🔷2018年12月30日、高松市牟礼町にある六萬寺を訪問。
ここは、寿永2年(1183年)、源平の戦いの折に屋島の行宮(あんぐう)ができるまで安徳天皇の行在所(あんざいしょ)となったことで有名。現在、屋島東町の行宮(あんぐう)跡地付近には、神社「安徳天皇社」が置かれている。
安徳天皇は平家一門に連れられ大宰府を経て屋島に行き、1183年に現在の屋島東町にある見晴らしの良い高台に行宮を置いた。この行宮跡地付近には、ささやかな神社「安徳天皇社」が置かれている。
しかし源頼朝が派遣した鎌倉源氏軍(源範頼、源義経)によって、平氏は一ノ谷の戦いと屋島の戦いに敗北。
特に屋島合戦(1185年2月)の敗北により、天皇と平家一門は海上へ逃れる。
そして寿永4年(1185年)4月、最期の決戦である壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が激突。平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至った。