🟣喜劇 駅前桟橋とは?
『喜劇 駅前桟橋』(きげき えきまえさんばし)
昭和44年(1969年) 2月15日に東宝系で公開された日本映画。カラー。シネマスコープ。
東京映画作品。90分。
●キャッチコピーは「女上位の昭和元禄! 笑いと色気を満載し 今日も行く駅前航路 男は天国! 女も極楽」。
●概要
『駅前シリーズ』第24作にして最終作。
監督はベテラン・杉江敏男が務めるが、本作は杉江にとっては、最後の映画監督となる。
本作の場所は高松駅や瀬戸内海の島々だが、主役となるのは観光船であり、「駅」を「桟橋」にこじつけた印象が強い。
そして最大の特徴は、登場人物の大半が徳之助(森繁久彌)の異母兄弟となっていることである。
歌のゲストは三沢あけみ。
しかし映画人気低下には逆らえず、遂に本作をもって『社長シリーズ』、『若大将シリーズ』、『クレージー映画』より一足早く、シリーズの幕を降ろした。
●ストーリー
森繁久彌・伴淳三郎・フランキー堺による爆笑喜劇「駅前シリーズ」第24弾!
舞台は風光明媚な瀬戸内海を目前に控えた四国・高松。
第一観光丸の船長・徳之助(森繁)は、墓石屋の親父・孫作(伴)、うどん屋の若旦那・次郎(フランキー)、漆器店の主人三平(三木のり平)らとともに狸会を結成している。
ある日、徳之助の息子徳太郎が、法律の勉強をやめてジャズをやると言い出した。
徳之助は息子の決心を変えさせるために、色道修業をさせようとするが、徳太郎はこれを人間性の侮辱だと猛反対。
孫作の娘・左知子は妹五人とともに、また三平の息子・太平は徳之助の異母兄弟十八名を総動員して徳太郎の味方となり、ストライキを始めるのだが・・・。
●出演者
森田徳之助:森繁久彌
森田徳太郎:松山英太郎
堺次郎:フランキー堺
堺信作:左卜全
伴野孫作:伴淳三郎
伴野松子:春川ますみ
伴野左知子:島かおり
伴野市子:平田春美
伴野真弓:金田典子
伴野町子:沢宏美
伴野雪子:島田喜美江
伴野悠子:安藤和子
松木三平:三木のり平
松木克子:京塚昌子
松木太平:長沢純
お玉さん:池内淳子
西条まさみ:国景子
やす子:塩沢とき
くり子:旭ルリ
山さん:小瀬朗
亀さん:サトウ・サブロー
司会者:三笑亭笑三
若い女たち:かしまし娘
歌手:三沢あけみ
🟣喜劇 駅前桟橋 紹介サイト
https://note.com/toshiakis/n/nd0bbc17795dd
🟣高松市の沖合いに浮かぶハンセン病療養所のある大島の近くの兜島 (かぶとじま) の西半分に別荘を所有していた森繁久彌さん😃
夏になると、高松市庵治町で買い出しをして、この別荘にヨットで訪れていた。近くの大島のハンセン病療養所の方々とも酒を酌み交わし交流していた😃
●大島訪問時に撮った兜島の写真😃
大島からの景色 正面左が兜島、右が鎧島。
大島は源平合戦の舞台となった屋島に近い。 写真左側の島は、平氏が源氏側の追っ手に驚いて鎧を忘れて逃げたので鎧島、右の兜島は逃げる際に兜を忘れたので兜島と呼ばれている。
●森繁久彌さんの兜島に関する記事
2009年11月に森繁さんが逝去した際、長男はすでに他界しており、長女は嫁いでいたため、次男の建さん(76才)が遺産を相続した。数ある遺品のなかでも際立ったのが「ヨット」だ。
「もともと父はヨットが好きで、1964年に東京五輪に合わせて建造した『ふじやま丸』は全長21.5m、重さ54tで個人所有としては今も日本最大。総工費は当時で約1億円したそうです。
その前年、佐島マリーナという名前のヨットハーバーを横須賀(神奈川)に造ったんですが、『ふじやま丸』が大きすぎてハーバーに入らず、ハーバーの外にヨットを停留させていた(苦笑)。その後、何度か船の買い替えをして、最後に買った約18mのモーターヨットは2億円でした」(建さん)
ヨット好きが高じた森繁さんが続けざまに購入したのは「無人島」だった。
「香川県にある兜島のうち、人が住める4000坪だけを所有しています。ほかに個人で所有している人もなく、森繁家だけが利用する島です。よく東京からヨットで7日かけて家族みんなで兜島に向かい、昼は島で遊んで夜は船内に泊まっていました。父は途中寄港した港で船を降りて仕事をして、それが終わると別の港からまた船に乗り込んでいました」(建さん)
🟣喜劇駅前シリーズ!
●喜劇駅前弁当 予告編
笑いメガトン級 笑
●喜劇駅前団地
●喜劇駅前飯店
●喜劇 駅前桟橋
●アマゾン Prime Video
レンタル or 購入
🟣森繁久彌さんプロフィール
森繁 久彌(もりしげ ひさや)
1913年(大正2年)5月4日 – 2009年(平成21年)11月10日
日本の俳優、声優、歌手、コメディアン(喜劇俳優)、元NHKアナウンサー。
最晩年はアクターズセブン所属。別表記に森繁久弥。
身長168cm。血液型はB型。
昭和の芸能界を代表する国民的俳優の一人であり、映画・テレビ・舞台・ラジオ・歌唱・エッセイなど幅広い分野で活躍した。
早稲田大学を中退後、NHKアナウンサーとして満州国へ赴任。
帰国後、舞台やラジオ番組への出演で次第に喜劇俳優として注目され、映画『三等重役』『社長シリーズ』『駅前シリーズ』で人気を博した。
人よりワンテンポ早い軽快な演技に特色があり、自然な演技の中に喜劇性を込めることのできるユニークな存在として、後進の俳優にも大きな影響を与えた。
また、『夫婦善哉』『警察日記』等の演技が高く評価され、シリアスな役柄もこなした。
映画出演総数は約250本を超える。舞台ではミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』で主演し、上演回数900回・観客動員約165万人の記録を打ちたてた。
『知床旅情』の作詞・作曲者であり、歌手としても紅白歌合戦に7年連続で出場している。
巧みな語りは「森繁節」と呼ばれるほどに定評があり、ラジオ番組『日曜名作座』への出演のほか、朗読作品も多い。
先に亡くなった俳優たちの弔辞を読む姿でも知られる。
慈善事業にも尽力し、自身の寄付活動を伴淳三郎らとともにあゆみの箱として法人化している。
著書に自伝『森繁自伝』、エッセイ『品格と色気と哀愁と』など多数。
受賞も数多く、紫綬褒章、文化功労者、名誉都民、枚方市名誉市民、国民栄誉賞、従三位などのほか、1991年には大衆芸能分野で初となる文化勲章を受章した。