山崎眞行 – 原宿ストリート・カルチャーの生みの親、ピンクドラゴン創業者、伝説のロカビリーバンド「ブラック・キャッツ」をプロデュース、矢沢永吉との接点、ビビアンとの関係は? –

🟣1980年代初頭、当時の多くの中高生にとって、原宿に行きクリームソーダで、ドクロマークのオリジナルグッズを買うことが憧れであり、音楽はブラックキャッツのレコードを聴くことが流行っていた。

あれから40年近く経った。時が経つ早さに驚くが、今でもブラックキャッツを聴き続けている。そして、自分の人生は、ブラックキャッツの曲に出てくる歌詞に影響されてきたと言っても過言ではない。

21の時、フィフティーズの映画と音楽に憧れ単身アメリカの西海岸へ渡った。ロスアンジェルスからシアトル走破! その後、シンガポールで2年、チャイナで12年も働くこととなった。

コニーアイランドのあるニューヨークには行ったけどコニーアイランドに行く時間がなくて、悔しくてピンクのレモネードを探して飲んだよ(T-T)  そして、3年前、なぜか夢の島 バリ島に行くことになり行ってきた、、、などなど色々とブラックキャッツの歌の影響を受けてきた。摩訶不思議なこともあるものだ💦💦

今、振り返ると、無意識のうちに歌詞が脳裏にインプットされ、引き寄せていたのかもしれない😃

そんなブラックキャッツをプロデュースし、クリームソーダのオーナーだった方が、山崎眞行さんだ。

山崎眞行さんの経歴をまとめるとともに、成功への原動力のひとつとなったであろうヴィヴィアンのYoutube動画やモデル時の画像を集めてみた。

◼️山崎眞行 (やまざき・まさゆき)さんとは?

1945年5月26日 – 2013年3月、享年67歳

北海道赤平市出身。

ちなみに歌手の三好鉄生も赤平市出身。

1970年代ストリートカルチャーの震源として名高い「キングコング」、「シンガポールナイト」、「クリームソーダ」、「ピンクドラゴン」、「ガレージパラダイス東京」など、
伝説に残るカフェやブティックのオーナーだった人物。




1981年、伝説のロカビリーバンド「ブラック・キャッツ」を生み出した。

Black Cats



■YOUTUBE動画:

原宿ゴールドラッシュ CREAM SODA

↑成功の秘訣、そして、ヴィヴィアンについて語る山崎眞行さん。原宿に進出、成功。イギリスのモデル、ヴィヴィアンとの出会い、追いかけるが、高嶺の花。プラトニックラブ。男と女の関係を超えた付き合いとなる。

↑山崎眞行さんの語りあり

↑山崎眞行さんの語りあり


Black Catsの紹介、歌の練習風景


https://youtu.be/Au4sCC11EhM
Black Cats ‘83 Comeback Special


↑ 11PM出演時の高田さん、オットーさん

◼️略歴:
1945年、住友鉱業が経営していた北海道の炭鉱町・赤平に生まれる。

1963年、赤平高校卒業後上京、喫茶店のウェイター、洋服屋店員のアルバイト生活ののちセレクトショップの「三峰」入社するも1ヶ月で辞める。

この職場で「生涯の相棒」となる伴晋作に出会う。

1968年、伴晋作とライブハウス「怪人二十面相」を新宿にオープン。

当時、矢沢永吉が所属していたキャロルのファッションは、メンバーの行きつけだった新宿のライブハウス「怪人二十面相」を中心に話題となり、その後、原宿を中心に一世を風靡したロックンロールファッションの先駆けとなった。

「怪人二十面相」は、キャロルが一度スペシャル・ライブ(1974年3月6日)を行ったことで当時、最先端のライブハウスとなった。後に、この怪人二十面相があった場所で、ブラックキャッツは、バンドの練習をしていた。

1973年、原宿に「キングコング」、1974年、「シンガポールナイト」をオープンする。

1976年、世界初のドクロマーク・ブランド「クリームソーダ」を立ちあげ、70年代末には1日1億円という驚異的売り上げを記録。 

店も「ガレージパラダイス東京」というメガ・ストアを所有するにいたった。

その後も、裏通りをCAT STREETと命名し、そこにPINK DRAGONビルを建設。 ファッション・ビジネス以外でもティモシー・リアリーに絶賛されることとなったロカビリーバンドBlack Catsを1981年に、そして、MAGICらをプロデュースした。

Black Catsは、1982年には日本人バンドとして初のアメリカライブツアーを行い、西海岸にジャパニーズロカビリー旋風を起こす。西海岸のガールズバンド「ゴーゴーズ」のオープニングアクトとして全米ツアーに同行した。

Black Catsは、日本のみならず世界を代表するロカビリーバンドとして、日本国内のみならず海外アーティストへも多大な影響を与えた。

1986年にはサクセスストーリー本「原宿ゴールドラッシュ」が刊行され、1990年には東映で映画化もされた。





2008年、緊急入院し、手術中に幽体離脱と思われる体験をしたことが契機となり、自己の人生を回顧することとなる。

2009年、「宝はいつも足元に」発行

2013年3月、原宿で犬の散歩の途中、突然倒れる。逝去。享年67歳。

小学校4年生のとき、北の国の炭鉱町で、エルヴィス・プレスリーの『ハート・ブレイク・ホテル』を聴いて以来、その衝撃を胸に刻み、やりたいことだけを一生やっていこうと決め、それを全うした人生だった。

◼️ヴィヴィアン・リン (VIVIENNE LYNN)とは?

●ヴィヴィアン・リン (Vivienne Lynn) 


イギリス出身のモデル。父はイギリス人、母は日本人。

ビビアンは、BLACK CATSの名付親でもあり、またBLACK CATSのアルバムのジャケットのモデルやアルバム VIVIENNE にシンガーとしても参加している。

🟣ビビアンの画像が見られるWeb Site URL ↓

https://lizeggleston.com/category/models/vivienne-lynn/



●(貴重)ヴィヴィアンのプロフィール紹介Youtube動画
ヴィヴィアンが日本語を話しているシーンあり。

VIVIENNE LYNN ←モデル時代の貴重な画像集






🟣(2021年10月21日)BLACK CATSのOTTOさん&久米浩司さん、奇跡の独占インタビュー!

🟣久米浩司さんの娘さん 青野美沙稀さんのバンド

●The Biscats

◼️ブラックキャッツと自分の人生の関わり

自分は、1969年生まれ、2020年には51歳となる。中学生の時から30年以上を経た今でもBlack Catsの曲を聴き続けている。 

Black Catsの曲を通して、「想いは現実化する」ことを体験し、そして人生を左右されることとなった。

それはBlack Catsの歌詞、或いは曲名に出てくる外国の地名が無意識下で頭の片隅か潜在意識の中に眠り続けており、いつの間にか、それらの場所に足を運んだり、実際に住むこととなったのだ。 摩訶不思議と言うか、引き寄せの法則と言うか、無意識のうちに、好きなBlack Catsの曲に出てくる場所に気がつけば思い出したように自分がいた。

中学生のときに「どんなところなんだろうか、行ってみたいなあ」という想いを抱きながらBlack Catsの曲を聴いていたのだが、30年経って、気付けばそれらの土地で働いたり、旅行することになった。

本当に不思議としか言いようがない!!

無意識下で、行きたい場所としてインプットされていたのだろうか 笑

●ロスアンジェルスからシアトル(曲名: Go Go トラベリングバス)
=>オールディーズに憧れ、オレゴンに留学していた時に、ワシントン州シアトルからロスアンジェルスまでモーテルに泊まりながら車で西海岸を横断。 ロスを通り越して、メキシコのティワナを超えエンセナダまでぶっ飛ばした! 途中、好きだったアメリカ人の女の子が住んでいたSan Louis Obispoに立ち寄って泊めてもらった。車中は、いつもオールディーズを聞いていた 笑

●シンガポール(曲名: シンガポール・ナイト)=>2001年から2003年の2年間、シンガポールで働いた! シンガポールで働くようになって、そう言えば、ここは、Black Catsの曲に出てきた場所だなぁと後から気付いた。

●チャイナ(曲名: 恋のチャイナ・クラブ)=>なんと12年間、中国で働いた!

●バリ島(曲名: Magic Island)=>2016年に偶然、バリ島へ旅行することとなった。引き寄せか 笑 Magic Islandの歌詞の中に、夢の島 バリが出てくる!

●コニーアイランド(曲名: 雨のコニーアイランド)=>コニーアイランドは、ニューヨーク市ブルックリン区の南端にある観光地。 ニューヨークのマンハッタンまでは2度ほど行ったのだが、ブルックリンにあるコニーアイランドまでは行けず、残念。でもマンハッタンに行ったときは雨が降っていた(笑)ピンクのレモネードは探して飲んだよ 笑😃

🟣書籍

⬛️「宝はいつも足元に」 山崎眞行、初の自叙伝。

<内容>
はじまりの気分は、怪人二十面相とパイレーツだった。原宿でドクロ旗をかかげ、巨万の富を手にした。英国からきた女神と出会い、世界を旅した。幾千、幾万のデザイン、アートを世に放った。プール付きのビルを東京の中心地につくった。名もなき道に名前もつけた。何もかもを成功の賜物として手にできたはずなのに、山崎眞行は何も自分の物にしなかった。

何も欲せず、何も望まなかった。

64歳。生死が危ぶまれた手術が成功し、町に生還したとき、はじめて自分の人生の真実を見ることになった。

すべては自分の足元にあったことを知った。―山崎眞行、初の自叙伝。

⬛️DOQROが僕の夢を見る前に 追悼DVD



<内容>
原宿に50年代のファッションをコンセプトとした「クリームソーダ」「ピンクドラゴン」をオープン。

50`sブームを起こし、日本の50`のファッション、カルチャーの代名詞的な存在、山崎眞行氏の軌跡を当時のインタビューテープ、インビュー映像を元に脚色編集したドキュメンタリータッチの追悼DVD作品。

小学校4年生のとき、北の国の炭鉱町で、神の声を聴いた。神はエルヴィス・プレスリー、『ハート・ブレイク・ホテル』を歌っていた。

少年はその衝撃を胸に刻み、やりたいことだけを一生やっていこうと決めた。

上京し、生涯の相棒と出会い、無一文から〈クリームソーダ〉という髑髏系宇宙を築きあげた。

すべての夢を独力でかなえ、東京に桜吹雪く日、ロックンロール・ロケットに乗り、次の宇宙へ旅だっていった。

少年の名は山崎眞行。このドキュメンタリーは、人生の宝は、いつもあなたの足元にあることを、伝えるために制作された。。。。

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