【タブー】香川県内には天皇家の陵墓が2ヶ所ある! 坂出市の崇徳天皇 白峯陵と高松市の景行天皇皇子の神櫛王墓! 明治時代に宮内庁が治定したが神櫛皇子の墓は丸亀市と綾歌郡にもある謎!

🟣香川県内にある皇族の陵墓としては坂出市にある崇徳天皇の白峯陵が有名だ。

殆ど知られていないが、実は香川県内には陵墓がもう一箇所ある。

国道11号線沿の高松市牟礼町にある海鮮食堂 海寶の北側に位置する景行天皇皇子の神櫛王墓だ。

神櫛皇子は讃岐国造の始祖とされるが謎が多い💦

藤原不比等伝承が残る四国88ヶ所の志度寺と言い、さぬき市にある四国最大級の富田茶臼山古墳や渡来系秦氏と綾氏の居住地と言い讃岐は奥が深い! 四国全体に言えることだが、封印されている謎が非常に多い。

◼️神櫛皇子は12代 景行天皇の皇子とされ、諱を讃留霊王と言う。

神櫛皇子は、讃岐国造の始祖とされる。

朝鮮から讃岐へ渡来して来た海洋民族の綾氏は、神櫛皇子 (讃留霊王)を始祖としている。実際に神櫛皇子が綾氏の先祖である場合、神櫛皇子は朝鮮からやって来た渡来人と言うことになる。

香川県綾歌郡綾川町や丸亀市飯山町にある墓は?

→ 綾氏が住んでいた土地にある古墳を神櫛皇子(讃留霊王)の墓として祀ったものと推測される。

綾氏は秦氏と並び古代讃岐の地で権力を持っていた朝鮮から移住してきた渡来系氏族。

https://yourei.jp/綾氏

現在、高松市牟礼町の神櫛王墓がある場所は江戸時代まで青墓と呼ばれ地元の方達の墓地としても使われていた場所で、そこにあった墓石は移転させられた。

王政復古になった明治2年、地元の素封家である揚行蔵と久保清一が、高松藩庁に出頭し、執政 松崎渋右衛門に神櫛王墓の整備を申し出たことが王墓造営のきっかけとなったと伝わる。

古高松郷土誌

揚家 (あげけ) : 長者番付に載るほどの豪農。

●古高松の超豪農だった揚家から5室の茶室が移築された三木町の渡邊邸。揚家は長者番付に載るような資産家だった。

https://m.facebook.com/watanabetei.459

●「揚家語らずして 讃岐の茶室を語るな」

https://www.town.miki.lg.jp/kit-miki/info/dtl.php?hdnKey=6633

◼️神櫛皇子とは?

神櫛皇子(かみくしのみこ(かみくしおう)

生没年不詳

記紀等に伝わる古代日本の皇族。

『日本書紀』では「神櫛皇子」、『古事記』では「神櫛王」、他文献では「神櫛別命」「神櫛命」「五十香彦命」とも表記される。

『日本書紀』『古事記』とも事績の記載はない。

第12代景行天皇の皇子である。

●系譜

『日本書紀』によれば、第12代景行天皇と、妃の五十河媛(いかわひめ)との間に生まれた皇子である。

同書では、同母弟として稲背入彦皇子(いなせいりひこのみこ)の名を挙げる。

一方『古事記』では、景行天皇と、針間之伊那毘能大郎女(播磨稲日大郎姫)との間に生まれた皇子とする。

また同母兄として、櫛角別王・大碓命・小碓命(日本武尊)・倭根子命の名を記載する。

なお、『続日本後紀』承和3年(836年)3月19日条では、「神櫛命」の名で景行天皇第十皇子である旨が記されている。

●神櫛王墓(香川県高松市)
墓は、宮内庁により香川県高松市牟礼町牟礼の神櫛王墓(かみくしのみこのはか、北緯34度20分35.24秒 東経134度7分17.26秒)に治定されている。

宮内庁上の形式は上円下方墳。

この墓は、明治2年(1869年)に高松藩知事の松平頼聰によって再営された。

毎年、王の命日と伝える10月20日に「正辰祭」と称する祭が斎行されている。

●後裔

氏族

『古事記』では、神櫛王を木国之酒部阿比古・宇陀酒部らの祖とする。

『新撰姓氏録』には、次の氏族が後裔として記載されている。

右京皇別 讃岐公 – 大足彦忍代別天皇(景行天皇)皇子の五十香彦命(亦名を神櫛別命)の後裔。

右京皇別 酒部公 – 同皇子三世孫の足彦大兄王の後裔。

和泉国皇別 酒部公 – 讃岐公同祖。神櫛別命の後裔。

『続日本後紀』承和3年(836年)3月19日条によると、後裔を称する讃岐国寒川郡の讃岐公永直・讃岐公永成らが朝臣姓を賜り、右京三条二坊に貫付されている。

また『日本三代実録』貞観6年(864年)8月17日条によると、同じく後裔を称する右京の讃岐朝臣高作・讃岐朝臣時雄・讃岐朝臣時人らが「和気朝臣」姓を賜っている。

●国造

『日本書紀』では、神櫛皇子を讃岐国造の祖とする。

また『先代旧事本紀』「国造本紀」には、次の国造が後裔として記載されている

●讃岐国造

軽島豊明朝(応神天皇)の御世に景行天皇の子の神櫛王の三世孫の須売保礼命を国造に定める、という。

のちの讃岐国寒川郡・多度郡(香川県さぬき市・善通寺市・多度津町一帯)に推定される。

●信仰

香川県に伝わる讃留霊王(さるれお、讃王)伝説によれば、景行天皇23年に讃留霊王は勅命を受け、讃岐入りして瀬戸内の悪魚退治を行い、同地に留まり仲哀天皇8年9月15日に125歳で薨去したという。

この讃留霊王について、東讃では神櫛王のこととし(櫛梨神社社伝等)、西讃では武卵王(たけかいごのみこ:日本武尊の子)のこととしている。

◼️讃王(さんのう)は、昔瀬戸内海にいた悪魚を退治した人物。

讃留霊王(さるれお)とも言われる。

『古事記伝』などでは讃王を景行天皇の御子神櫛王としている。

●伝説

景行天皇の御世、瀬戸内海では悪魚が人々を困らせていた。讃王はこのことを聞きつけたくさんの船をつれて退治に行った。ところが、一人の兵士が悪魚に飲み込まれてしまった。その兵士が悪魚の腹の中で刀を抜いて暴れ出し悪魚は苦しくなって死んでしまった。以後、讃岐の漁師は自由に魚をとってもよくなった。

◼️阿野郡(あやぐん)

香川県:讃岐国阿野郡
讃岐国の中央部に位置する。

東は香川郡、西と南は鵜足(うた)郡と接し、北は瀬戸内海に面する。

中央部を綾川、西部を土器(どき)川が北流する。

現坂出市および綾歌(あやうた)郡の西半分を郡域とした。

綾・安益・阿夜などとも記された。

〔古代〕
藤原宮跡出土木簡に「綾郡」と書いたものがある。

「万葉集」巻一に「讃岐国安益郡に幸しし時、軍王の山を見て作る歌」として長歌と反歌を載せている。

山上憶良の「類聚歌林」によれば、これは舒明天皇一一年に伊予温湯宮(現松山市)に行幸した帰途の歌とされている。

この詞書は後世のもので、これをもって舒明朝に阿野郡が成立していたとはいえないが、「あや」の地名は当時からあったかもしれない。

平城宮跡出土木簡には「阿野郡」「阿夜郡」「綾郡」などと様々に表記されている。

「和名抄」では「阿野」と書いて訓注に「綾」とある。

奈良・平安初期の史料から推定される当郡内の部としては、応神天皇皇子菟道郎子の名代という宇治部、雄略皇后草香幡梭姫の名代日下部、壬生部、伊与部などがある。

天武天皇一三年(六八四)八色の姓制定に際し朝臣の姓を授けられた綾君は阿野郡を本拠とした豪族である。

阿野郡の人綾公菅麻呂らは文武天皇三年(六九九)に朝臣の姓を賜ったが、養老五年(七二一)の造籍の時、庚午年籍を校して朝臣の姓を削除されたので旧に復してほしいと訴え、延暦一〇年(七九一)九月二〇日に許されている(続日本紀)。

「日本書紀」景行天皇五一年八月四日条によると、綾氏の始祖は日本武尊の子武卵王となっているが、渡来人漢氏の一族とみる説もある。

郡内の城山(現坂出市)には朝鮮式山城の遺構があり、この地域に渡来人が居住していたことは間違いないと思われる。

◼️坂出市の城山城址

城山城址 

標高462メートルの城山山頂にあり,城郭周囲約4キロのこの城は古代の山城で,朝鮮式山城の規模広大なもので,天智天皇或は,それ以前に百済の築城師の設計で造られたと思われる。

城門,水門,石塁,車道,俎(まないた)石などが現存している。

◼️高松市牟礼町にある墓が整備されて神櫛皇子の陵墓とされた歴史は浅く明治時代だ。

実は、丸亀市飯山町と綾歌郡綾川町にも神櫛皇子の墓がある。

◼️丸亀市飯山町の讃留霊王神社

周辺には渡来人 綾氏の氏寺だった法勲寺跡がある。

丸亀市飯山町には、讃王を祭った讃王神社および讃留霊王神社が存在する。また弘憲寺には讃王の肖像画がある。

●神社の裏手に古墳があり、そこが讃留霊王の墓と言われる。

●渡来人 綾氏の氏寺だった法勲寺跡。讃留霊王(神櫛皇子)と綾氏(海洋民族)の関係が気になる。

ちなみに、高松市の田村神社、一宮寺は渡来人 秦氏の氏寺であり、戦国時代まで神主は秦氏が務めた。

現在の天皇家は第26代継体天皇から続く家系でそれ以前の王朝は応神天皇など大陸系の王朝だった時代がある。 天皇家の万世一系を伝える為に編纂された記紀には、このことは記されていないが、各地に伝わる風土記や歴史書、口伝には残っている。景行天皇は物部系の王朝となる。

讃岐には、弥生時代から古墳時代に中国や朝鮮から渡ってきた渡来人が多く住んでいた。何百年のときを経て同化していった。香川県全体に見られる古墳からの出土品などからもそのことが分かる。

◼️歴代王朝

◼️景行天皇の妃は複数人おり子供も多い。

出雲王家の富家の口伝によると景行天皇は物部王朝(徐福の子孫)となる。

景行天皇の妃の一人、五十河媛(いかわひめ)との間の子は下記となる。

神櫛皇子(かむくしのみこ) – 讃岐公(讃岐国造)・酒部公祖

→ 讃岐の国造の始祖

●稲背入彦皇子(いなせいりびこのみこ) – 佐伯直・播磨直(播磨国造)祖

→ 佐伯直は空海の先祖にあたる。景行天皇、佐伯直が物部系だとすると、空海の父方の佐伯氏も物部系となる。空海の母方の阿刀氏も先祖は渡来人の物部氏。

◼️香川県綾歌郡綾川町陶の北条池の付近に「讃留霊王(さるれお)の墓」がある。近くには讃留王西、猿王北、猿王南という小字も見られる。

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