◼️阿波研造とは?

阿波 研造(あわけんぞう)
1880年 – 1939年
宮城県河北町(現在の石巻市)生まれ
弓術家・大日本弓道会八段範士。
弓聖と称えられる弓の名人。
その弟子に、吉田能安、神永政吉らがいる。
◼️経歴:
宮城県河北町(現在の石巻市)に生まれ。
日置流雪荷派木村時隆に学び免許皆伝を受ける。
1910年、木村時隆に代わり、第二高等学校の弓道師範を勤める。
1913年、本多利實に師事し、日置流尾州竹林派弓術を伝授される。
1927年、大日本武徳会弓道範士を授与する。大日本射道教(大射道教)を開き、自ら教主となる。
1939年没。
◼️門弟:
代表的な門弟。
・神永政吉 – 阿波研造の没後に大日本射道教の教主となった。
・安沢平次郎
・中野慶吉 – 1974年に全日本弓道連盟会長に就任する。
・吉田能安 – 正法流を起こす。
・オイゲン・ヘリゲル
◼️人物:
術(テクニック)としての弓を否定し、道(精神修養)としての弓を探求する宗教的な素養が強かった。
目を殆ど閉じた状態で弓を絞ると的が自分に近づいてきてやがて一体化する。
そこで矢を放つと「狙わずに中てる」ことが可能になるというのである。
『弓と禅』では、オイゲン・ヘリゲルを初めとする弟子達の前で、殆ど目を閉じた状態で放射している(オイゲンが筋肉を触ったところ、筋肉にも力が入っていなかったと証言を記している)。
自身、大射道教という流派を興し、その精神を「一射絶命」という言葉で表している。
🔸阿波研造の言葉:
「的と私が一体になるならば、矢は有と非有の不動の中心にある。射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る。」

◼️エピソード:
「心で射る弓」弓禅一如の体現者として、阿波研造には以下のようなエピソードがある。
ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルは日本文化の研究のため弓術を研究することにし、阿波に弟子入りした。
しかし、狙わずに中てる事などという阿波の教えは合理的な西洋人哲学者に納得できるものではなく、ヘリゲルは本当にそんなことができるのかと師に疑問をぶつけた。
阿波は、納得できないならば夜9時に私の自宅に来なさいとヘリゲルを招いた。
真っ暗な自宅道場で一本の蚊取線香に火を灯し三寸的の前に立てる。闇の中に線香の灯がゆらめくのみで、的は見えない。
そのような状態で阿波は矢を二本放つ。
一本目は的の真ん中に命中。
二本目は一本目の矢筈に中たり、その矢を引き裂いていた。
暗闇でも炸裂音で的に当たったことがわかったとオイゲンは『弓と禅』において語っている。
二本目の状態は垜(あづち)側の明かりをつけて判明した。
この時、阿波は、「先に当たった甲矢は大した事がない。数十年馴染んでいる垜(あづち)だから的がどこにあるか知っていたと思うでしょう、しかし、甲矢に当たった乙矢・・・これをどう考えられますか」とオイゲンに語った(オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』より)。
ヘリゲルはこの出来事に感銘を受け(矢を別々に抜くに忍びず、的と一緒に持ち帰り)、弓の修行に邁進し、後に五段を習得している。
■YOUTUBE動画:阿波研造の行射

■オイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel)
1884年3月20日 – 1955年4月18日
ドイツの哲学者。 海外では日本文化の紹介者として知られている。

■哲学:
哲学者としてはヴィルヘルム・ヴィンデルバントやエミール・ラスクの下で学んでおり、いわゆる新カント派の系譜に属する。ラスクが第一次世界大戦で戦死した後、ハインリヒ・リッケルトの依頼を受けたヘリゲルはラスク全集(全3巻)を編纂、刊行した。
■日本文化:
大正13年(1924年)、東北帝国大学に招かれて哲学を教えるべく来日、昭和4年(1929年)まで講師を務める。
この間、日本文化の真髄を理解することを欲し、妻に日本画と生け花を習わせて講義にやってきた先生の教えを横で聞き、大正14年には妻と共に弓術の大射道教を創始した阿波研造を師として弓の修行に勤しみ始める。
日本人と西洋人のものの考え方の違いや禅の精神の理解に戸惑うものの、ドイツに帰国する頃には阿波より五段の免状を受けた。
帰国後の1936年、その体験を元にDie ritterliche Kunst des Bogenschiessens(騎士的な弓術)と題して講演をする。
1941年にこの講演の原稿で『日本の弓術』(柴田治三郎訳、新版:岩波文庫)が、1948年には同じ内容をヘリゲル自身が書き改めたZen in der Kunst des Bogenschiessens(『弓術における禅』)が出版され、ここから更に『Zen in the Art of Archery』(ランダムハウス)、藤原美子訳『無我と無私』(ランダムハウス講談社)など様々な訳本が出ている。
ドイツに帰国後、ナチス政権下でエアランゲン大学の教授となり、大学人として成功したが、晩年は苦難の日々を過ごした。
その中で自身を精神的に支えたのは、『葉隠』だったという。遺稿集に『禅の道』(榎木真吉訳、講談社学術文庫、1991年)がある。
ヘリゲルは日本文化の根源に仏教や禅の精神性を見出したとしている。
Zen in the Art of Archeryには、阿波研造が1本目の矢に2本目の矢を当てた際にichではなくEs(エス)(「それ」)が射るといったという有名なエピソードがある。
これに対し元ドイツ弓術連盟会長フェリックス・ホフ(Feliks F. Hoff)は、よい射を日本語で「それです」と誉めるのをドイツ語: Esを主語にしたため意味が変わってしまったという説をとなえた。