🟣豊田章男氏とは?
豊田 章男(とよだ あきお)
1956年〈昭和31年〉5月3日 –
日本の実業家、レーシングドライバー、フィールドホッケー選手。
豊田章一郎・博子夫妻の長男として愛知県名古屋市に生まれる。
母・博子は三井財閥一族の伊皿子家8代目・元三井銀行取締役三井高長の三女。
愛知教育大学附属名古屋小学校、愛知教育大学附属名古屋中学校、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。バブソン大学経営大学院修了(MBA)。
高校在学中にはアメリカ合衆国ハワイ州へ渡り、米国大統領をも輩出したプナホウ・スクールで学んだ。
慶應義塾大学在学中はホッケー部に所属し、ホッケー男子日本代表にも選出されたが、日本がモスクワオリンピックをボイコットしたため五輪出場には至らなかった。
大学卒業後に渡米。語学習得を目的としていたが、バブソン大学(マサチューセッツ州)のビジネススクールに入学し、1982年に経営学修士(MBA)を取得した。なお、この頃はゴルフに夢中であった。
●金融業界から自動車業界に
MBAを取得したのち、アメリカ合衆国の投資銀行(A.G.ベッカー)。 1984年にメリルリンチが買収)にて勤務した。
しかし自分が豊田家の人間であるという周囲の目から悩みが増していき、上司の「同じ苦労をするなら、トヨタのため苦労したらどうなんだ?」という言葉に豊田の姓を受け入れることを決意。
1984年に投資銀行を辞し、トヨタ自動車に入社した。トヨタ自動車への転職を決意した章男に対し、父である章一郎は「(章男を)部下に持ちたいと思う人間は今のトヨタにはいない」と戒めたうえで、特別扱いはしないと言い渡した。
そのため、章男はトヨタ自動車に対して履歴書を提出し、章一郎は社員としての入社を認めた。
入社後は、生産管理や国内営業などを担当した。係長から平社員への降格人事も経験したものの、販売部門への「カイゼン」活動の横展開などを通じ、販売部門の改革を主導した。
1998年には、自動車関連の情報を総合的に提供するウェブサイト「GAZOO.com」を立ち上げた。その後、アメリカ合衆国カリフォルニア州にて、ゼネラルモーターズとの合弁企業「NUMMI」の副社長を務めた。
2009年1月20日にトヨタ自動車は、豊田章男の社長昇格を含めた人事を発表し、記者会見で章男は「自動車業界が二十一世紀も必要とされるのか、今が瀬戸際」と危機感を表明し、人事案は6月の株主総会で承認される予定と発表した。
人事は6月23日の株主総会で承認され、1982年の工販合併で現在のトヨタ自動車が誕生して以降で最も若く52歳で章男が社長に就任した。
創業家である豊田家系の社長就任は、1995年8月に退任した豊田達郎以来14年ぶりである。
社長就任時の新取締役人事では、かつての上司でトヨタ生産方式に詳しい林南八技監や、子会社に出されていたトヨタアドミニスタ(現:トヨタモビリティ東京)社長の前川眞基、トヨタ輸送社長の伊原保守などを登用し、渡辺捷昭前社長の側近を排除する異例の人事を断行した。
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