【タブー】三島由紀夫さんが主演し、主題歌を歌った映画「からっ風野郎」とは? 三島由紀夫さんの英語インタビュー、指揮、東大生との討論、最後の演説!

◼️『からっ風野郎』とは?

1960年(昭和35年)3月23日公開の日本映画。

監督は増村保造。

脚本は菊島隆三。

製作は大映(大映東京撮影所)。

作家の三島由紀夫が映画俳優として初主演した作品。

傾きかけた落ち目な組の二代目ヤクザが、敵対する組の殺し屋に命を狙われる中、惚れた女の一途な純情にうたれ堅気になろうとした矢先に殺されてしまうという異色のヤクザ映画である。

公開当時は、映画倫理管理委員会より成人映画(映倫番号11655)の指定を受けた。

当時、既に高名な作家となっていた三島が、ヤクザの跡取りながらどこか弱さや優しさを持ったしがない男を演じ、相手役の若尾文子は激しく愛に生きるヒロインを好演して不慣れな三島をカバーした。

大映の専属俳優として正式契約し意気込んで華々しく映画デビューした三島だったが、その大根役者ぶりを酷評され、興行的にはヒット作となったものの俳優演技の難しさを痛感する経験となった。

しかし三島にとってこの苦い経験は、その後の写真集『薔薇刑』の静止被写体に繋がり、『憂国』の自主製作映画化の成功や、準主役で出演した時代劇映画『人斬り』での好演にも繋がっていくことになった。

人斬り

公開時の惹句は、「文壇の寵児三島の情熱か! 映画界の増村の才気が若尾文子と組んで放つ最大の話題作!」、「彼奴を殺ろせ! 出獄を待つ殺し屋の群れに挑戦する白いやくざ!」、「殺されるのは俺か! 恋人か! 怖るべき非情を爆発させる殺し屋の世界!」である。

併映は、田中重男監督の『東京の女性』(出演:山本富士子)。

なお、映画公開から44年後の2004年(平成16年)の明治古典会七夕大入札会において、『からっ風野郎』の未発表写真(撮影:田島正)20枚とそのネガが出品された。

◼️主題歌

主役の三島由紀夫が歌唱した主題歌「からっ風野郎」のレコードは、1960年(昭和35年)3月20日にキングレコードから発売された。

文学者の歌唱レコードが前代未聞だったため、新聞や週刊誌などで話題となった。

三島は、「毒を喰わば皿までもでネ、まア皆さんに悪口をいってもらうネタを一つ多く提供しようという私の親心です」とコメントしている。

しかし主題歌は、映画の中では使用されておらず、いくつかのシーンでかすかに流れるのみとなっている。

作詞も三島で、作曲とギター演奏は深沢七郎が担当した。

深沢の方から作曲したいと三島に頼み込んだ経緯があった。

曲が完成したのはクランクインの2月8日で、16日に文京区音羽のキングレコードで吹き込まれた。

そのレコードを三島は知人にサイン入りで配っていた。

◼️エピソードなど

映画が公開されると、三島は浅草の映画館に出向き、もぎり係の女の子に愛想を言ってさりげなく客の反応を聞き出したり、新宿の映画館では、メーター(観客数のカウント)をやっていたが、三島はそれを信用できず自分でやらないと気が済まなくなり、入口で自から客の入りを勘定したりしていた。

さらに五反田の映画館には、家族一党をぞろぞろと引き連れて行ったため、三島に気づいた支配人が特別待遇で招き入れようとしたが、自前で人数分の切符をわざわざ買って入場していた。

周囲の友人らはしまいには「何回見れば気が済むのだろう」と呆れていた。

評論家たちから下手な演技だと酷評される嵐の中、三島は草壁久四郎の高評価をとても喜び、それ以来、「映画評論家のなかでは、草壁が最高だ」と、友人の講談社の編集者・川島勝など周囲にふれ回り、大変な気の入れようだったという。

草壁久四郎と三島はそれまで一面識もなかったが、とある会でその後三島と出会って紹介された時、「いやあなたには感謝してますよ。なにしろぼくの演技を評価してくださったのはあなた一人でしたからね」と言われて恐縮し、照れてしまったという。

それをきっかけに草壁は三島と親しくなり、草壁がプロデュースした映画の上映会を三島は知人の石川六郎邸で私的に開いている。

初めての映画主演の経験により、三島は同年の11月に短編小説「スタア」を雑誌『群像』に発表している。

この小説は現場で感じた「映画撮影の逆説的技術の面白さ」から着想されたもので、実際の映画現場を具体的に描いたものではなく、映画スターという存在についての「一種の観念小説」となっている。

◼️評価

『からっ風野郎』は娯楽映画としてヒットし興行的には成功したが、三島由紀夫の素人演技が浮き立っていたために、その演技力に対する酷評が集中し、増村保造監督の演出の腕の高さや他の共演者たちの好演が、三島の下手さをカバーしていたと評価された。

初主演発表の記者会見から撮影風景、事故の入院騒ぎなど、お祭り騒ぎのように三島に好意的だった芸能マスコミだったが、映画が公開されると、期待とは裏腹な主人公役の演技には厳しかった。

日刊スポーツは、「やっぱりシロウト」と評し、内外タイムスでは「俳優三島は台詞は堅いし目も死んでいる」、東京中日新聞では、「作家三島のやくざぶりをたのしむほうがよい」とされ、デイリースポーツでは、「セリフが遅く、ヤクザらしい気迫の裏付けがない」、神戸新聞では、「まあ三島だからという点で、愛敬でみておれる程度」と評され、総じて冷めた反応であった。

三島本人も、九段会館で行われた試写会において、「映画は不思議な芸術で、私の場合、文学の中では決して人前に出すことのない、私の中にある滑稽さ、哀れさ、臆病さなどの秘密を白日の下に曝らしてしまいました」と自身の「弱み」を見せてしまったことを自嘲しながら、「この映画が、いわばフィルムによって書かれた私自身の私小説」だと自評している。

小倉真美は、三島が自身と正反対の役と世界を醸し出すことを望んだにもかかわらず失敗したことについて、「映画の本質に対する三島の誤解と誤算にもとづく結果」だと解説し、三島の「不敵なマスクの面白さ」と、その「マスクの魅力が動く映画では更に発揮されるかと予想」していたが、映画の進むにつれて期待が裏切られていったとしている。

そして、劇作家として直観力もあり、脚本を書き演出もする三島が、俳優となると、アクションと台詞の間に「なにか一ポイントの誤差が伴う」演技をし、「画面を支えられないほどのカンの悪さ」を見せてしまうことは皮肉だと小倉は評して、若尾文子の演技力の高さと三島の大根役者ぶりを比較し、「りきんで崩れる三島の稚技はまことに対照的で、玄人と素人の差を図式的に解説される思い」がしたとしている。

しかし好意的な評価もいくつかあり、三島が知的な作家とは正反対の思慮のないヤクザを、ある意味では好演し、意外な優しさを合わせ持つ乱暴者という複雑なキャラクターが醸し出されているという意見もあって、草壁久四郎は、そんな三島の演技力を「三島文学流の演技」と褒めた。

◼️からっ風野郎 三島由紀夫さんの歌

この映画のDVDが中国で売っていて購入した。何事にも挑戦しようとする姿勢が凄い! 貴重な作品。

◼️ラストシーン

◼️指揮をする三島由紀夫さん

◼️三島由紀夫さんの英語インタビュー

◼️武士について英語で説明する三島由紀夫さん

◼️東大生との討論

◼️最後の演説

◼️プロフィール

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