四国最大規模の古墳は香川県にある! 古墳総長:163メートルの富田茶臼山古墳! 古墳時代中期前半の5世紀前半頃の築造と推定! 双方中円墳の猫塚古墳と比べ地域色が薄れヤマト王権の系列化の様相を示す!

◼️富田茶臼山古墳(とみだちゃうすやまこふん)

香川県さぬき市大川町富田中(とみだなか)にある古墳。

形状は前方後円墳。

国の史跡に指定されている。

所在地: 香川県さぬき市大川町富田中3402-3他(字石仏)

四国地方では最大規模の古墳で、5世紀前半(古墳時代中期前半)頃の築造と推定される。総長:163メートル

◼️規模


古墳総長:163メートル – 周濠を含めた全長。

墳丘長:139メートル

後円部 – 3段築成。
直径:90メートル
高さ:15メートル

前方部 – 3段築成。
長さ:49メートル
幅:77メートル
高さ:12.5メートル

くびれ部
幅:56メートル

◼️概要

墳丘全景(右に前方部、左奥に後円部)

墳丘上から望む長尾平野


香川県東部、長尾平野東縁の低丘陵縁部に築造された大型前方後円墳である。

地元では墳丘上の埴輪に由来して「千壺山」とも称される。

現在は墳頂に妙見神社が、後円部東側に弥勒菩薩が祀られている。

墳丘北側の一部は県道10号線の建設のため削られているほか、墳丘の一部では開墾・住宅建設による改変を受けているが、その他の部分では概ね良好に遺存する。

これまでに1989年度(平成元年度)に古墳域の、1993-1996年度(平成5-8年度)に周辺域の発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。

墳丘は3段築成。

墳丘長は139メートルを測るが、これは四国地方で最大規模になり、第2位の規模の渋野丸山古墳(徳島県徳島市、105メートル)に比べても大きく傑出する。

墳丘外表では埴輪(円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・家形埴輪、推計3,000本)のほか、葺石(2段目・3段目のみ)が検出されている。

墳丘周囲には盾形の周濠が巡らされているほか、南側・北側には周庭帯も有し、周濠を含めた古墳の全長は163メートルにも及ぶ。

埋葬施設は不明であるが、明治期に後円部墳頂で土俵を設置しようとした際に石室の天井石が掘り当てられたと伝えられ、竪穴式石室の存在が推測される。

なお、前方部側では陪塚として方墳3基も認められている。

この富田茶臼山古墳は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃一説に5世紀初頭頃)の築造と推定される。

讃岐地方の古墳の主丘(円部)の大きさは、古墳時代前期中頃までで直径30-40メートル程度(高松茶臼山古墳・猫塚古墳)であったが、前期後半の快天山古墳(丸亀市)で直径60メートル程度、中期前半の本古墳で直径90メートル程度と大きく飛躍する。

同時に、本古墳に至ると前期古墳の地域色も薄れて畿内色を強めており、ヤマト王権から支援を受けた一方で王権への系列化が進んだ様相を示す。 

東讃地域に限ると、古墳時代前期には津田湾周辺における津田古墳群の営造が知られるが、それら古墳群の消滅と呼応して富田茶臼山古墳が出現しており、ヤマト王権と強く結び付いた富田茶臼山古墳の被葬者が東讃地域を基盤として強い勢力を有したことを示唆する。

合わせて、当地は古墳の北側に古代南海道が推定される交通上の要衝になることから、沿岸部の海路(津田湾)から内陸部の陸路(南海道)への意識の移行を見る説も挙げられる。

古墳域は1993年(平成5年)に国の史跡に指定されている。

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