🟣幼少の頃、祖母から香川県東かがわ市の伊座にある森権平庵の森権平の一族が先祖にあたると聞かされた。
父も国道11号線沿いの森権平庵を車で通るたびに、あれがご先祖さまだと言っていた。
当時は、ピンとこず、あまり気にかけていなかった。

父が他界し、森家の戸籍謄本を取り寄せた。
すると、これまで知らなかった先祖たちの姿が浮き彫りになってきた。
なぜ、神戸に住む大伯母が帰省し、「晴美さん (瀬戸内寂聴さん))のところの手伝いに行ってくる」と言っていたのか、当時は気にしていなかった。瀬戸内寂聴さんの父は豊吉と言い、東かがわ市黒羽の生まれで瀬戸内家に養子にいくまでは三谷豊吉と言った。
後になって曽祖父の妹が三谷家に嫁いでいたことを知った。大伯母は三谷家に法事の手伝いに行っていたのだ。
また三谷家は笠置シヅ子さんが出生した家系であることも子供の頃は知らなかった。
同じく黒羽出身の曽祖母が森家に嫁いでくる際には、お姫様が嫁いでくる、と言われていたそうだが、そのことを聞いてもピンとこなかった。
曽祖母は、時代が時代ならお姫様だったらしい。東かがわ市の黒羽から丹生に嫁いできたが、毎朝、引田港から新鮮な魚が丹生の家に届けられたと聞いた。曽祖母の先祖は黒羽城を居城とした永塩因幡守氏継だった。
戸籍謄本を見ると、高祖母は江戸時代に阿波板野郷から讃岐へ藩をまたがって嫁いできた。高祖母の家系は、碁浦番所の役人を代々務めた庄屋の八田家 (阿波秦氏)だ。
この碁浦番所の記録は八田家文書として残っており、徳島県立図書館や鳴門市立図書館で閲覧することができる。江戸時代に伊能忠敬や松浦武四郎らもこの碁浦番所に立ち寄っている。
伊能忠敬が測量に来た際には、藩の命により黒羽近隣の馬宿出身の久米通賢が案内役として同行した。
🟣父方の森家のルーツ
◼️森家の始祖: 佐田九郎左衛門 (戦国時代)
阿波水軍 森家の始祖として、徳島県阿南市の椿泊町にある佐田神社に祀られる。



●佐田 九郎左衛門(さた くろうざえもん)
戦国時代の武将。
阿波水軍・森家開祖。
徳島県鳴門市にあった土佐泊城主・森元村の父として知られる。

●「古事記」によると、森氏は本姓 藤原、俵(田原)藤太秀郷の末裔とされる。
因幡出身とされる家祖 佐田九郎左衛門(のち九郎兵衞)は、森飛騨守と久米安芸守の取次で阿波国守護の細川氏に仕え、名東郡西黒田村(徳島市国府町)で三八貫が給された。
●略歴
因幡国出身、当時は鎌田九郎兵衛といった。
細川氏に仕え、阿波に移住し、阿波佐田館(現在の徳島市国府町黒田)三十八貫を領した。
細川家を退いた後は佐田に改名した。
その後、松永久秀に仕えたが、久秀に謀反の思惑があることを知り諫言したが、意見が対立し沖野原(鳴門市大津町段関)に戻った。
後に三好氏に仕えた。土佐泊城主。後に森に改名。
佐田九郎左衛門は森元村の父。
徳島県阿南市の椿泊にある佐田神社に森家の開祖として祀られている。

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◼️森元村 (佐田九郎左衛門の息子)
●森元村(もり もとむら)
生年不詳 – 文禄3年(1594年)6月
戦国時代から安土桃山時代の阿波国の武将。
三好家家臣。通称は志摩守、筑後守。号は九華。
父は佐田九郎左衛門。
鳴門市にあった土佐泊城主。
子に森村春、森村吉がいる。
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◼️森村吉 (森元村の次男で、森村春の弟)
●森(仙石)村吉(生没年不詳)
官位・通称 : 石見、九郎左衛門
後に仙石姓を与えられる。
天正10年(1582年)、淡路を抑え森家を援助していた仙石秀久に招かれ家臣になる。
天正11年(1583年)の引田の戦いでは緒戦の勝利に貢献した。
四国攻めの後も秀久に従い、秀久が信濃小諸を拝領後は7,000石を与えられた。
森村吉の三男、森村明の系統は代々仙石家に仕えている。
森村吉の長男 森村重 (森甚五兵衛家の始まり)は、阿波水軍 森家の本家を継ぐことになる。
森村吉の次男、森久村(通称 森権平。森久村は、1583年、讃岐国の引田の戦いにて長宗我部元親軍と戦い東かがわ市伊座で亡くなった。→ 森久村一族 → 東かがわ市馬宿に住む。
●阿波水軍 森氏の家紋 木瓜紋(左)、高松藩 森家の家紋 丸に木瓜紋(右)。

●東かがわ市の森権平庵と馬宿地区

●東かがわ市伊座の森久村 (通称 森権平)の墓と権平庵。
足の病を治す御利益があるといわれる。




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◼️森久村 (森権平) 一族 → 安土桃山時代〜江戸時代、現在の東かがわ市馬宿に数代に渡って住んだ。
近隣の東かがわ市黒羽(くれは)の三谷家や永峰家、板野郡の碁浦番所の役人 ハ田家と面識を持つ。後に、八田家、永峰家から森家に嫁いだり、森家から三谷家へ嫁ぐことになる。
森家は、江戸時代、代々、高松藩生駒家及び高松藩松平家に仕えた武家で普請役を務めた。
●高松藩 松平家の家臣一覧
『高松分限録 嘉永年間』より藩士家名
https://www.kakeisi.com/han/han_takamatu.html

●香川県史
https://www.library.pref.kagawa.lg.jp/know/local/local_2033-08
●東かがわ市馬宿と黒羽 (くれは)

●東かがわ市馬宿と徳島県鳴門市の碁浦

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◼️森家は、江戸時代、高松藩領大内郡の普請役を務めた。東かがわ市馬宿から東かがわ市の横内へ移り住んだ。
高松藩松平家の殿様一行が小磯の番屋に遊びに来るたびにお膳立てをせねばならず金銭的に大変だったと祖母から聞いた。また金刀比羅宮の階段の普請にも参画した。
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東かがわ市横内から柏谷を切り開き移り住む。
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◼️森義右エ門 高松藩松平家に使える武士。普請役。森喜平の父。
●江戸時代の戸籍謄本。高祖母は、徳島県と香川県の境にあった碁浦御番所の役人を代々務める庄屋の八田家 (阿波秦氏)。曽祖父の妹は東かがわ市黒羽の三谷家へ嫁いだ。

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◼️高祖父 森喜平 (1847年 弘化3年 生まれ)、高松藩松平家に仕える武士。普請役。
妻 八田キヨは、弘化3年生まれ、徳島藩出身で、阿波浄瑠璃が上手かった。代々、徳島県板野郡にあった碁浦番所役人で庄屋の八田孫平の長女だった。

●秦氏覚書
古代 秦氏の全国居住分布 : 阿波国板野郡
http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/toraijin%20hatasi.html
●八田家文書に碁浦番所や八田孫平さんの記録が残る。

●高祖母の父 八田孫平に関する記録

●八田家文書は、徳島県立図書館や鳴門市立図書館で閲覧できる。

●碁浦番所【ごのうらばんしょ】
出典: 角川日本地名大辞典
現在の鳴門市北灘町碁浦にあった番所。
海岸線沿いの陸路の讃岐と阿波の境目に当たる。
西の小碁浦は讃岐,東の大碁浦は阿波に属す。
番所役人は八田家が代々勤め,天正13年(1585年),讃岐と阿波の国境を決定する折,重要な役割を果たした。
当時の模様は「碁浦邑御番人 庄屋 八田孫太夫 先祖覚書」に「……御国御境目為証人私先祖 八田孫兵衛 高松へ罷出候節御上使様御出ニ而御境之儀此方于者西坪ケ谷筋之尾切と申上候」(鳴門市史上)とある。
海岸沿いの陸路の境にある碁浦番所は,旅人・商人等の検分に当たった。
番所跡は,国道11号建設のため埋め立てられ,現在は道路となっている。
●碁浦御番所跡の石碑


●1808年に全国を測量中であった伊能忠敬が東かがわ市の引田港から出航し、碁浦港に上陸した。

●天保4(1833)年には四国遍路の旅をした松浦武四郎が碁浦番所を通っている。

厓にして右の方は数十仭の断崖、左り之方は波浪岸へ打、一歩をあやまたば粉身碎身ニ
なる地なり、番所有。出入之切手を改む」と記している。
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◼️曽祖父 森虎太郎 (明治元年、1868年生まれ)。明治時代となり、農業を営むようになる。
妻は東かがわ市黒羽の旧家 永峰家出身。
●永峰家の先祖は戦国武将の黒羽城城主 永塩因幡守氏継 (ながしお・いなばのかみ・うじつぐ)。 氏継は、1467年、黒羽神社を創建後、細川方として応仁の乱に参戦し京都御所北側の相国寺にて安富元綱らと共に討死した。
●黒羽神社

●黒羽神社石碑

●角川日本地名大辞典: 東かがわ市黒羽(くれは)の永塩因幡守氏継(ながしお・いなばのかみ・うじつぐ)に関する記述。

●曽祖父 森虎太郎の妹 森トヨは黒羽の旧家 三谷家へ嫁いだ。瀬戸内寂聴 (三谷晴美) さんの祖父 三谷峯八さん、父 豊吉さん、笠置シヅ子さんの実父 陳平さんは三谷家の出身で讃岐和三盆を製造する製糖業を営む豪農だった。
●高松市松島町にある向良神社 (こうらじんじゃ)
東かがわ市で生産された讃岐和三盆は引田港から京都、大阪に高値で販売され江戸時代、高松藩の財政を大いに支えた。讃岐和三盆作りの製法を編み出した向山周慶と関良介は松平家によって死後も砂糖神として高松城内に祀られ、後に高松市松島町に移された。現在、松島町と東かがわ市湊に向良神社として祀られている。
三谷家はその門外不出の製法を受け継ぐ家系だ。


●若き日の三谷晴美さん(瀬戸内寂聴さん)

●笠置シヅ子さん

●東かがわ市黒羽にある糖業感謝碑。瀬戸内寂聴さんの父方の実家もこの近くにあった。



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◼️祖父 第二次世界大戦中、香川県善通寺市の陸軍基地にて夭折。
●香川県善通寺の旧陸軍第11師団兵舎

●祖父の姉 (私の大伯母)。明治生まれの祖父の姉は神戸市京町の旧神戸オリエンタルホテルで英語を使い電話交換手のリーダーとして勤務した。二・二六事件やGHQ支配下での電話交換、昭和天皇宿泊時の勤務を経験。1945年の神戸大空襲で自宅は焼失するも生き残った。
●【神戸新聞】大伯母のインタビュー記事

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◼️父 西洋料理人。昭和天皇に料理献上 (神戸牛や明石の鯛など最高部位を少量ずつ)。十六菊花紋入りの煙草を賜る。
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◼️私
●時代区分

◼️プロフィール
