(昭和49年)3月に万引きで現行犯逮捕。当時はキャバレーの歌の営業で、月200万円ほどの収入があったとも報道された。

1978年(昭和53年)10月には再び覚醒剤で逮捕され、芸能界から追放状態となる。その後、1999年にも3度目の覚醒剤による逮捕で実刑判決を受け、表舞台から完全に姿を消した。

その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがテレビ番組『あの人は今!?』の調査で判明した。

また、アメリカに父方の彼女の異父姉妹に当たる姉がおり、2009年(平成21年)に妹のミチを捜し続けて、彼女の情報提供を呼びかけていた。

2017年(平成29年)1月、急性肺炎のため神奈川県横須賀市の自宅で死去。1月25日に親族が自宅を訪れたところ死亡しているのが発見された。67歳没。

◼️恋のタッチ・アンド・ゴー / はつみかんな

https://m.youtube.com/watch?v=vK0c27qnQFA

◼️万里れい子 サイケな街

◼️沢知美 ブルー•モーニング•ブルース(1971年)

◼️虹色の湖 中村晃子 1967

◼️松平ケメ子/私がケメ子よ (1968年)

https://m.youtube.com/watch?v=mhEWN462JoA

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です