◼️私の父方の高祖母は1846年(弘化3年)生まれで名を八田キヨと言った。徳島藩の板野郡にあった碁浦御番所の役人兼庄屋を代々務めた八田家の長女だった。
◼️碁浦番所とは?
◼️神戸市の三宮駅から鳴門市北灘町碁浦までは車で1時間半くらいかかる。
◼️高祖母の父 八田孫平が書いた文書
江戸時代に高松藩松平家に普請方として仕えた森家に嫁いできた八田家(阿波秦氏)の高祖母は阿波浄瑠璃が非常に上手かったと伝わる。高祖母の長男は自宅で琵琶を教えるほどの腕前だった。
【参考】琵琶の音色
阿波の板野郡は古代から秦氏が居住した土地でもある。日本の歴史上、秦氏は能や雅楽などの伝統芸能にも深く関わっていた。
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◼️秦氏の居住分布
◼️【参考】讃岐秦氏の居住地分布
香川県では香河郡(現在の高松市)に秦氏は多く居住していた。讃岐一宮の田村神社は元々は秦氏の氏寺であり、宮司は秦氏が務めた。高松市の峰山、紫雲山、大田周辺には古墳も多く残る。
◼️大化の改新以降、秦氏は、その出自を知られないように苗字を変えた。
http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/toraijin%20hatasi.html
ハタ・ハダという読み方は替えず、当てる字を変えた・・・畑、端、秦、畠、波田、波多、波蛇、羽田、八田、半田、矢田
前記の苗字に野・山・田をつけるケース・・・波多野、秦野、畠山、畠田、畑川、畑中、広幡、八幡など
◼️明治生まれの私の大伯母(祖父の姉)のインタビュー記事 (昭和39年の神戸新聞)
記事内容は、武家のしつけ、阿波浄瑠璃の上手かった祖母(八田キヨ)、英語を使い旧神戸オリエンタルホテルで電話交換手のリーダー、2.26事件時の勤務、神戸大空襲で自宅は焼失するも夫婦共に生き延びる、GHQ宿舎での電話交換手、昭和天皇の宿泊など。
大伯母の母は東かがわ市黒羽中村の永峰家(黒羽城城主 永塩因幡守氏継の子孫)の長女で、大伯母の父(私の曽祖父)の妹が東かがわ市黒羽の三谷家へ嫁いだ為、大伯母は三谷家の法事にも出席し、瀬戸内寂聴さんと交流があった。瀬戸内寂聴さんの祖父 三谷峰八さんは東かがわ市黒羽で江戸時代から代々、讃岐和三盆の製造をする豪農だった。三谷家の三男だった瀬戸内寂聴さんの父の三谷豊吉さんは大伯母にあたる須磨の瀬戸内家の養子となり、徳島市で神具店を経営していた。
東京ブギウギなどのヒット曲を持つ歌手の笠置シズ子さんが生まれた東かがわ市黒羽の三谷家本家も屋号を黒茂といい製糖業を営んでいた豪農だった。今は分家の孫黒茂の三谷製糖が東かがわ市馬宿で和三盆の製造を継続している。
※浄瑠璃
三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る音曲・劇場音楽である。
詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含み、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶ。
江戸時代初期以降、個々の太夫の口演が「――節」と呼ばれるようになり、その後流派として成立して、現在は義太夫節・河東節・一中節・常磐津節・富本節・清元節・新内節・宮薗節(薗八節)の8流派が存在する。
単独で素浄瑠璃として演じられるほか、流派によっては人形劇である人形浄瑠璃として(文楽など)、歌舞伎音楽として、日本舞踊の伴奏として演じられる。