【タブー】出口王仁三郎の肉声を聞く! 強烈な個性と魅力とカリスマを持った宗教家! メディア戦略を駆使! 七福神を演じる本人の主演映像! 天津祝詞を唱え、大本教宣伝歌を歌う!

🟣出口王仁三郎とは?

出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう)

1871年8月27日(明治4年旧7月12日) – 1948年(昭和23年)1月19日

新宗教「大本」の二大教祖の一人。

肩書きは「教主輔」、尊称は「聖師」。

🟣概要


出口王仁三郎は、大本において聖師と呼ばれる。

強烈な個性と魅力とカリスマを持っていたとされ、メディアを含め様々な手法を駆使して昭和前期の大本を日本有数の宗教団体に発展させた。

その一方で奔放な言動により敵対者から多くの非難も浴びる。

評価は現在でも定まっていない。

「国家神道」と相容れない教義を展開した大本は危険勢力として政府の弾圧を受け、自身も7年近く拘束された。

太平洋戦争終結後は教団の再建に尽力するも病により死去した。

その思想と布教方法は戦後の新宗教に大きな影響を与えた。

読み方について「わにさぶろう」とされることもあるが、正しくは「おにさぶろう」。

大本の開祖である出口なおのお筆先(自動書記)で、元の名前である「喜三郎(きさぶろう)」を「おにさぶろう(鬼三郎)」と書かれたことに対し、「鬼」の字を嫌って「王仁」の字を当てたことに由来する。

ただし「わに」を使用した例もあり、百済から日本に漢字と儒教を伝えた学者王仁(わに)との関連を指摘する研究者もいる。

またマスコミが挿絵中でワニの姿で表現した事例もあった。

もう一人の教祖(肩書きは「開祖」)は、出口なお(直)。

1916年(大正5年10月)、「…未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、みろくの神の御霊で…」という神からの啓示が出口なおに降りたため敵対していた出口王仁三郎と手を組むことになった。

しかし、王仁三郎は「霊界物語」第13巻信天翁において、「今大本にあらはれた変性女子(=王仁三郎)は似而非ものだ、みのか尾張の国の中変性女子が判明すれば大本も駄目だらう」と書き示している。

みのか尾張の変性女子について、大本の信徒であり後に日月神示を受けたとする岡本天明も、「江戸の仕組み」が終わると「美濃尾張の仕組み(=身の終わり)」と共通した内容で、「美濃尾張」の血筋からミロクが現れることを予言しているとされる。

🟣評価 宗教家として


出口王仁三郎は自らを日本神話の素戔嗚尊になぞらえたが、トリックスターという点で良く一致する。

系譜的には古神道に属し、平田篤胤、本田親徳、長沢雄楯、大石凝真素美らの影響を受けた。

王仁三郎の特徴は、古神道や言霊の知識を活用し、現実社会に大きな影響を与えた点にある。

そして地方民間宗教にすぎなかった教団を国家規模の大宗教に育てたカリスマ的組織者となった。

新宗教大本は土着の民間信仰の集大成であると同時に、救済の対象を「世界・全人類」に広げた世界宗教としての性格も持つに至る。

メディアを活用した布教方法と、信仰と政治が結びついた活動方針は、創価学会などの新宗教にも影響を与えた。

雑誌『別冊歴史読本』が1993年に出版した「日本史を変えた人物200人」の中で、近代宗教家の中で大谷光瑞と共に2人だけ選ばれているが、その大谷も王仁三郎を高く評価している。

また講談社『日本史をつくった101人』でも人間的魅力や芸術の才能を考慮され、新宗教部門で選ばれた。

半面、意図的に言動や態度をはぐらかすことも多く、常識では計り知れない人物である。

敵味方から「怪物」と賞賛(批判)されることも多かった。

戦前の影響力は凄まじく、国会議員や陸海軍将校への影響力を危険視されて大本事件を招き、特に1935年の第二次大本事件により大本は一時期壊滅する。

この事件における第二審裁判では、高野裁判長に対し『人虎孔裡に堕つ』(人間が虎の穴に落ちた時どうすべきか。逃げても、立ち向っても、じっとしていても、虎に食われ所詮助からぬ。

しかし、一つだけ生きる道がある。

食われるのではなく、こちらから食わせてやる。

食われれば何も残らぬが、食わせれば愛と誇りが残る)という禅問答を残している。

宗教家・王仁三郎の力量と真髄を象徴する逸話とされる。

高野は「大本の教えは、宇宙観・神観・人生観・社会観に対し理論整然たる教義である」と評価した。

また敗戦後に弁護団が国家賠償訴訟を起こそうとしたところ、国民の窮乏を考慮して損害賠償権を放棄した事も、王仁三郎の真価を示したと言える。

また、王仁三郎(大本)は分派が多いことでも知られる。

第一次大本事件当時の大本筆頭幹部浅野和三郎は心霊科学研究会(現在日本スピリチュアリスト協会)を結成し、その思想は近藤千雄や江原啓之といった多くの心霊主義者に影響を与えた。

他に谷口雅春と生長の家、友清歓真と神道天行居、岡田茂吉と世界救世教(真光系諸教団)などが代表例である。

璽光尊(長岡良子)の璽宇にも大本系の人脈が関わった。

王仁三郎の側近植芝盛平が創始した合気道も、宗教団体ではないが王仁三郎の影響を強く受けている。

梅棹忠夫は「大本は教祖づくりの教団」と評している。

🟣甦る出口王仁三郎の映像

●昭和10年8月に撮影された七福神となった出口王仁三郎

●出口王仁三郎 本人主演

🟣大霊能師 出口王仁三郎 

●出口王仁三郎の肉声

🟣自ら七福神となる出口王仁三郎

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です