讃岐の幕末の志士 日柳燕石 (くさなぎえんせき) の旧宅 呑象楼、生家跡、呑象楼跡地を訪問からのさぬき地ビール!

◼️2023/7/30

金刀比羅宮での研修前に日柳燕石が住んだ呑象楼、琴平町榎井の生家跡、呑象楼跡地を訪問からの”さぬき地ビール”

●香川県仲多度郡琴平町にある日柳燕石の居宅 呑象楼。 “盃に映った象頭山を呑む”に由来。金刀比羅宮を訪れた方には是非訪れてほしい場所。

●燕石の別宅は、その二階で酒を呑むと、盃に金毘羅宮がある象頭山がポッカリと浮かぶところから、“象頭山を呑む”意気を示す「呑象楼(どんぞうろう)」と名づけられた。

呑象楼は興泉寺の前にあったが、現在は榎井小学校北西に移築されている。

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●呑象楼左手にある日柳燕石の胸像

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●日柳燕石の生家跡

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●呑象楼が元々、あった場所。金刀比羅宮の参道から5-6分。

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●さぬき地ビール

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●呑象楼前にて


詩人 日柳燕石 (くさなぎえんせき) は讃岐の幕末の志士にして博徒の大親分、 高杉晋作 を匿い牢獄へ。

◼️日柳燕石の人生とは?

◼️逸話(掏児に掏られた物を探して取り返した話)

燕石はある日、雲隣庵松翁を訪ねて詩話数刻におよび、松翁の辭色をいぶかって「今日はどうしたのか元気がありませんな」と問う。

松翁は藩公拝領の煙草入れを紛失しており「掏られたのか、落としたのかわからぬ」と言う。

燕石はその場所と時を聞いて「俺はきっと掏られたのだと思う」と言い、「さすれば再び足下の手に返しましょう」と日限までも約して去った。

燕石が博徒の大親分といえども、掏られた煙草入れを日限までに戻すまじと、松翁は意に介せずにいたところ、其の日燕石が違わず来て、莞爾(喜んでにっこり笑う様子。)として該当品を返した。

松翁は唖然として言葉も出なかった。燕石は、雲隣庵を辞するとすぐに遠近の子分を招集した。

大小の博徒は讃岐全域を探索し、目的の品を得ることができたのだ。

◼️傳話 (雑誌「ことひら」所載)

清水の次郎長、ある年金毘羅参りのことあり、帰途、榎井はその頃侠名を謳われる日柳長次郎の在所の事をかねて聞き及んでいたから、これを訪ねて一夕袁彦道を試みんと思い、たまたま路傍に草を刈る農夫に「音に聞こえる日柳長次郎の家はどこか」と尋ねた、農夫と見えた男は答えて、「その長次郎は、この俺じゃ、お前さんは誰か」清水の次郎長、驚いて改めてよくよく見れば、薄痘痕があって風采のあがらぬ小男であるが、悠揚迫らざるうちに精悍の気が眉宇にあふれ、これぞ讃岐の大侠燕石その人なるを知り、仁義の事あり、慇懃にその来意を告げた。

燕石、すなわち帯にしていた荒縄を割いて長短を作り、これにて直ちに勝負を決せんと言い、次郎長懐中より百金を出して賭けた。

燕石嚢中無一物、 負けたら命を投げ出す覚悟と見えた。天は燕石に幸いして、この勝負、次郎長の敗となったが、さすがの清水も燕石の大胆さには舌を巻いて驚いたという。

た荒縄を割いて長短を作り、これにて直ちに勝負を決せんと言い、次郎長懐中より百金を出して賭けた。燕石嚢中無一物、 負けたら命を投げ出す覚悟と見えた。

天は燕石に幸いして、この勝負、次郎長の敗となったが、さすがの清水も燕石の大胆さには舌を巻いて驚いたという。

◼️日柳燕石が登場する作品

●映画『天馬往来』(1953年、村上元三原作)

●テレビドラマ『次郎長三国志』(1991年、テレビ東京) – 清水次郎長が金毘羅大権現を参詣する場面に登場。

●小説『世に棲む日日』(司馬遼太郎、1971年)

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