香川県高松市 男木島出身のオリンピック競泳選手から俳優になった浜口喜博さん! 東かがわ市の三本松高校から日本大学進学! ヘルシンキ五輪銀メダル! ハリウッドで撮影された映画「ブルーバ」で主演!

※追記

2021年12月14日に男木島を訪問し、島の方に聞いたところ浜口喜博さんの姪にあたる方が男木島に今も住んでおられるとのことでした。

浜口喜博さんの初出演、初主演映画 「ブルーバ」

1955年の大映アドベンチャー作品

日本版ターザン

撮影は、ハリウッド

ゴリラや大蛇との闘いのシーンもある‼️


浜口喜博さんが育った高松市の男木島。

2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭の会場となっている。



🟣香川県高松市の沖合いに浮かぶ男木島と女木島の間に「加茂ヶ瀬戸(かもがせと)」と呼ばれる瀬戸(狭い海峡)がある。

加茂ヶ瀬戸は潮流が急であることで知られている。 流れが早く泳ぐには危険な場所で、へたをすると潮流に巻き込まれ死の危険もあるところなのだが、昔、男木島の子供たちは、男木島から女木島まで泳いで渡ったのだ、という話しを島に詳しい方に案内して貰っているときに聞いた。

今では、危険すぎて泳いで渡るなどとんでもないのだと言う。そんな話しを聞いた時、男木島には、島で泳ぎを鍛えられてオリンピックのメダリストになった人がいると聞き、びっくりした!

その方が浜口喜博さんだった。浜口喜博さんも、この加茂ヶ瀬戸を泳いで渡り、競泳の能力を鍛えられたのだろう。

更に驚いたことに、競泳選手引退後は、俳優をしていたということだ‼️ 初出演は、大映映画の「ブルーバ」で、なんと主演だった‼️

🟣浜口喜博さんのプロフィールは?

●浜口 喜博(はまぐち よしひろ)

1926年6月13日 – 2011年8月10日)

香川県出身の競泳選手、俳優。

1952年ヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレー銀メダリスト。

引退後は俳優に転向するも、その後は日本水泳連盟役員を歴任、死去時は顧問を務めていた。

🟣経歴

1926年6月13日、香川県香川郡雌雄島村大字男木(男木島、現・香川県高松市男木町)にて出生。

香川県立大川中学校(現・香川県立三本松高等学校)、日本大学卒業。

1952年のヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレーで鈴木弘、後藤暢、谷川禎次郎とともに銀メダルを獲得。

自由形100mでも準決勝に進出し、わずかの差で決勝進出を逃している。

水泳選手引退後は映画『ブルーバ』で俳優デビューを果たし、テレビ番組『少年ジェット』や大映映画に出演したほか、日本水泳連盟役員(強化委員、代表総監督、常務理事)などを歴任した。

2011年8月10日、心不全のため東京都目黒区の病院で死去。85歳没。


男木島と女木島の間に、加茂ヶ瀬戸と言う潮の流れが早い瀬戸がある。昔、男木島の子供たちは、男木島から女木島まで泳いで渡ったと言う。浜口喜博さんもこの流れの早い潮流で泳いで鍛えられたのだろう。

🟣主な出演作

●ブルーバ(1955年、大映) – 丈児(ブルーバ)

●豹(ジャガー)の眼(1956年、大映) – 王大人

●豹(ジャガー)の眼 青龍の洞窟(1956年、大映) – 王大人

●薔薇の絋道館(1956年、大映)

●新平家物語 静と義経(1956年、大映)

●朝の口笛(1957年、大映)

●透明人間と蝿男  (1957年、大映) – 葉山刑事

●海軍兵学校物語 あゝ江田島(1959年、大映) – 土屋教官

●大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン(1966年、大映) - あわじ丸操舵係

🟣映画 ブルーバ:

1955年の浜口喜博さんの初出演、初主演作品‼️

●冒険小説家南洋一郎の小説『バルーバの冒険』シリーズを映画化した、1955年の日本のアクション映画、アドベンチャー映画。

大映東京撮影所製作。88分、モノクロ、スタンダード。

ブルーバ

ゴリラ 対 浜口喜博さん


浜口喜博さん扮する志賀丈児ことブルーバ


●あらすじ

渡部博士(見明凡太朗)とその娘礼子(八潮悠子)は、20年前に消息を絶った志賀博士を捜索するためアフリカに赴く。

しかし渡部はそれだけではなく、かつて志賀博士より受け取ったダイヤモンド鉱山を探す目的も持っていた。幾多の苦難の後遂に絶体絶命のピンチに陥った一行の前に、動物と会話出来る少年が現れる。その少年こそ、志賀博士の遺児、志賀丈児ことブルーバ(浜口喜博)だった。

●概要

あらすじの通り、少年ケニアなどと同じく日本版ターザンというべきものである。

原作の南洋一郎は、戦前よりルパンの児童向け翻訳やターザンものの翻訳で有名であり、戦後その流れで書いた冒険小説の映画化である。

主演の浜口喜博は競泳選手で、1952年のヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレーで銀メダルを獲得し、競技引退後俳優に転向した初出演、初主演作である。

なお、『ブルーバー』とは、彼が動物を呼ぶ際の掛け声に由来している。

ジャングルシーンの撮影は、アメリカ、ハリウッドのサミュエル・ゴールドウィン・スタジオに常設されていたジャングルセットで行われた。

監督は戦前から活躍していた鈴木重吉、音楽は伊福部昭が担当。特殊撮影は築地米三郎。

大蛇 対 浜口喜博さん









共演者の八潮悠子さん







●浜口喜博さんが、「ブルーバ」に出演することになった背景は、1932年年に製作・公開されたアメリカ合衆国の映画、『類猿人ターザン』に出演して大人気となったオリンピック金メダリストのジョニー・ワイズミュラーという俳優がいたが、その「類人猿ターザン」の日本バージョンを作ろうとした背景からだろう。

🟣ブルーバ DVD

◼️DVD: ジャングルで動物たちと暮らす野生児ブルーバ!  日本版ターザン、ブルーバの大冒険! 

【DVD特典】●劇場予告編 ●フォトギャラリー 

【ストーリー】 
渡部博士とその娘・礼子は、20数年前アフリカ探険に行ったきり消息を絶った友人・志賀博士を捜すため、アフリカに向った。 


しかし渡部博士には、以前志賀博士から貰った手紙にあったダイヤモンド鉱山を探す目的もあった。旅の途中、礼子はブルーバという青年に助けられる。そのブルーバこそ、志賀博士の遺児・丈児であった。

●内容

南洋一郎の原作を鈴木重吉監督が映画化した和製ターザン映画。渡部博士と娘・礼子は、アフリカ探険に行ったきり消息を絶った志賀博士を捜すため現地へ向かう。途中、礼子はブルーバという青年に助けられ…。

初のDVD化!

●徳間ジャパンコミュケーションズが発売していたVHSビデオパッケージによると「『ブルーバ』とはアフリカの言葉で英雄・立派な人・豪傑を意味する」とある

🟣浜口喜博さんは、フジヤマのトビウオと呼ばれた古橋 廣之進さんとも同じ日本大学出身で親交があり、共にヘルシンキオリンピックに出場した。

🟣スポニチニュース記事

●浜口喜博氏死去 ヘルシンキ五輪競泳銀メダル 

浜口喜博氏(はまぐち・よしひろ=日本水泳連盟顧問、元常務理事)2011年8月10日午前3時59分、心不全のため東京都目黒区の病院で死去、85歳。

香川県出身。葬儀・告別式は2011年8月16日午前10時から東京都品川区荏原1の1の2、霊源寺で。

喪主は長男敦博(あつひろ)氏。  

1952年ヘルシンキ五輪の競泳男子800メートルリレーで銀メダルを獲得した。

🟣出演作品DVD

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