卑弥呼説のある奈良の箸墓古墳に眠る倭迹迹日百襲姫 (やまとととひももそひめ) は幼少期、香川県東かがわ市に住んでいた! 奈良県から東かがわ市までの予想ルートは?

作成日: 2020/11/13

最終更新日: 2020/11/13

🟣倭迹迹日百襲姫

卑弥呼説のある奈良県桜井市の箸墓古墳に眠る倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)は、幼少の頃、香川県東かがわ市に来ており、東かがわ市内 に由縁のある場所がある。

●水主神社 : 水主

●保田池 : 西村

●袖掛神社 : 小磯

●艪掛神社 : 馬篠

●安戸池 : 引田

🟣倭迹迹日百襲姫は、東かがわ市の水主神社から高松市香川町の船岡山へ移動し、田村神社でも住んでいた。

●船山神社 : 仏生山町

●船岡山 : 香川町

田村神社 : 一宮町

濾掛神社↑

水主神社↑

🟣卑弥呼説のある奈良の箸墓古墳に眠る倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)

百襲姫は奈良から東かがわ市の安戸池 に辿り着き、水主神社で水路を開き、弥生米を与え米作りに尽力した。

その後、高松市の香川町の船岡山から田村神社へと移り、弟の 吉備津彦 を助け 岡山県の温羅 を征伐した。その際の話しが、桃太郎伝説として残っているのかもしれない。

歴史は勝者が作る。吉備津彦は、第7代孝霊天皇の皇子であり、四道将軍の1人で、西道に派遣された。温羅とは、大陸から来た古代吉備地方の統治者であったが、大和朝廷から派遣された吉備津彦に征伐された。大和朝廷からすれば、当時、各地方の統治者は、鬼、土蜘蛛なとと呼ばれ、征伐の対象とされた。

葛城一言主神社(奈良県御所市森脇)に訪れた際、参道と境内に土蜘蛛塚があった。また、香川県高松市の鬼無には、鬼ヶ塚が残っている。

🟣奈良県から東かがわ市までの予想ルート

奈良県磯城郡田原本町黒田 庵戸神社(廬戸神社、孝霊神社)➡︎

大和川を下って堺の港から船を出し、明石海峡を越えて、途中、淡路島に立ち寄り、東かがわ市引田の安戸池➡︎

香川県かがわ市引田 安戸池 ➡︎

安堵の浦 安戸池から海上を香川県東かがわ市の馬篠まで行き、艪掛神社で一休み、艪を松に立てかけた ➡︎

艪掛神社辺りから陸路を歩く。途中、小磯の袖掛神社で暑くてたまらず袖を切り離した ➡︎

袖掛神社から豊かな水源を求めて水主神社へ向かった。

或いは、言い伝えによると、

東かがわ市引田の安戸池から陸路で、水主神社へ。

(数年後、水主神社から高松市香川町の船岡山へ向かう際、水主神社➡︎引田の安戸池から途中、馬篠の艪掛神社へ寄り、艪を松に立てかけて一休みしてから志度港辺りまで船で移動し、船岡山へ向った)

そうすると、袖掛神社はいつ行ったのかと言うことになるが、安堵の浦(安戸池)に着いたとき、「姿見の井戸」で身つくろいをし、暑かったので着物の袖を引きちぎったと伝えられている。

しかし、安戸池と東かがわ市小磯の袖掛神社の位置関係は、相当距離が離れており、引田の安戸池➡︎小磯の袖掛神社➡︎水主神社というルートを歩いて行くのは位置関係からして相当な遠回りになり不自然であるのだが、、、、。まあ、言い伝えがあると言うことは、安戸池 (身づくろい) ➡︎袖掛神社 (暑くてたまらず袖を引きちぎる) ➡︎水主神社のルートを取らざるを得なかったのだろう。

奈良県磯城郡田原本町黒田の庵戸神社(廬戸神社、孝霊神社)から大和川を下って堺の港へ。

奈良県から大和川を下って堺の港から大阪湾へ。明石海峡を通り、途中、淡路島へ立ち寄り東かがわ市引田の安戸池へ。

安戸池と袖掛神社の位置関係。安戸池から歩いて袖掛神社へ行き、暑くてたまらず袖を引きちぎり、水主神社まで歩いて行ったのか。

●袖掛神社↓

https://www.google.co.jp/maps/place/〒769-2511+香川県東かがわ市+袖掛神社/@34.2724186,134.3130747,16z/data=!4m2!3m1!1s0x35539b776ce9ac11:0xe92df21f3cb5c43a?hl=ja&source=embed

艪掛神社と袖掛神社の位置関係

袖掛神社と水主神社の位置関係

現代だと、水主神社から高松市香川町の船岡山へは、徒歩での移動の方が、海上航路より早い。航路で東かがわ市から高松港辺りまで海岸沿いを漕いでいくのは半島が数カ所突き出ており遠回りになる。当時は陸路では道がなく海上航路を取らざるを得なかったかもしれないが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です