◼️科学雑誌『ネイチャー』に掲載された論文「東洋の星座」
1893年(明治25年)のイギリス滞在時に、科学雑誌『ネイチャー』誌上での星座に関する質問に答えた「東洋の星座」を発表した。
また大英博物館の閲覧室において「ロンドン抜書」と呼ばれる9言語の書籍の筆写からなるノートを作成し、人類学や考古学、宗教学、セクソロジーなどを独学した。
さらに世界各地で発見、採集した地衣・菌類や、科学史、民俗学、人類学に関する英文論考を、『ネイチャー』と『ノーツ・アンド・クエリーズ』に次々と寄稿した。
生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文が掲載されており、これは現在に至るまで単著での掲載本数の歴代最高記録となっている。
◼️Wikipedia
◼️論文掲載を巡って
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/209115/1/rek13_15.pdf
◼️南方熊楠は、1893年10月5日号掲載の「東洋の星座」を初めとして1900年9月に帰国するまでのロンドン時代に38篇、帰国後も1914年までに13篇の投書が『ネイチャー』に掲載された。
http://www.tamy.net/kumagusu/kahaku_news_450_Nature.html
「東洋の星座」は、様々な古代文明の星座の名付け方がどのようであったか、またそれらを比較することが先史人類学上、有意義かどうかという問題提起をする匿名の投書への回答として書かれた。
◼️The Constellations of the Far East
by Kumagusu Minakata
NATURE October 5, 1893
https://archive.org/details/paper-doi-10_1038_048541b0/page/n1/mode/1up