【東かがわ市・塩竃神社】卑弥呼説のある倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)ゆかりの神社! 奈良県孝霊神社から堺の港、淡路島の伊弉諾神宮、東かがわ市の艪掛神社、安戸池、塩竃神社を経て水主神社へ辿り着いた!

🟣塩竃神社

●住所

香川県東かがわ市引田 3859

●引田駅から塩竃神社へのルート

●塩竃神社 鳥居

●ご祭神

塩土男神 (しおつちのかみ)
武甕槌神(たけみかづち)
経津主神(ふつぬしのかみ)

倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)→塩釜神社造営の碑

●相殿

奥津彦命
軻遇突智命
大気都姫命
事代主命
大山祇神
中筒男神

↑ 相殿

●由緒

引田町郷社誉田神社境外摂社。
由緒詳ならざるも官社考証追録に「安堵神社引田村に在り、今塩竈といふ」とあり。(香川県神社誌)

塩竃神社造営の碑

・塩釜神社造営の碑 内容
当社は古来安堵明神と称し後に塩釜神社と改称内外の崇敬篤き神社なり。全讃史に祭神孝霊天皇第二皇女百襲媛命此邦に謫せられるとある。又塩田が開発された天正年間に塩釜明神塩土男神を合祀した模様である。

社殿は天正二年に間嶋伴左衛門再営せりとあり。


以来氏子は祭祀につとめこの間幾度か修理及び建替等も行って来たものと想われるが歳月の流と共に老朽化が進み雨もり等屋根の一部が崩壊の恐れを生じ自治会に於いて社殿の再建に踏み切ったものである。


同時に本殿寄贈の申し出があり総ての建物が新築されることになる。


これに伴い内外の寄進者多く当初の額を遙かに上廻りこれまでになかった参道石畳の新設、手洗鉢の改修、本殿玉垣及び鳥居の建替も同時に整備され、目出度く竣工を見たものである。吾々はこれを期にこの社殿を自治会のシンボルとしてふれあいの場とし祭祀につとめると共にこの竣工を祝し感謝の念とこの事跡を後日のために記念する。

●塩竃神社 正面

●拝殿

倭迹迹日百襲姫とは?

・日本人名大辞典にある一般的な説明


倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)

記・紀にみえる孝霊天皇の皇女。


母は倭国香媛(やまとのくにかひめ)。

「日本書紀」によれば、崇神(すじん)天皇7年三輪(みわ)山の大物主(おおものぬしの)神のおつげをつたえ、10年武埴安彦(たけはにやすひこの)命の謀反(むほん)を予言。

のち結婚した大物主神の正体が小蛇と知っておどろき、夫の怒りをかう。

後悔してすわりこんだとき、箸(はし)で陰部をついて死んだ。

墓を箸墓という。

別名に倭迹迹姫命。

「古事記」では夜麻登登母母曾毘売命。

●香川県にある倭迹迹日百襲姫ゆかりの地

艪掛神社 東かがわ市馬篠

安戸池 東かがわ市引田

塩竃神社 東かがわ市引田

水主神社 東かがわ市水主

袖掛神社 東かがわ市小磯

保田池 東かがわ市西村

船岡山 高松市香川町

船山神社 高松市仏生山町

百相村(もまいむら) 高松市仏生山町

田村神社 高松市一宮町

花泉 高松市一宮町

袂井 高松市一宮町

休石 高松市一宮町

一宮寺 高松市一宮町

東かがわ市 、高松市 にこれだけ多くのゆかりの地と言い伝えが残っていると言うことは、単なる伝承ではなく讃岐の地で稲作普及、水源確保を成功させる為に、カリスマ性のある巫女的な人物が来ていたと言えるのではないだろうか!

◼️倭迹迹日百襲姫が辿ったルート

●奈良県孝霊神社→大和川→堺の港

●堺の港→淡路島伊弉諾神宮

●淡路島 伊弉諾神宮→東かがわ市馬篠 艪掛神社

●東かがわ市馬篠 艪掛神社→船→東かがわ市安戸池

●東かがわ市安戸池→東かがわ市塩竃神社

●東かがわ市塩竃神社→東かがわ市三木町主神社

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です