香港の青山禅院:「燃えよドラゴン」ロケ地。 有名な「Don’t think. Feel!」(あれこれ考えるな。感じとれ!) の名言をラオ少年に放った場所。ブルースリーとラオ少年の金属製のボードが立てられていた。
⬛️追加記事
◼️ブルースリーは、1940年11月27日生まれだから、2019年12月22日現在、存命していれば79歳となる。 1973年7月20日に32歳の若さで亡くなった。
1940年11月27日 – 1973年7月20日
享年32歳
◼️小学生のとき以来、30年以上に渡るブルース・リーのファンであるが、これまでアメリカ西海岸、中国、シンガポールなど海外に長く住み、多くのブルース・リーゆかりの地を訪れてきた。
そのときの写真やエピソードなどを紹介したいと思う。
⬛️一覧表に、”ゆかりの地、住所、最寄駅など” をまとめたので、これから訪れる予定がある方々の参考になれば幸いである。
自分がゆかりの地を探すのに非常に苦労したこともあり、一覧表の住所をクリックすればGoogle Map上の位置を表示するようにした。
今後も随時、追加情報を更新していく予定。
⬛️香港 九龍島の新界(New Territory) 沙田(Sha Tin)にある香港文化博物館にて期間限定で開催されているブルースリー展には2度ほど訪れた。この特別展には非常に貴重な日記や衣類サングラスなどが展示されており機会があれば、是非開催中に訪れてほしい場所である。
⬛️香港文化博物館:元々、2013年7月20日から2018年7月20日まで期間限定で開催予定だったブルースリー展が、2020年7月20日まで延長された!
⬛️Bruce Lee:Kung Fu ‧ Art ‧ Life詳細案内(英語、貴重画像)
Please be informed that the exhibition Bruce Lee: Kung Fu‧Art‧Life will continue through 20 July 2020.
目次 1、ゆかりの地 一覧リスト(50か所以上) ※画像と動画は一覧表の下にあります! 2、マニア向けDVD & グッズ 3、ブルース・リーとは? 4、ブルース・リー 年表 5、ゆかりの地を訪ねて (写真と感想) |
1、ゆかりの地 一覧リスト(50か所以上) ※画像は一覧表の下にあります(^。^)
No. | 名称 | 年代 | 住所、最寄駅 | コメント |
1 | ブルースリーの一家が1941年、米国から帰国直後に住んだ場所。リーはサンフランシスコ生まれ | 1941年 | 5 Mau Lam Street, Yau Ma Tei, Hong Kong (茂林街5號) 最寄駅:Jordan (佐敦站)駅 | 現在のNoble Park Hotelの辺り |
2 | 1941年からリーの 一家が住んでいた場所 | 1941年 | 218 Nathan Road, Yau Ma Tei, Hong Kong 最寄駅:Jordan (佐敦站)駅 | 現在のPrudedential Hotelの辺り |
3 | 德信學校(Tak Sun School) | – | 103 AUSTIN ROAD, TSIMSHATSUI, KOWLOON 最寄駅:Jordan (佐敦站)駅 | – |
4 | La Salle College ラサール中学校 | 1952年~1956年 | 18 La Salle Road, Kowloon 最寄駅:Prince Edward (太子)駅 | – |
5 | St. Francis Xavier’s College セント・フランシス・ザビエル高校 | 1956年~1958年 | 45 Sycamore Street, Tai Kok Tsui, Kowloon 最寄駅:Prince Edward (太子)駅 1958年、高校ボクシング大会に出場し、3年連続チャンピオンの他校のイギリス人を詠春拳スタイルで1ラウンドKO。 1958年10月、香港チャチャ(ダンス)コンテストで優勝。 | サミュエル・ホイも通っていた。 1956年、ラサールカレッジ退学、聖フランシス・ザヴィエ ル高校へ転校。 詠春拳、ケンカ、女、ダンス三昧の日々。 |
6 | 香港 油麻地のキングスパークにある階段。 幼少時代、父と共に武術の鍛錬に励んでいた場所 | – | Yau Ma Tei Service Reservoir Rest Garden 階段を登った頂上にグランド (油麻地配水庫休憩花園 )がある。 最寄駅:Yau Ma Tei(油麻地)駅 | 階段は約400段あり、急勾配、ここで、うさぎ跳び等、クンフーの修行をし強靭な肉体を作り上げた。 運動がてら登ると頂上はグランドになっていた。 |
7 | 九龍塘(Kowloon Tong)にあるブルース・リーが住んでいた旧邸宅 | 1972年8月 ~ 1973年7月20日 | 九龍塘金巴倫道41號 (41 Cumerland Road, Kowloon Tong) 羅曼酒店 (Romance Hotel) 最寄駅:Kowloon Tong (九龍塘)駅から徒歩10分くらい | ブルース・リーの死後、「羅曼酒店」というラブホテルとして営業していたが、2015年10月2日の訪問時は門が施錠され、営業していなかった。 右隣は幼稚園、周辺にも幼稚園がある |
8 | 青山禅寺 映画「燃えよドラゴン」の冒頭部分のロケ地。 香港 屯門 青山村にある青山禅院。 宋の時代にできたと伝えられる禅寺。 | 1973年 | Tsing Shan Monastery 最寄駅:Tsing Shan Tsuen (青山村)駅 自分は、香港のMTR(鉄道路線)屯門駅(Tuen Mun)を降りてタクシーで15分くらい山道を昇り、到着した。 帰りは散歩がてら山道を徒歩で降り、青山村駅から帰った。 途中、10数匹の野良犬に遭遇した。 | 映画冒頭部分にブルース・リーが弟子に対し「Don’t think, Feel.」の台詞を残した場所、老師と会話しながら歩いた道が今も残る。 標高が高く眺めも良い。 |
9 | 南北楼 映画「死亡遊戯」のロケ地のひとつであるレストラン | 1972年 | 7 Lan Fong Road, Causeway Bay, Hong Kong 最寄駅: Causeway Bay (銅鑼灣)駅 | ブルース・リーが、二階へ上がるシーンが撮影された階段も残されている。 エビチリの鉄板焼きが名物 |
10 | 香港文化博物館 2013年7月20日から2020年7月20日まで期間限定でブルースリー展が開催されている。 展示物は撮影禁止。 博物館前にブルースリーがキックしている像がある。 プライベートで使用していた衣服やサングラスなどなど、娘のシャロン・リーが全面協力しているだけあって内容は相当、充実している。 | – | 1 Man Lam Road, Sha Tin, New Territories 最寄駅:Sha Tin (沙田站)駅 展示面積は、850平方メートル。 ここはファンならずとも一見の価値があると思う。 2016年5月29日の訪問時、リーの像が博物館前に設置されていた。 | 映画の衣装やアクションシーンのスケッチなど映画関連をはじめ、家族にあてた手紙などブルース・リーゆかりの品、約600点を展示。 直筆の映画制作ノート、詩、絵、撮影に使用された小道具/衣服、ブライベート写真等々、コレクション数では他に例を見ない。 映画で使用されてヌンチャクや「死亡遊戯」で着用していた黄色のジャージも展示してあった。 |
11 | ブルース・リー像 | – | 像の移転先:Garden of Stars (Tsim Sha Tsui East Waterfront Podium Garden) → 2019年1月からAvenue of Starsにあります。 最寄駅:East Tsim Sha Tsui (尖東)駅 2017年現在、改修中のため尖沙咀 の東海濱平台花園にある。 2019年1月から、Avenue of Stars にある。 | 本来は、尖沙咀の先端にある『尖沙咀 海濱長廊(プロムナード)』の『アベニュー・オブ・スターズ(星光大道)』に設置されたが、2017年現在、工事中。 2019年1月からAvenue of Stars に戻ってきた。 |
12 | BRUCE LEE CLUB (SHOPおよびファンクラブの拠点)。現在は閉店。 *「2016年9月に家賃上昇で閉店」の記事 | ー | Shop 161, In’s Point, 530 Nathan Road 最寄駅:Yau Ma Tei(油麻地)駅 このショップは、In’s Pointのビルの1階(日本でいう2階)の161番にあった。 | リー関連の様々なグッズが買えたショップ。 非売品の貴重なお宝品も店内に展示していた。 |
その他のゆかりの場所 | ||||
13 | チャイニーズ病院 (Chinese Hospital、東華醫院) サンフランシスコのチャイナタウン | 1940年11月27日 | 845 Jackson St, San Francisco 生後3ヶ月あまりでサンフランシスコで製作された映画『金門女』(中国)に出演した。 | 父母が家族を連れて長期アメリカ巡業中、辰年の1940年11月27日、辰の刻(午前8時)に生まれた。 |
14 | 九龍殯儀館 (Kowloon Funeral Parlour) | 1973年 | 1A Maple Street, Tai Kok Tsui, Hong Kong (楓樹街1A號) 最寄駅:Prince Edward (太子)駅 | 1973年7月20日の死亡後、7月25日午前に、ここ九龍殯儀館葬儀が行われた。 |
15 | 碧華閣 (ビバリーハイツ) | 1973年 | Beacon Hill Rd 67 (筆架山道67) 最寄駅:Kowloon Tong (九龍塘)駅から徒歩15分くらい ベティ・ティンペイが当時を振り返った動画あり※ | 1973年7月20日、映画「死亡遊戯」の打ち合わせのため訪れていたマンション(3階)。 頭痛のため午後7時以降ベッドルームで休んでいたが目を覚ますことなく昏睡状態となり、救急車で搬送された。 当時の部屋の住人は女優ベティ・ティンペイであった。 |
16 | ゴールデン・ハーベスト・スタジオ跡地 「ドラゴン怒りの鉄拳」が撮影されたA2スタジオ (※) | 8 King Tung Street, Hammer Hill Road, Kowloon 最寄駅:Diamond Hill (鑽石山)駅から徒歩15分 | 映画「ドラゴン怒りの鉄拳」、「ドラゴンへの道」などの撮影が行われた場所。 現在は高層マンションが建っている。 | |
17 | 大阪日本料理 | 14 Ashley Rd(尖沙咀亜士厘道14) 最寄駅:East Tsim Sha Tsui (尖東)駅 | ブルースリーがよく通っていた日本料理店。 当時は「大和」という名称だった。 すき焼きを好んで食べていたとのこと。 | |
18 | 伊利沙伯醫院 (クイーンエリザベス病院) | 1973年 | Gascoingne Rd 30 (加士居道30) 最寄駅:Jordan (佐敦)駅 | ベティ・ティンペイのマンションで昏睡状態となり、救急車で運ばれた病院。 7月20日の23:30、C病棟8階の一室で死亡が確認された。 |
19 | 明徳園 (Sunlight Garden) | 1971年11月~1972年8月 | 2 Man Wan Rd, Ho Man Tin 最寄駅:Mong Kok (旺角)駅 | 1972年8月に金巴倫道41のマイホームを購入する前に住んでいたマンション。 |
20 | 國際詠春拳術總會梁挺館International HQ Leung Ting Gym | 1953年~ | 438 Nathan Rd Yau Ma Tei 最寄駅:Yau Ma Tei(油麻地)駅 師の葉問氏と※ | 1953年 ケンカに勝つため、詠春拳道場の門を叩く。 師は、達人イップ・マン(葉問)氏。 |
21 | アバディーン (Aberdeen、 香港仔) 「燃えよドラゴン」で、リーが、シー・キエン演じるミスター・ハンの島へ向かうシーンが撮影された場所。 | 1973年 | Aberdeen 香港島の南側に位置する | このアバディーンの港から香港最南端の蒲台島 (Po Toi Island) 行きのフェリーが出ておりイカ釣りに行ったことがある。 Po Toi島まで所要時間約1時間半。 |
22 | 青松観(Ching Chung Koon) 香港最大規模の道教寺院 「燃えよドラゴン」の一番最初のシーンに出てくる門 (家妙之門) | 1973年 | Tsing Chung Path, Tsing Chung Koon Road, Tuen Mun, New Territories 新界屯門青松觀路青松徑 最寄駅:LRTの青松駅 「燃えよドラゴン」冒頭シーンのロケ地 | ■行き方: ①西鉄「兆康」駅で軽便鉄道(LTR)505番に乗り換え ②「青松」駅下車、正面にある青麟路を渡る ③右に進むとすぐに青松観の入り口(裏口)がある。青松駅から徒歩約3分。 |
23 | リーの師であるYip Man (葉問)の墓 墓への案内表示※ | 1972年12月2日没 | Fung Ying Seen Koon Temple (蓬瀛仙館)裏手 最寄駅: Fanling (粉嶺 )駅 Fung Ying Seen Koon※ | Yip ManはFung Ying Koon寺の裏にある蝴蝶山(新界北部の粉嶺)に埋葬されている。 |
24 | 米国シアトルのスペースニードル | 1963年10月25日 | 400 Broad Street, Seattle, Washington リーは、1964年8月17日リンダ・エメリーと結婚した。 | 1963年10月25日に、リーが妻となるリンダと初めてデートした場所。当時のリンダはワシントン大学医学部の学生。 |
25 | 米国シアトルのレイクビュー墓地※ | 1973年 | 1554 15th Ave E, Seattle, WA リーの墓碑があるレイクビュー墓地。 | リーの横には息子のブランドンの墓がある。 |
26 | 太平館餐廳 (Tai Pin Koon Restaurant) 太平館餐廳 (油麻地店)※ | 19-21 Mau Lam Street, Yau Ma Tei 最寄駅: Jordan (佐敦站)駅 ■油麻地店 19-21 Mau Lam Street, Yau Ma Tei, Hong Kong リーが愛したメニュー: 周打蟹肉湯 (カニのクラムチャウダースープ) 93香港ドル 太平館瑞士鶏翼 (スイスチキンウィング) 176香港ドル | リーがよく通っていた創業1860年の老舗洋食レストラン。 リーが訪れていたのは1964年にオープンした油麻地店。 | |
27 | オーシャン・ターミナルの駐車場 1972年3月、リーが他の俳優たちと豪華客船「コーラル・プリンセス号」を参観に訪れ、その帰りに、この駐車場で多くの写真を撮った。 オーシャン・ターミナルでは、1950年代には既に汽船の発着が始まっており、1959年にはアメリカでの成功を目指したブルース・リーが、「プレジデント・ ウィルソン号」で、ここからサンフランシスコへと旅立った。 アメリカへ渡る途上、航路の関係で入港した横浜 に上陸。日記によると、「日本は素晴らしい国である。レストランの“チキンライス”が美味だった」と書かれている。 | 1973年3月 | Ocean Terminal Car Park 海運大廈停車場 最寄駅: Tsim Sha Tsui (尖沙咀) 駅 | 1959年4月29日に渡米するとき船に乗り込んだ埠頭が当時、九龍地区最大規模のターミナルだった「九龍倉碼頭」。 現在は「海運大廈(オーシャンターミナル)」となっている。 |
28 | Tai Tung Chinese Restaurant アメリカのシアトルにあるリーが通った中華レストラン※ | 1959年9月 ~ 1964年7月 | 655 South King Street Seattle, WA 店内には写真やポスターが貼られ、リーがお気に入りだった座席も残されている※ | リーは、ここで、「牛肉のオイスターソース炒め(Oyster Sauce Beef with Rice) を好んで食べたとのこと。 |
29 | ワシントン大学 ワシントン大学では、演劇を専攻、同時に哲学を学び振藩功夫(ジュンファン・グンフー) に哲学的要素を融合させていくと共に、生活の手段としていく。 | 1961年 ~ 1964年中退 | Seattle, Washington | 1961年、ワシントン大学入学、演劇専攻 1962年、本格的に道場「振藩國術館」(ジュンファン・グンフー・インスティチュート)を開く 1963年8月、 リンダ・ エメリーと知り合う 1964年7月、翌月開催の「第1回国際カラテ選手権」でリーの案内役を務めるダン・イノサントと知り合う 1964年8月、カリフォルニア州オークランドへ移住 |
30 | Hotel De’ Moc タイでの「ドラゴン危機一発」の撮影時、リーが泊まったホテル。 | 1971年 | 78 Prachatipatai Rd, Bangkok, Thailand | リーは401号室に泊まり、部屋の前にある非常用階段の踊り場(外部)でストレッチをしていた。 |
31 | タイの製氷工場※ 「ドラゴン危機一発」のロケ地となったタイのパクチョン地区にある製氷工場。 | 1971年 | Pak Chong District (パクチョン地区にある製氷工場) バンコクから車で約4時間のところにある田舎町パクチョン (PAK CHONG)の製氷工場 製氷工場のオーナーは基本的に訪問客を歓迎しているのだという。 | 「ドラゴン危機一発」のロケ地となった製氷工場が今もそのまま現存している。 映画の中でリーが鳴らしていた鐘は事務所の建て替えで撤去されている。 製氷工場近くにノラ・ミャオが飲み物を売っていた屋台もある。 |
32 | Wat Siri Samphan (Wat Samphao Uppatham) 「ドラゴン危機一発」のラストの決闘シーン撮影場所である寺院 タイのPak Chong (パクチョン)地区 | 1971年 | Pak Chong | 製氷工場から約1kmのところにある寺院 |
33 | Rimtarninn Hotel パクチョンの製氷工場でのロケ中、リーが滞在したホテル※ | 1971年 | 430 Mittrapap Rd., Pakchong, Nakorn Ratchasima, Thailand 30130 | 1971年当時は、New Wanchai Hotelという名称だった。 リーは407号室に宿泊した。 |
34 | ルイス カモンエス公園 (マカオ)※ 「ドラゴン怒りの鉄拳」の唯一の屋外ロケ地。 | 1971年10月 ~ 11月 | Praca de Luis de Camoes, Macau | 映画内で、「犬と中国人入るべからず」の看板が掲げられてあり、怒ったリーがとび蹴りで、その看板を叩き割るシーンが撮影された。 |
35 | ロウリムイオック公園 ※ (盧廉若公園) Lou Lim Ieoc Garden マカオにある「死亡遊戯」のロケ地のひとつ | 澳門羅利老馬路10號 | 映画内でドクター・ランド役のディーン・ジャガーがリーに襲われるシーンが撮影された場所。 | |
36 | スターフェリー※ 尖沙咀 (Tsim Sha Tsui) 「死亡遊戯」のロケ地の一つ。 | Star Ferry Pier 天星碼頭 | 香港の中心に位置するヴィクトリア・ハーバーの両岸、尖沙咀-中環、尖沙咀-湾仔間を運航するフェリー。 | |
37 | ロスアンジェルス時代に住んだ邸宅※ | 1968年 | 2551 Roscomare Rd, Los Angeles, CA, United States | 1966年3月、一家でロサンゼルスに引っ越す。 1966年6月6日、「グリーン・ホーネット」収録開始。 準主役の日本人・カトー役。 1966年9月9日、「グリーン・ホーネット」放送開始 |
38 | ロスアンジェルス時代に開いた道場があった場所 (チャイナタウン)※ | 1966年 | 628 W College St., Los Angeles, CA 90012 | – |
39 | ロスアンジェルスにあるチャイナタウンのブルース・リー像 *随時、最新の設置場所は要確認 | 2013年6月15日に設置 | Sun Mun Way, Los Angeles, CA 90012 | – |
40 | コロッセオ※ イタリアのローマにある「ドラゴンへの道」の撮影場所 | 1972年 | Colosseum, Piazza del Colosseo, Rome, Metropolitan City of Rome, Italy ラストのコロッセオにおけるチャック・ノリスとの死闘はブルース・リー作品でもベストに挙げられる。 | リーが初めて監督・脚本・武術指導・主演の四役を務めた。 本作品は香港映画では初めてローマ・ロケを敢行した。 |
41 | CAMPO VERANO墓地 ローマにある「ドラゴンへの道」のラストシーンの撮影場所 | 1972年 | Cimitero Monumentale Verano, Piazzale del Verano, Rome, Metropolitan City of Rome, Italy 共演したノラ・ミャオ※ 1952年2月8日生まれ | リンダ夫人はインタビューで、「私が一番好きなのは『ドラゴンへの道』です。なぜならユーモラスなところが普段の彼に一番近いからです。」と発言している。 |
42 | The American Club, Country Club 香港島にある「燃えよドラゴン」ロケ地。 Palm Villaテニスコート※ | 1973年 | 28 Tai Tam Rd, Tai Tam, Hong Kong | パームヴィラ (Palm Villa) ・テニスコートにてハンの島でのトーナメント・シーンが撮影された。 |
43 | マダムタッソー蝋人形館 (香港) Madame Tussauds Hong Kong 香港杜莎婦人蝋像館 | – | Shop P101, The Peak Tower, 128 Peak Road, The Peak, Hong Kong Island 香港山顶道128号凌霄阁2楼 | マダムタッソーにリーの蝋人形が展示されている |
44 | ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム Hollywood Walk of Fame リーの星型プレート※ | – | North side of the 6900 block of Hollywood Boulevard | – |
45 | Inosanto Academy of Martial Arts ブルース・リーが創始した截拳道(ジークンドー)の前身武術である振藩功夫の継承者であるダン・イノサントの道場。 | – | 13352 Beach Ave, Marina Del Rey, CA 90292 | – |
46 | Edison Technical School跡 1959年9月3日に高校卒業資格を取得するため入学し、1960年12月2日に卒業。 | 1959 – 1960 | 1701 Broadway Seattle, Washington 98122 現在、この場所は、Seattle Central Collegeの一部となっている。 | – |
47 | Ruby Chow Restaurant 1959年にリーが働いていたシアトルにあったレストラン | 1959 | 1122 Jefferson Street, Seattle, WA, United States Ruby Chow Restaurantの外で撮影した写真※ | – |
48 | Jun Fan Gung Fu Institute跡 1963年にリーがシアトルにて開いたJun Fan Gung Fu Institute跡。 | 1963 | 4750 University Way Northeast, Northeast Seattle, Seattle, Washington 98105 メンバーシップカード | 当時、リーは、この場所の裏に住んでいた。 |
49 | 李小龍楽園 Bruce Lee Paradise Bruce Lee’s theme park in Foshan, China | – | 中国广东省佛山市顺德区李小龙乐园 中国広東省仏山市順徳区にあるブルースリーのテーマパーク。 | ブルースリーの父親が幼少時代に住んでいた生家の復元がある。 |
50 | Fountain of Neptune (Italian: Fontana del Nettuno), Rome ネプチューンの噴水 「ドラゴンへの道」ロケ地 | 1972年 | Fountain of Neptune, Piazza Navona, Rome, Metropolitan City of Rome, Italy | ノラ・ミャオがローマ市内を案内するシーンで、この噴水が見られる。 |
51 | Muslim Cemetery, Happy Valley, Hong Kong 「燃えよドラゴン」ロケ地 | 1973年 | Muslim Cemetery, Happy Valley, Hong Kong 画像※のシーンが撮影された場所は、墓地の見晴らしの良い最上部附近に位置する。 | 映画の中でリーが見つめていた墓石はSHEIK ACKBERのものである。 |
52 | King Yin Lei (景賢里) 「燃えよドラゴン」 に出てきたハンの邸宅 ※ クラーク・ゲーブル主演の1955年公開の映画 「Soldier of Fortune」(邦題:一攫千金を夢見る男)のロケ地でもある。 | 1973年 | King Yin Li, 45 Stubbs Rd, Mid-level, Hong Kong 香港島のWan Chai駅から車で約13分 (3.7km) | 香港島のヴィクトリアピークへ向かう途中にある。 年に何度か公開日があり、一般公開される。 事前に香港各地の博物館で配布される整理券を受け取る必要がある。 |
53 | Tai Tam, Hong Kong 「燃えよドラゴン」のハンの島への上陸シーンは、American ClubとPacific Viewマンションの間にあるTai Tam Bayで撮影された※ Tai Tam Bayから上がったところにあった Palm Villaのテニスコートでトーナメント・シーンが撮影された。 | 1973年 | 38 Tai Tam Rd, Stanley, Hong Kong タニア役を演じたアーナ・カプリ Ahna Capri (1944-2010)が リーたちをTai Tam Bayで迎えるシーンが撮影された。 | – |
No. | 名称 | 年代 | 住所、最寄り駅 | コメント |
54 |
※画像と動画
2、マニア向けDVD & グッズ
●ブルースリーを追い求めて: ブルースリー主演映画の各ロケ地を訪れ、その足跡と現在の様子を撮影した貴重映像。例えば、「ドラゴン危機一発」の撮影に使われたタイの製氷工場やイタリアのコロシアムなど。 当時の出演者や関係者らの貴重なインタビューも収録。
●ブルースリー IN グリーンホーネット: ブルース・リーが初めて大役レギュラーをつかんだ30分1話完結の米TVドラマ。
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●ブルース・リーの迫力ある武術アクション、劇中で印象的なシーンを再現できる可動機構を搭載したアクションフィギュア。
●ブルース・リーが映画「死亡遊戯」で 劇中使用していたヌンチャクのレプリカモデル。 ラバーですので子供の使用でも安全。
ブルース・リー 死亡遊戯 トラックスーツ つなぎジャージ コスプレ!! ヌンチャク セット【キルビル 少林サッカー】 (180cm) |
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3、ブルース・リーとは?
ブルース・リー(英語: Bruce Lee、李小龍、中国語: 李小龙、出生名: 李振藩)
1940年11月27日 – 1973年7月20日
香港の中国武術家、武道家、俳優、脚本家、映画プロデューサー。
截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。
墓碑銘は『FOUNDER OF JEET KUNE DO』。
リンダ・エメリーとの間に一男一女。息子はブランドン・リー、娘はシャノン・リー。
4、ブルース・リー 年表
<1940年>
1940年11月27日サンフランシスコのチャイナタウン生まれ。
父:Lee Hoi-chuen (李海泉) 中国人
母:Grace Ho (何愛瑜) 中国人とコーカソイドのハーフ。
兄弟姉妹:Phoebe Lee (李秋源)、Agnes Lee (李秋鳳)、 Peter Lee (李忠琛)、Robert Lee (李振輝)
<1941年>
1941年、リーが生後3か月のとき、サンフランシスコからイギリスの植民地下の香港へ戻ってきた直後に 5 Mau Lam Street (茂林街5號)の2階に住んだ。
生後3ヶ月あまりでサンフランシスコで製作された映画『金門女』(中国)に出演している。
1941年、その後、Katherine Building (2/F, 218 Nathan Road)へ引っ越した。
Tak Sun School (德信學校)に通った後、リーは、12歳の時、La Salle CollegeのPrimary School Divisionに入学した。
<1953年>
1953年、13歳から5年間、詠春拳の使い手である葉問(イップマン)のもとで修業した。
<1956年>
1956年ごろ、学業成績の不振と不良行為により、St. Francis Xavier’s College (High School)に転校した。
<1958年>
1958年、高校ボクシング大会に出場し、3年連続チャンピオンの他校のイギリス人を詠春拳スタイルで1ラウンドKO。
1958年10月、香港チャチャ(ダンス)コンテストで優勝。
1958年、何不自由なく育ったリーの将来を心配した父は、「俳優の不良息子」として悪名を知られた香港から離し、渡米を命じた。
18歳のリーは、わずか100ドルの所持金で単身渡米し、シアトルに移り住む。
新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校のシアトル・セントラル・カレッジに通い高校卒業資格を得て、ワシントン大学に進学、演劇を専攻。
勉学に励むかたわら、「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始める。高校で哲学の講師もしていた。
その頃、同じ大学の医学生で、道場の生徒だったスウェーデン系イギリス人リンダ・エメリーと結婚。
その後、大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(Jeet Kune Do/JKD/ジークンドー)を創始する。
<1966年>
1966年に、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」で詠春拳の演武をしたフィルムが、TVプロデューサーの目に止まり、TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢される。
正義のヒーロー「グリーン・ホーネット」の助手兼運転手として、目の周辺だけを隠すマスクをつけた日系アメリカ人のカトー役を演じ、派手なアクションで人気を博す。
これをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などのゲスト出演を重ねる。
『グリーン・ホーネット』の後、アメリカの連続テレビドラマ『燃えよ!カンフー』を企画し、自ら主演を願ったが、東洋人であることなどを理由に叶わなかった。
<1970年>
1970年に、香港の大手映画会社のショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)から独立したレイモンド・チョウ(鄒文懐)が設立したばかりのゴールデン・ハーベスト(嘉禾娯楽事業有限公司)と1本1万香港ドルで2本の映画出演の契約をする。
<1971年>
1971年に、成人後の初主演映画『ドラゴン危機一発』が公開され、香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットになった。リーは、一躍、香港のトップスターに躍り出る。
主演第2作の『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導を担当し、3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、自ら「コンコルド・プロダクション」(協和電影公司、ゴールデン・ハーベストとの共同出資)を設立し、製作・監督・脚本・主演の四役を担った。
この3作によって、リーは香港で不動のトップスターの地位を築き、ゴールデン・ハーベストは興行収入で香港最大の映画会社となった。
<1972年>
1972年秋から、リーの2作目の監督映画『死亡遊戯』の撮影がスタートする。
しかしハリウッドのワーナー・ブラザースとコンコルド・プロダクションとの合作映画『燃えよドラゴン』の企画が持ち上がり、『死亡遊戯』の製作は中断される。(その後ゴールデン・ハーベスト社からサモ・ハン・キンポーにこの作品を完成させるように指示が出た。サモ・ハン・キンポーは彼のスタントにユン・ワーやユン・ピョウを起用し、この作品が完成となった。)
<1973年>
1973年1月から、アメリカと香港の合作映画『燃えよドラゴン』の撮影が始まる。
かつて『燃えよ!カンフー』の主演が叶わなかったリーの意気込みは並々ならぬものがあり、エキストラへの武術指導に始まり、脚本や撮影にも詳細な意見を出した。
1973年7月20日に、リーは、『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティン・ペイ(丁珮) の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含むEquagesic)を飲んでベッドに横になった。
しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティン・ペイはレイモンド・チョウを呼び、そのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。32歳であった。
葬儀は香港とシアトルで行われた。香港では数万人のファンが葬儀に参列し、シアトルの葬儀にはリーの弟子だったジェームズ・コバーンやスティーブ・マックイーンも参列した。
遺体はシアトルのダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬された。
リーの死後、彼が待望していた主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに世界各地で公開され、ヒットした。
5、ゆかりの地を訪ねて (写真)
(1) 住所: 5 Mau Lam Street, Yau Ma Tei, Hong Kong.
1941年にサンフランシスコから香港へブルースリーの一家が戻ってきてすぐに住んだ場所。
現在のNoble Park Hotelの辺りか。 2016年12月18日訪問。
住所: 5 Mau Lam Street (茂林街5號)の辺り。左側はNoble Park Hotel。
Noble Park Hotel
(2)住所: 218 Nathan Road。 1941年からブルースリーの一家が住んでいた場所。現在のPrudential Hotelの辺り。
Prudential Hotel
(3)Tak Sun School 德信學校。ブルースリーがかつて通っていたTak Sun小学校。2016年12月18日訪問。
ブルースリー幼少時の壁画(左端)
(4)住所:18 La Salle Road, Kowloon。ブルース・リーが通っていたラサール中学校。九龍島 (Yau Tsim Mong District) 2016年12月18日訪問。
(5)St. Francis Xavier’s College。かつてブルース・リー、サミュエル・ホイが通っていたセント・フランシス・ザビエル高校。
1956年にラサールカレッジを退学し、聖フランシス・ザヴィエ ル高校へ転校。1958年まで通っていた高校、卒業はしていない。 詠春拳、ケンカ、女、ダンス三昧の日々。
1958年、高校ボクシング大会に出場し、3年連続チャンピオンの他校のイギリス人を詠春拳スタイルで1ラウンドKOした。
1958年10月、香港チャチャ(ダンス)コンテストで優勝。
学校の外壁に掲げてあるブルースリーの写真。
外壁に掲げてあるリーの写真(拡大)
2017年現在、リーの写真は盗難にあって紛失との情報あり。
(6)九龍島 油麻地 In’s Point 現時點。BRUCE LEE CLUB (SHOPおよびファンクラブの拠点)がある建物。
油麻地駅近くにある。 このショップは1階(日本でいう2階)にある。
2015年10月2日訪問。
2016年9月に賃料上昇のため閉店されました (2018/1/3 記) =>記事
■ブルース・リー・クラブ・ショップ (Bruce Lee Club Shop)
最寄駅: MTR油麻地駅。様々なグッズが買えるショップ。
貴重なお宝品も店内に展示していた(非売品を含む)。
上記のIn’s Pointの1階(日本の2階)にショップがある。
ショップ内の展示ケース
(7)King’s Parkにある階段。 李小龍が幼少時代、父と共に武術の鍛錬に励んでいた場所。
階段は約400段あり、急勾配、ここで、うさぎ跳び等、クンフーの修行をし強靭な肉体を作り上げた。
運動がてら登ると頂上はグランドになっていた。
2016年5月22日訪問。
階段の前方のWaterloo Rd。
油麻地駅(左側)から徒歩2分。
階段の下から上を撮影。この約400段の階段を登ると頂上にグランドがあり、ランニング、太極拳などをしているひとがいる。
階段を登りきったところにYau Ma Tei Service Reservoir Rest Garden (油麻地配水庫休憩花園) がある。
階段を登ると頂上にはグランドがある
階段を上から下に向かって撮影
(8)映画「燃えよドラゴン」の冒頭部分のロケ地。 青山禅院。
香港 屯門 青山村にある青山禅院。 宋の時代にできたと伝えられる禅寺。
冒頭部分に李小龍が弟子に対し「Don’t think, Feel.」の台詞を発した場所、老師と会話しながら歩いた道が今も残る。標高が高く眺めも良い。 2016年5月23日訪問。
アクセスは、香港のMTR(鉄道路線)屯門駅からタクシーに乗って、15分くらい山道を昇り、到着した。
帰りは散歩がてら山道を徒歩で降り、LRTの青山村駅から帰った。
途中、10数匹の野良犬に遭遇したり、線香を持ちながら、青山禅寺の方向に礼をしてから、体を地べたにつけて、また起き上がり、礼を繰り返しながら進む女性をみたりした。
この参拝のしかたは、香港のランタオ島にあるハート・スートラ(Wisdom Path)へいく途中でも見かけたことがある。
「Don’t think. Feel!」(あれこれ考えるな。感じとれ!) のセリフを放っした場所。
頭をはたかれていたのはラオ少年役を演じたトン・ワイ。
彼は、トン・ワイ(董瑋、スティーブン・トン・ワイ、1954年2月2日 – )といって、上海生まれ、香港育ちの俳優、映画監督、武術指導、アクション監督である。
ちなみに「燃えよドラゴン」という邦題は、新撰組を題材にした司馬遼太郎の時代小説『燃えよ剣』のタイトルをヒントにしたもので、配給したワーナーの宣伝部長だった佐藤正二が書店で見かけて命名した。「燃えよ」のフレーズを使うにあたっては司馬の了解を得ていたという。
リーと師匠役の喬宏(ロイ・チャオ)が対話している場面がパネルで再現されている。
「燃えよドラゴン」の香港公開版のみにあったシーンについて:
序盤にリーが師匠に、タオイズムをベースにした截拳道(Jeet Kune Do / ジークンドー)に関する概念を説明する約3分程度の場面があり、さらにクライマックスの鏡の間の戦いでは、ハンの攻撃に窮地に陥ったリーが、序盤の方丈との会話シーンを想起して目覚め、窮地を打開してハンを倒すきっかけとなる1分弱の場面があった。この場面は香港公開版のみに使用されたが、ワーナーの意向で国際公開版からはカットされていた。
ちなみに、ブルース・リーはタオをワシントン大学の卒論のテーマにしていた。
青山村駅をでたところから青山寺がある山の方向を撮影。
祠
青山禅院からの眺め
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(9)映画「死亡遊戯」のロケ地。レストラン「南北楼」。
香港島側のコーズウェイ・ベイにあるレストラン「南北楼」。
かつて、ここでブルース・リーの映画「死亡遊戯」が撮影された。二階へ上がる階段も残されている。エビチリの鉄板焼きが名物。
2016年5月25日、2016年8月25日訪問。
映画「死亡遊戯」のワンシーン
「死亡遊戯」の映画のように最上階まで行こうとトライするが、2階へ上がると行き止まり。 2階は洗面所だったと思う。
エビチリの鉄板焼きを注文
北京ダック
下記、2016年5月25日訪問時。
想像していたよりかなり幅が狭い建物。
(10)香港国際空港
(11)香港 Sha Tin にある香港文化博物館。
2013年7月20日は没後40年にあたり、2018年7月20日までの期間限定で香港文化博物館において映画の衣装やアクションシーンのスケッチなど映画関連をはじめ、家族にあてた手紙などブルース・リーゆかりの品、約600点を展示する
『武‧藝‧人生 ─ 李小龍』展が開催されている。
直筆の映画制作ノート、詩、絵、撮影に使用された小道具/衣服、ブライベート写真等々、コレクション数では他に例を見ない。
映画で使用されてヌンチャクや「死亡遊戯」で着用していた黄色のジャージも展示してあった。
そのほか、プライベートで使用していた衣服やサングラスなどなど、娘のシャロン・リーが全面協力しているだけあって内容は相当、充実している。
展示面積は、850平方メートル。 ここはファンならずとも一見の価値があると思う。
残念ながら展示物は撮影禁止だった。
2016年5月29日訪問。
博物館前にある銅像。 高さが3mくらいあり、Garden of Starsにあるものより迫力がある。ブルースリー展が終了する2018年7月20日以降はどこかほかの場所に移転されるのだろうか。。。
博物館内部の書店
(12) ブルース・リー像。訪問日:2015年10月2日。
尖沙咀の先端にある『尖沙咀 海濱長廊(プロムナード)』の『アベニュー・オブ・スターズ(星光大道)』にあったが、2017年現在は、改修中のため尖沙咀 東海濱平台花園
Garden of Stars (Tsim Sha Tsui East Waterfront Podium Garden)に移転されている。→ 2019年1月からAvenue of Stars に戻っている。
2017年現在、ヒルトンの向かい側の尖沙咀東海濱平台花園(公園)の中に有る。→ 2019年1月にAvenue of Starsに移動された。
(13)九龍塘(Kowloon Tong)にあるブルース・リーが住んでいた旧邸宅。 訪問日:2015年10月2日。
右隣は幼稚園、旧邸宅は「羅曼酒店」というラブホテルとして営業していたが、2015年10月2日の訪問時は門が閉じられ、営業していなかった。
リーの旧邸宅の全面からの写真。周辺には幼稚園が多い。 右隣も幼稚園であり、外にいた先生に左隣はブルースリーがかつて住んでいた場所か、聞くと「そうだ」との返事。
門は施錠されており営業はしている様子はなかった (2015年10月2日)。
2016年9月30日にYOUTUBEにUPされた動画。
廃墟と化した建物内部の各部屋を散策する様子が撮影されている。
YOUTUBE動画へ=>ABANDONED Home of Bruce Lee $100Million Family Mansion 栖鶴小築(HONG KONG)