懐かしの野球アニメ、侍ジャイアンツの最終回に何が起こったか?

🟣『侍ジャイアンツ』とは?

原作:梶原一騎・作画:井上コオによる日本の漫画作品。

『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、1971年36号より1974年42号まで連載された。

単行本はジャンプ・コミックス全16巻、梶原一騎傑作全集全12巻、講談社漫画文庫全8巻、梶原一騎原作漫画傑作選全8巻。


テレビアニメ化されて、1973年10月7日から1974年9月29日まで、毎週日曜日19:30 – 20:00によみうりテレビの制作により日本テレビ系列で放映された。

初回放送時は全46話のあと、サブタイトルを変えた再放送2話を加えた全48回。

●1990年代に入ってから、井上コオの単独名義で、読み切り番外編『よみがえれ侍』、実用漫画『バイト侍』『生活侍』が発表された。

2007年には高尾より、『CR侍ジャイアンツ』としてパチンコになった。また、ニューギンより2007年、2009年にパチスロ作品が発表された。

●アニメ

1973年10月7日から1974年9月29日まで放送。

アニメ化は『巨人の星』と同じく東京ムービーが手がけ、監督も同じく長浜忠夫が担当。

しかし『巨人の星』よりもコミカルでテンポの良い陽性の作品に仕上げられている。

また、巨人軍がV9を達成した1973(昭和48)年を主な舞台としているため、各球団の当時の実名選手や監督の登場、夏場までの巨人の低迷、後半戦の長嶋の骨折・離脱、ペナントレース終盤での阪神との優勝争い、南海との日本シリーズなどの史実をベースにしたストーリーに、蛮の成長や魔球開発、ライバル達との対決などのエピソードを絡めた展開となっている。

当初の監督候補には、当時東京ムービー傘下のAプロダクションに所属していた高畑勲が挙がっており、実際に監督就任の打診があったが、高畑は『アルプスの少女ハイジ』を監督することになり退社、宮崎駿らは1話の原画を描いた後に高畑の後を追った。

キャラクターデザインおよび作画監督を務めた大塚康生は、演出方針を巡って長浜監督と対立し、途中降板。

以降、名義上は作画監督のままだったが、実際の作業は各話の担当に任せる形になったという。

前年に放送された『マジンガーZ』が、当時、専属契約制度を導入しつつあったジャンプ編集部はこのことを問題視し、人気絶頂だったにも関わらず原作漫画の連載を打ち切られた事があって、1981年にフジテレビ系列で放送された『Dr.スランプ アラレちゃん』まで週刊少年ジャンプ原作のアニメ化作品が途絶えることとなった。

🟣主題歌OP

🟣ニコニコ動画 侍ジャイアンツ 最終回

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm1988396

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