【ファミリーヒストリー】父が生まれる前に戦没した祖父の記録を追う。 香川県庁に軍歴資料申請、善通寺市の陸上自衛隊内の乃木資料館に問い合わせた結果は? 日本にもあった徴兵制度

こんにちは。

トリリンガル讃岐PRオフィサーのモリヨシナリです。

今回は、下記の『祖父の戦没記録を追う記事』の続きとなります。

祖父は私の父が祖母のお腹の中にいるときに、待ち侘びた長男の顔を見ずして丸亀の陸軍病院にて亡くなりました。

祖母も父が幼少の頃に亡くなってしまったので、父は、祖父のことは殆ど聞かされていなかったと思います。

生前、父は祖父のことは何も語りませんでした。

語りたくとも父親の記憶がなく語れなかったと言うほうが正しいのかもしれません。

父は戦中、戦後の日本の大混乱期に両親を亡くすという逆境の中、言葉には言い表せない辛く壮絶な体験をしたのだと思います。

父は、10代で、香川の片田舎から徒手空拳で単身、神戸へ渡り、当時、鉄拳制裁が日常的であったホテルで皿洗いからはじめ、西洋料理人として昭和天皇、皇后、皇太子殿下(現 上皇)をはじめとする皇族に料理を献上するまでの技術を身につけました。

そんな父は生前、仕事に忙殺され、祖父のことを調べることができないまま働き詰めで亡くなってしまいました。

しかし、生前、実践派だった父が読んでいた数少ない書籍の中には日中戦争、太平洋戦争に関する写真入りの資料が何冊もあったことを今、思い出しました。

父は、会ったこともない自分の父親のことをあれこれ想像しながら読んでいたのかもしれません。

私は、祖父と父の供養にと思い、戦没したと言う情報だけを頼りに、会ったことがない祖父が生きていたと言う記録を探し始めました。

🔸【ファミリーヒストリー】祖父が戦没者として亡くなった善通寺陸軍病院 丸亀分院の現在地と戦没記録を追って。 何たる偶然、祖父は私が長年働いていた上海での戦いに参戦していたかもしれない! 祖父は生まれてくる私の父の顔を見る事なく亡くなってしまった、、、

https://note.com/embed/notes/nebafea28a2b9

🔸ファミリーヒストリー(2025年4月時点) – 阿波水軍、森権平久村、碁浦番所、永塩因幡守氏継、赤沢信濃守宗伝、瀬戸内寂聴、笠置シヅ子、安部譲二、昭和天皇、北朝鮮端川(たんせん)  –

https://note.com/embed/notes/n3ef6dfda8e8d

🔸【私の父と安部譲二さんの父の接点】作家 安部譲二さんの『秋は滲んで見えた』 を読んで。 実父は日本郵船重役、旧・神戸オリエンタルホテル社長を務めた安部正夫さん。 祖父は日本勧業銀行総裁、東京株式取引所理事長

https://note.com/embed/notes/n778a7a18f2ed

目次

  1. 🔸【ファミリーヒストリー】祖父が戦没者として亡くなった善通寺陸軍病院 丸亀分院の現在地と戦没記録を追って。 何たる偶然、祖父は私が長年働いていた上海での戦いに参戦していたかもしれない! 祖父は生まれてくる私の父の顔を見る事なく亡くなってしまった、、、
  2. 🔸ファミリーヒストリー(2025年4月時点) – 阿波水軍、森権平久村、碁浦番所、永塩因幡守氏継、赤沢信濃守宗伝、瀬戸内寂聴、笠置シヅ子、安部譲二、昭和天皇、北朝鮮端川(たんせん)  –
  3. 🔸【私の父と安部譲二さんの父の接点】作家 安部譲二さんの『秋は滲んで見えた』 を読んで。 実父は日本郵船重役、旧・神戸オリエンタルホテル社長を務めた安部正夫さん。 祖父は日本勧業銀行総裁、東京株式取引所理事長
  4. 🔸前回の記事で挙げたアクション・アイテム
  5. 🔸香川県庁に祖父の軍歴資料の有無を問い合わせた結果
  6. 🔸乃木館(陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館)に問い合わせた結果
  7. 🔸香川縣護國神社 (善通寺市)
  8. 🔸鎮魂歌 海行かば
  9. 🔸なぜ一般人の祖父が軍隊に入ったのか?
  10. 日本の徴兵制度とその歴史
  11. 当時の徴兵の基準と動員基準
  12. 徴兵制度の廃止
  13. 🔸香川県での軍歴証明(旧陸軍の軍歴)申請に必要な書類と確認先
  14. 🔸モリヨシナリのプロフィール

🔸前回の記事で挙げたアクション・アイテム

祖父の戦没記録を、

善通寺市の乃木館 (陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館)

善通寺市の護国神社

香川県庁 (軍歴資料申請)

に問い合わせてみる。

所属部隊、軍歴(いつからいつまで所属)
日中戦争へ参戦したのか?
中国へ行ったのか?
行ったとすれば、中国のどこへ行ったのか?
上海宝山区の羅店鎮か?
亡くなった理由は?
(病気で亡くなったと伝わるが詳細は不明)

🔸香川県庁に祖父の軍歴資料の有無を問い合わせた結果

旧陸軍軍歴資料の写しの交付についてwww.pref.kagawa.lg.jp

画像

2025/5/16 (金) 午前中

まずは、香川県庁に電話で祖父の軍歴資料があるかどうか聞いてみた。

戦没者名、戦没日(1937/10/20)、戦没時の本籍、戦没場所は善通寺陸軍病院 丸亀分院を伝えた。

軍歴資料の有無を確認するので、折り返し電話するとのこどだった。

30分くらいくらい経ってから電話があった。

回答としては、香川県は太平洋戦争(1941-1945)の資料を中心に保管しており、それより古い日中戦争の資料は探したが無かった、との回答だった。

可能性として、もしかすると厚生労働省に旧・陸軍の資料が残っているかもしれないので問い合わせてみては、との回答。

【この時の私の率直な感想】
日中戦争は、1937-1945、太平洋戦争は、1941-1945だったので、同時並行しておこっていた戦争だが、なぜ日中戦争の軍歴資料がないのか腑に落ちなかった。香川県からは第11師団 歩兵第12連隊が日中戦争に参戦し多くの方が中国で亡くなっている。特に上海の宝山区の羅店鎮の戦いは激戦だった。『大内町史』の戦没者名簿の中に祖父の記録を見つけていたので元のデータはどこかに残っているはずだと思った。

画像
大内町史の戦没者名簿

・第11師団 歩兵第12連隊歩兵第12連隊 – Wikipediaja.m.wikipedia.org

画像

🔸乃木館(陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館)に問い合わせた結果

陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館 – Wikipediaja.m.wikipedia.org

2025/5/16 (金) 午前中

香川県庁に問い合わせ、日中戦争の軍歴資料はないとの回答だったため、善通寺市にある陸上自衛隊内の乃木資料館に電話で問い合わせた。

乃木資料館の回答は、明治時代からの戦争の作戦や第11師団がどう動いたか等、大きい情報はあるが、個人の軍歴資料はないとの回答だった。

では、護国神社の資料館にはあるか尋ねたが、分かりかねる、とのことだった。

🔸香川縣護國神社 (善通寺市)

香川縣護國神社 – Wikipediaja.m.wikipedia.org

善通寺市にある護国神社には、サイトの情報から個人の軍歴資料はないだろうと思い電話はしなかった。

このままでは、ここで祖父の戦没情報は、途絶えてしまうと思い、何か手はないかと考えた。

どうしても諦めきれないので、香川県庁と乃木資料館宛てに背景と想いを書いて2025/5/16にメールを送った。

5/21は私の誕生日なのだが、メールの回答が、2025/5/21に県庁から来た。

私のメールを受け取り、香川県の文書保管庫を再度、探したら私の祖父の記録がわずかだが見つかったという回答内容だった

諦めなくて良かった。

もしかすると祖父と父の力も働いているのかも知れない。

早速、軍歴資料申請書と除籍謄本、身分証明書などをそろえて2025/5/22 朝一の8:35に香川県庁に提出してきた。

画像

現在、資料の写しの受け取り日時の回答待ちだ。

何も知らなかった祖父に関する記録がわずかでも分かればそこから更なる情報を探していく糸口となる。


軍歴資料の写しを受け取りに、再度、県庁へ行く必要がある。

※旧陸軍の軍歴資料は、各都道府県で保管し、海軍の軍歴資料は厚生労働省が管理している。

・亡くなる前に撮影された祖父の写真は2枚のみが残っている。進軍ラッパを持つ祖父(左)

画像

亡くなる前に撮影された写真。待ち侘びた長男(私の父)の顔を見ることなく丸亀の陸軍病院で27才の若さで亡くなった。

画像

・丸亀城の前、現在の市民広場辺りにあった善通寺陸軍病院 丸亀分院

画像

・『大内町史』の中に見つけた祖父の戦没記録

画像

祖父の除籍謄本をあらためて見てみると戦争により人生が大きく変わってしまった人だった。

1910年に生まれ、1936年、26才で結婚し、人生これからと言う時に、1937年7月に日中戦争勃発、軍隊に駆り出された。1937年10月20日に待ち侘びた長男の顔を見ることなく善通寺陸軍病院の丸亀分院で戦没した。27才の若さだった。

この戦争がなければ祖父、祖母、父、私の人生も大きく変わっていただろう。

当たり前だが、祖父が父を残さなければ私も生まれてこなかった。

出生日: 1910年(明治43年)7月27日

結婚日: 1936年(昭和11年) 8月29日 26才

日中戦争開始: 1937年(昭和12年)7月7日
盧溝橋事件により発生した、1937年昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、大日本帝国蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争

死亡日: 1937年(昭和12年)10月20日
善通寺陸軍病院 丸亀分院に於いて午後10時35分に死亡

父の出生日: 1938年(昭和13年)5月15日
生まれてきたときから父親はいなかった。幼少の頃、母も亡くした。

🔸鎮魂歌 海行かば

– YouTubeEnjoy the videos and music you love, upload original content,m.youtube.com

🔸なぜ一般人の祖父が軍隊に入ったのか?

日本の徴兵制度とその歴史

1937年の日中戦争当時、軍人ではない一般の男性が軍隊に駆り出されることは十分にあり得る状況でした。当時の日本には徴兵制度があったため、軍人ではない一般市民も、定められた基準に基づいて兵役の義務を負っていました。

日本の徴兵制度は、明治6年(1873年) に公布された徴兵令によって始まりました。これにより、国民皆兵の原則が確立され、満20歳に達した男子に兵役の義務が課せられました。その後、幾度かの改正を経て制度は維持され、私の祖父が召集された昭和初期の兵役法(1927年改正)もその流れの中にありました。


当時の徴兵の基準と動員基準

1927年(昭和2年)に改正された兵役法に基づき、当時の日本は徴兵制度を採っていました。これは、国民が国家に兵役を提供する義務を負うというものでした。

  • 対象者: 原則として、満20歳に達した男子は兵役義務の対象とされました。
  • 徴兵検査: 満20歳になると、地方自治体から徴兵検査の通知が届き、指定された場所で身体検査を受けました。この検査で、兵役に適した身体能力や健康状態であるかどうかが判定されました。
    • 甲種: 身体壮健で兵役に適格な者。主にこの区分から徴兵されました。
    • 乙種(第一乙種、第二乙種): 甲種には及ばないが、兵役に支障がないと判断された者。
    • 丙種: 身体に一部欠陥があるが、国民兵役には適格な者。
    • 丁種: 病気や障害などで兵役に適さない者(免役)。
    • 戊種: 合否判定不能な者(保留)。
  • 抽選(くじ引き): 徴兵検査で甲種または乙種に認定された者の中から、現役兵として実際に軍隊に入隊する者が抽選(くじ引き)で選ばれました。必ずしも全員がすぐに入隊するわけではありませんでした。
  • 補充兵・後備兵など: 抽選で外れたり、現役兵として勤務期間を終えたりした者も、補充兵役や後備兵役、国民兵役といった予備的な兵役に編入され、戦時や非常時には召集される可能性がありました。
  • 戦時召集(赤紙): 日中戦争が拡大し、多くの兵力が必要になると、この予備役となっている人々にも召集令状(いわゆる「赤紙」)が送られました。正規の軍人ではなく、予備役として登録されていた一般の男性が、戦局の悪化に伴い戦場に送られることになったのです。
  • 学歴・職業・家族構成などによる考慮: 徴兵は原則として平等でしたが、実際には、一部の専門職(医師、教員の一部など)や学問を修める者(特定の学校の在学者)には徴兵猶予が認められる場合がありました。また、一家の働き手であるなど、家族構成によっては免除や猶予の対象になることもありましたが、戦局の悪化に伴い、そうした基準は徐々に緩和され、より多くの男性が動員されるようになりました。

徴兵制度の廃止

日本の徴兵制度は、第二次世界大戦の終結に伴い、昭和20年(1945年)に廃止されました。

  • 1945年8月15日: 終戦。
  • 1945年8月22日: ポツダム宣言受諾に伴い、大日本帝国陸海軍は武装解除を命じられ、事実上解体されました。
  • 1945年9月2日: 徴兵制度の法的根拠であった兵役法が廃止され、日本の徴兵制度は完全に終了しました。

徴兵制度が廃止された最大の理由は、第二次世界大戦での日本の敗戦と、ポツダム宣言に基づく連合国軍総司令部(GHQ)による非軍事化政策によるものです。GHQは、日本の軍国主義を解体し、二度と戦争を起こさない国にするために、軍隊の廃止とそれに伴う徴兵制度の撤廃を強く求めました。



私の祖父が軍人ではないのに召集されたのは、明治時代から第二次世界大戦終結まで存在した徴兵制度と、戦時下における予備役の戦時召集によるものでした。この制度は、日本の敗戦とGHQによる占領政策によって廃止されました。

・兵役法兵役法 – Wikipediaja.m.wikipedia.org


🔸香川県での軍歴証明(旧陸軍の軍歴)申請に必要な書類と確認先

確認先:

  • 香川県庁 健康福祉部 長寿社会対策課 総務・援護グループ
    • 電話番号: 087-832-3277
    • 所在地: 〒760-8570 香川県高松市番町四丁目1番10号

・香川県庁サイト旧陸軍軍歴資料の写しの交付についてwww.pref.kagawa.lg.jp

画像
画像
画像

🔸モリヨシナリのプロフィール

ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント


神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部留学マーケティング専攻。


職歴:

  • 大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事 (北京オフィス所長)
  • 香港、中国にて外資系商社設立に参画、副社長を経て顧問

海外滞在歴:

  • アメリカ: 2年
  • シンガポール: 2年
  • 中国: 12年
  • ベルギー: 1ヵ月

現在の活動:

  • Bizconsul Office 代表
  • ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント
  • 観光庁インバウンド研修認定講師
  • 四国遍路通訳ガイド協会 会員
  • トリリンガル讃岐PRオフィサー

保有資格:

  • 英語: 全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点 (L満点)、TESOL (英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級
  • 中国語: 全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級
  • ツーリズム: 総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド

メディア実績:

  • 香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載
  • 瀬戸内海放送 (KSB) ニュース番組コメント
  • 岡山放送 (OHK) ニュース番組コメント

研修/コンサルティング実績:

  • 観光庁インバウンド研修認定講師として登壇 (香川県善通寺市役所、愛媛県西予市宿泊施設、他)
  • 四国運輸局事業 (訪日外国人観光客向けレンタカー利用調査、アドベンチャーツーリズム他) コンサルタント
  • 香川県主催 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド
  • 香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験 面接官

森啓成 | 香川通訳ガイド検索サイトはじめまして! 森啓成 (モリヨシナリ/Yoshinari Mori)と申します。全国通訳案内士 (英語・中国語)、香川せkagawa-tsuyakuguide.jp

画像

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です