■不思議な偶然?
人間、長年、生きていると不思議な偶然に出くわすものである。
自分の場合、神社、仏閣を訪れた際によくあることだが、面白いことに非常に高い確率でトカゲ、トンボ、チョウが不思議と現れる。
偶然なのだろうが、こう何回も繰り返し現れると不思議感も増してくる。
自分はトカゲやヘビなどの爬虫類系は苦手だし、無宗教なのだが、なぜかよく現れる。
不思議なのだが、なんとなく現れそうな雰囲気だなと思った時にトカゲが現れる。
このような現象は一体何を意味するのか未だ謎である。
写真は、撮ったと思っていても後から探してみると見つからず消えている場合が何度かあり、腑に落ちない。と言うか同日、同じ場所で撮ってもその写真だけが何故か消えてしまうのだ!(例:出雲大社横の四脚門前のトカゲ、三輪大社参道の黄色のチョウ、春日大社境内のトカゲ)
●2015年5月6日:
三輪登山。奈良県桜井市にある三輪大社を訪問。三輪山を登り、山頂にてトカゲ出現。(三輪山では撮影禁止、いかなるものも持ち帰ってはいけない。)
2014年11月29日:三輪山を登山中、暑くなり上着を脱ぐ際、社務所から外してはいけないと言われていた鈴のついたタスキを外すと急にグルグル目まいがしだし登山断念せざるを得ない状態になったのでリタイヤ。代わりに箸墓古墳訪問。
その後、2017年1月4日と2017年10月18日にも三輪山を登山。
奈良県桜井市の三輪大社には、複数回参拝しているが、一度、参道の右脇で白蛇を見たことがある。その白蛇は自分の前を這って進み、右手の樹木の中に入っていった。この白蛇を見たときは胸がバクバクしてさすがに驚いた。
・三輪大社境内の二の鳥居をくぐって右手を歩いているときに目の前に長さ2mほどで、直径10cmくらいの白蛇が這っていた。白蛇はしばらく這っていたが、右側の茂みの中に入っていった。下記黄色で塗ったところ↓
●2015年6月1日:
岡山県の吉備津彦神社に参拝した時のこと、神社裏にある中山に登った。登山途中に、茶臼山古墳近くの八徳寺へ向かう山道でトカゲ現る。理由は不明だが写真が残らず。
この中山は、びっくりするくらい古墳の数が多い。
八徳寺
●2015年5月22日:
島根県の出雲大社訪問時、境内右手にある四脚門の前でトカゲ現る。写真を撮ったはずなのだが、その写真だけが見つからない、他の同日に撮影した出雲大社の写真はある。。なぜ消えたのか??撮った後も写真を確認したのだが、、。消えてしまった。なぜだ?
●2016年5月4日:
奈良県天理市の石上神宮訪問時、どこからかトンボがスッと飛んできて目の前の地面にとまる。普通なら警戒心の強いトンボが、いくら近づいても全く逃げないのだ。しばらくの時間、見つめていた。特に弱っているわけでもなく、わたしがその場を立ち去ろうとするとトンボもどこかへ飛んで行った。
石上神宮の鳥居前
●2016年5月2日:
奈良県の春日大社訪問時、春日大社から志賀直哉旧居へと続く「禰宜の道」を歩いているとトカゲ出現。非常に分かりずらいが黄色で囲った中にトカゲが写っている。実は同日に春日大社境内でもトカゲが現れ確実に写真を撮ったのだがその写真は消えた。他の境内で撮影した写真は全て残っている。
●2010年ごろ
京都市山科区の日向大神宮を参拝。
階段を登り、境内を見ると参拝客は誰もいなかった。境内に入ってすぐの社のしでが突然揺れ出した。奥にある拝殿前辺りに何かが隠れたような気配を感じた。恐怖感は全くなかった。あっ、ここは何かがいるなと感じた。
●2016年7月:
香港のランタオ島 ポーリン寺にある天壇大仏への階段途中にて目の前に赤トンボの大群が現れた。階段を降りる間、しばらくトンボの大群に先導された。
●2017年5月:
香川県高松市屋島山頂にて遊鶴亭という展望台および遊鶴亭へ向かう山道にてトカゲおよびチョウが出現。この屋島の山頂には鑑真が建てた屋島寺跡がある。写真撮影したがなぜか消失。
●2017年6月:
徳島県にある大麻比古神社裏の丸山稲荷社へ登る階段の下あたりでトカゲ出現。写真撮影したが消えてしまった。
板東俘虜収容所跡地、ドイツ館、および賀川豊彦記念館も訪問。
●2017年10月18日:
三輪登山。三輪大社途中の参道にて黄色のチョウ現る。
●2022年5月2日:
香川県高松市にある田村神社の宇都伎社前の龍神像の下で目の前にトカゲ現れる。すぐに木の中に入った。
■不思議な体験:
1、住吉大社:
2001年の正月に、大阪の住吉大社に初詣にいった。
1月の5日か6日の午後で、しかも小雨が降っていたため参拝客はほとんどいなかった。
一番奥の拝殿の前までいき、拍手を打って目を瞑った。
そのあと、誰も演奏していないのに笛や篳篥(ひちりき)の音が聞こえてきたかと思うと、とても心地よくなってきて、このまま目をとじたままその音がする世界にずっととどまりたい気持ちになったことがある。
その間、ある種の映像をみた記憶があるが、詳細は省く。 しかしながら、なぜか、このままこの世界にいてはいけないという感じがしたので目を開けた。
自分ではその場所にいる時間がとても長く感じられたが、実際に目を閉じていた時間は数分もなかっただろう。
あの時、他に参拝客もいなかったし、拝殿の中にも誰もいなかったので、あの笛や篳篥の音は空耳だったのか、あの心地よさが感じられ、このままずっといたいと思った空間はどこだったのか、いまでも分からない。単なる錯覚だったのか。
2、伊勢神宮 外宮にある多賀宮:
2007年10月に伊勢神宮の外宮を訪れた際に、小高い丘の上にある多賀宮という場所にいった途端、まぶしさを感じた。
その瞬間、心臓の脈拍数が高くなると同時に、恐れ多くなり、あまり長い時間その場所にはいてはいけないような気持ちになったことがある。
ものすごいパワーというか光に圧倒される感覚にみまわれた。
いったい、あの感覚は何だったのかいまでも強烈に印象に残っている。
3、籠神社の奥宮 真名井神社:
2008年10月に、京都府宮津市にある籠神社とその奥宮である真名井神社を訪れる機会があった。
ここは元伊勢と呼ばれ、現在は伊勢の外宮に祀られている豊受大神が鎮座していた場所と言われている。
真名井神社では、心臓の脈拍数は高鳴りっぱなしだった。 山の中腹にある本殿に向かう途中の階段を登るときには恐れ多いというよりその場の雰囲気に圧倒されて怖くなってきたほどだ。
この場所は、本当は人が入ってはいけない神域だなと思いながら石段を登った。
この真名井神社の本殿の裏にある磐座(いわくら)を見たときは言葉を失った。「なんなんだ、これは・・・」 太古の昔に、人々がこの場所に集まり、祭りをしていた情景が脳裏をよぎった。
なにやら碧座のまわりにひとが集まり、火をたいて踊っている。 顔は見えないが人影がこの碧座のまわりを飛び跳ねるように踊りながらまわっている。 そんな姿が浮かんできた。
この山自体が何とも強いパワーというか、なにか特別なものを発しているような感覚を持った。恐れ多くて、その場所に長くいてはいけないような感覚だ。こんなときはいつも喉が乾き唾を飲み込む。
碧座の背後にある真名井源神体山には特に強く引かれ、むしょうに登ってみたくなったが、そこは禁足地であり、ひとが足を踏み入れてはならない領域だった。
今思えば、この真名井神社という場所は、本当は、俗世間に住む普通のひとが足を踏み入れてはならない空間、聖域なのかもしれない。
個人が体験する感覚は、いくら言葉で説明しても他のひとには伝わりにくい。体験した本人にしか分からない感覚だからだ。
また、目に見えない感覚やパワーの存在を証明することもできない。しかし、現代人より感覚が研ぎ澄まされていたはずの数千年前に生きたひとびとが、この場所になにか崇高なものを感じたからこそ、ここを聖域として崇め、代々失われることなく脈々とこの場所が崇拝の対象として受け継がれてきたことだけは確かだ。
狛犬ではなく狛龍。この参道を登っていくにつれ心臓がバクバクと高まり、ここは俗世間の人間のくる場所ではない恐れ多い感覚が増してきた。
社殿裏にある磐座(いわくら)。この周りで太古の時代に原始人が火を焚いて踊る姿のイメージが湧いた。何やら神の儀式を行っているようである。ラリるというか幻覚状態になって踊っているようであった。
4、2018年1月28日 八栗寺:
朝の6時頃、香川県高松市牟礼町にある八栗寺まで歩いて登った。
八栗寺内にある中将坊御堂ちかくまで行ったとき、御堂の右斜め上付近あたりで、人が山道を歩く音(落ち葉のうえを歩く際のザクザクという音)を聞いたが誰もいないし、姿も見えない。
音がするあたりまで近寄って目を凝らして見てみると、その音が左上の中将坊のお堂の真上あたりへ瞬間的に一瞬で移動した。走る音は全くせずに本当にザッと風のように一瞬で移動した。
この後、お守りを買う際に八栗寺の職員の方に、「先ほど、中将坊堂の上あたりで人が歩く音を聞いたが、姿が見えない、近寄ると物音が瞬間的に移動した、サルかイノシシでもいるのか」と訪ねてみると、その方が言うには、イノシシはいるにはいるとのこと(だがその姿はなかった)。その方曰く、この寺で働いていると不思議な体験はよくあるとのこと。お山なので山を守る何か神のような存在はいるのだろうとのことだった。
また、その方の説明では、ここ五剣山の中将坊は讃岐三大天狗のひとりで、あとのふたりは五色台にある白峰山の相模坊と琴平にある象頭山の金剛坊だそうだ。
帰宅してから、物音が聞こえている際中に撮った中将坊御堂の写真を見てみるとお堂の上に何やら長い鼻の天狗??ような感じのものが現れているではないか。
このように見えるのは先入観からだとは思うが、あの一瞬で移動したものの正体は一体なんだったのか未だ謎である。